検証すべき『ワイルドスワン(上)』の中の日本人

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p93「教師たちは、満州国こそ地上の楽園であると教えた。
 だが、この国が楽園と呼べるとしたら、それは日本人のためだけに存在する
 ――母のように幼い者さえ、そう感じていた。

 日本人の子供たちは、中国人とは違う学校に通った。
 日本人の学校は設備が立派で、暖房もよくきき、
 床も窓ガラスもぴかぴかに磨いてあった。
 中国人の学校は、荒れはてた寺か、だれかが寄付した倒壊寸前の家だった。

 暖房はない。冬になると、寒さをまぎらすために、
 授業の最中にクラス全員で近所をひとまわり走ったり、
 部屋の中で足ぶみしたりしなくてはならなかった。」

(満洲の学校事情?)
多分これは、満鉄関係者などの日本人学校、最上クラスの実験的モデル校との比較だろう。
違いが極端に見えるように、書いてあるのではないか、と思う。

日本人学校でも、開拓農民は貧しかった。貧しい人は貧しかった。
日本人がみんな、そんな立派な学校に行っていた、はずはない。
貧乏な日本人が行く学校が、そんなに差があったとは思えない。

とにかく日本人は、学校へ行くのが義務になっていて、
子供が暖房のある家にいたり、働きに行ったりは、しないことになっていた。
床や窓ガラスをピカピカに磨くのは、生徒の清掃作業であって、大抵は、特別待遇のせいではない。

移民のための急ごしらえの学校は、設備は整っていなかった、のではないか。
満洲だって、全員学校という発想、そのものがなかったはず。

それを全員引っ張ってこようというのだ。
モデル校と急ごしらえの差が、現実には出るだろう。

帰ってきて発言する方というのは、帰国後の成功者が多い。
帰国後の成功者が、貧乏な人たちの生活をどれだけ知っていたかとなると、疑問だ。

p94「教師は、ほとんどが日本人だった。教え方も日本式で、教師は平気で生徒を殴った。
 女生徒の髪は耳たぶの一センチ下で切りそろえること、
 といったような校則や礼儀作法をほんの少しでも破ろうものなら、
 ビンタが飛んできた。

 男子も女子も、顔を思いっきり平手で殴られた。
 男子生徒は、こん棒で頭を殴られることも珍しくなかった。
 雪の中に何時間もひざまづかせる体罰もあった。」


(学校での体罰?)
日本人が満洲に持ち込んだ「日本式」の教え方って、体罰だらけだった、
というのだが、こういうのは、日本では聞いたことがない。

「中国人の子供が町で日本人とすれちがう時は、
たとえ相手の日本人が自分より年下でも、頭を下げて道をゆずらねばならなかった。
日本人の子供たちは、よく中国人の子供をつかまえては理由もなしに殴った。」


(?)
満洲から帰国した人たちの経験と照合してみないと、何とも言えない。
そういう風には聞いていない。

先生とすれちがうときも、うやうやしくお辞儀をしなくてはならない。
日本人の先生は草原を駆けぬけるつむじ風みたいね、通りすぎる端から草がなぎたおされていくわ、
と母は友人と冗談を言い合った。」

日本の学校教育では、日本人同士、先生にはお辞儀をしなさい、と教えていたと思う。
日本人の先生に対してお辞儀をさせる、満洲国の教育が不快だと言っているのでしょうか。
まあ、異民族は嫌なんでしょう。

p95「だが、日本軍の蛮行は、母たちの耳にもはいってくるようになった。
満州北部では広い範囲にわたって日本軍が村落を焼き払い、焼け出された人々を「戦略村」に追いこんでいた。
人口の六分の一にあたる五百万人以上がこのようにして家を失い、何万もの人々が命を失った。
日本に向けて輸出する鉱産物を掘り出すために中国人労働者が駆り出され、日本兵の監視のもとで疲弊して死ぬまで働かされた。
満州は、鉱物資源に恵まれていた。中国人労働者の多くは塩分も満足に与えられず、逃亡するだけの体力もなかった。」



p105「教育の一環として、母たち女学生は日本軍の戦況を収めたニュース映画を見せられた。
日本の軍人は、自分たちの残虐行為を恥じるどころか、
逆にそれを誇示して少女たちの心に恐怖をうえつけようとした。
ニュース映画には、日本兵が人間をまっぷたつに切り捨てるシーンや、
囚人を杭に縛りつけて野犬に食いちぎらせるシーンが映っていた。
犬のえじきにされる囚人が恐怖に目を見開いた表情を、カメラは長々と大写しにして見せた。
十一歳と十二歳の女学生たちが目をつぶらないように、叫び声を止めようとして口にハンカチを押しこまないように、
映画のあいだじゅう日本人が見張っていた。母は、その後何年も悪夢にうなされたという。」

(戦意高揚映画の実情?)

戦時中のカナダでは、反日意識を煽るために、日本軍が行う残虐シーン、として、
このような映画が上映された、と、在カナダ女性の回想にあった、ような気がする。
多分国民党が作った宣伝映画ではないかと思うのだが。
しかし、中国の女学生に、日本軍が行なった残虐シーンを、日本が映画にして見せた、なんて、聞いたことがない。

「1942年、繊維工場へ動員。中国人の生徒は片道6キロの道を毎日歩き、日本人の生徒はトラックに乗って往復した。
中国人の生徒には、うじ虫の浮いた水っぽいトウモロコシのおかゆ、日本人の生徒は、肉と野菜と果物がはいった折詰の弁当をもらった。

日本人の子供は窓ふきなど楽な仕事、中国人の子供は、複雑な紡績機の操作など、大人でも危険な仕事を割り当てられた。
糸が切れたら、紡績機を高速で稼働させたまま結びなおさなければならない。糸が切れたのに気づかなかったり、
結びなおすのにもたもたしていたりすると、日本人の監督官にひどく殴られた。
緊張と寒さと空腹と疲労とで、事故が多発した。ーーー」

(中国人の学徒動員?)
学徒動員で軍需工場の危険な仕事に就いた日本人女学生の話は聞いたことがあるけど、
中国人女学生の話は知らない。ひどく殴られた、という話も知らない。

紡績女工だった人の話を読んだことがあるが、こういう話は知らない。
(いや、女工さんの事故の話はあったような気がするが、確認には時間がかかる)

出てくる校長先生が、やたらめったら、殴ったり蹴ったりする。?

p112「学校の友達が、日本軍の武器庫に入り込んでつかまった。
女学校の生徒全員が、日本人教師に、処刑場まで行進させられた。
拷問されたらしい顔を膨れ上がらせて、その子は、
女学生たち、教師たち、近所の人たちの目の前で、日本兵によって銃殺された。(要約)」


全文*****
2日後、女学校の生徒全員が西の城門の外、
小凌河が湾曲してできた砂洲まで行進させられた。

近所の住民も、隣組の指示で雪に覆われた空地に集まっていた。

「大日本帝国に反逆する極悪人の処刑」を見学するためだ。

日本人衛兵に引きずられるようにして目の前につれてこられたのは、あの友達だった。

鉄の鎖につながれて、ほとんど歩くこともできない。
拷問されたらしく、見慣れた友とは似ても似つかぬ膨れあがった顔だった。

日本兵がライフルを構え、少女に狙いを定めた。
少女は何か言おうとして口を動かしたが、声にならなかった。

銃声がして少女が前のめりに倒れ、雪のうえに血がにじみ始めた。

日本人校長の「ロバ」は、生徒の顔をひとりひとりのぞきこんで歩いた。

母は非常な努力をして感情を押しとどめた。
心を鞭打って、友達の死体を見た。

死体のまわりにきらきら輝く赤い血の海ができ、白い雪に映えていた。
*****



(満洲での処刑は公開か?裁判なしで刑を執行できるか?)
明治時代になってからの日本人は、公開処刑なんて、見たことがないと思います。
いつから公開処刑をしなくなったのか、それを調べる必要があります。  *公開処刑について
こんなに大宣伝されてしまっていることですから。

なぜないのか、と、考えたら、日本人は、見せしめに公開処刑するなんて、
非人道的で道徳的に良い効果がないと思っていたからだろうと思う。(証明資料はありませんが)
どうして、満洲では公開処刑する、ということになるでしょうか。
そういうことがありました、という記録・証言が、あるなら、それが必要でしょう。
ないなら、本に書いて宣伝してはいけないような類のことではないでしょうか。



本が出版されてすぐの頃に、「こんなひどいこと書いてある。とんでもない本だ。
イギリスも、こんないい加減なデタラメ本に、よく賞なんか出すものだ。権威が泣く」
といった調子の感想を見かけたのだが、
現在、ネット上でそれに類する感想を見つけるのは難しいので、私が書いておく。

イギリスもアメリカも、日本に関しては、こんな調子の本が都合がいいのだ。それだけの話である。
3代の女性の物語として読めば、波乱万丈でおもしろい、と言えばその通り、である。

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