検閲月報   20170422

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南京事件に関して、中国系の偽作ニセ文書・ニセ情報が氾濫している、
と警鐘を鳴らしている私としては、

満洲・関東憲兵隊司令部の跡地で発見されたという『検閲月報』
の「真贋検討」は、やはり気になる。

1945年の敗戦時に、機密文書焼却令があった。
しかし焼却に間に合わなかった文書が、地中に埋められていた。
それが、1953年の工事の際に、地中から掘り出された、そうである。

その『検閲月報』とは、
郵便物等を憲兵が検閲して、その検閲対象となった問題部分を抜き書きして、
それを印刷して組織内に配布して、

*(と私は思ったのだが、p54には「各地の憲兵隊がそれぞれ作成した『検閲月報』を憲兵隊間で回付していた」
とある。回付するものを活字印刷する理由が、ますますわからない。

ワープロが出現して、活字のような印刷物が一般化したのは、1990年以降の話である。
現在61歳の私の感覚では、「部数の少ない文書を活字で印刷するなんて、昔はやらなかった」と思うのだ。)*

憲兵が組織として、検閲をみんなで共有していた。『検閲月報』とはそういうものだ。
ということになっているらしい。検閲された手紙そのものではない。


8年も地中にあったものが、判読可能な状態で掘り出される条件とは何か、
と、誰でも思うだろう。

日本なら、直に水がしみこむ状態で放置すれば、8年たって掘り出して、
判読可能なんてことは、なさそうな気がする。

「2万ページ」とわかるような状態の、文書の塊の体積はどれくらいで、
8年たっても、水が沁みとおらない部分があって、判読できる状態、
というのは、どういう条件にあるものなのか。

『検閲された手紙が語る満洲国の実態』小学館2006には、
日本人なら考えそうな疑問に、全く答えがない。

電話帳の古いのを庭に埋めてみたらどうだろう。
1年たったら真っ黒のボロボロではなかろうか。

真ん中の方は読める状態にはできても、原型をしのぶには程遠い物になっているだろう。

電話帳を50冊、塊にして埋めたら、真ん中は大丈夫だろうか。
しかし、それでも、8年もたっていたら、大いに疑問に思える。
箱にでも入ったままだったのだろうか?

しかし、そんな疑問に応える記事は、全然ない。


これまで、「日本人はこんな悪いことをしてた」と言ってくる中国に対して、
日本人研究者(多くは左派)たちは、頭を垂れ、畏みつつ、うけたまわるばかりで、

当然確認するべきことも、確認しないまま、ハイハイ、と、言われるままに、
中国の指摘に沿って、日本向けの本を書いてきた。

左派日本人にそういう気分が蔓延していたので、
そうとしか行動のしようがなかった、みたいだ。


月報の外形についての説明がないが、
本の裏表紙に、<掘り出された『検閲月報』の現況>という写真がある。

まずは、「地中で8年」という時間を考えると、保存状況が極めて良い、
と言えるだろう。箱にでも入っていた、としか思えないような感じ。

それが水濡れで滲んでしまった、というようなものである。

土中の成分がしみこんで、紙自体の変質が著しい、とか、
そのようには見えない。

次に気になるのが、活字の並びだ。
漢字もカタカナも、等間隔の枡目に入っている。

活字文字デザインに詳しい会社にでも聞いたらどうなのだろう。
こんな活字印刷、満洲でやってましたか?と。

手書きガリ版なら、それらしく感じるのだが、これは枡目状の活字印刷だ。

憲兵隊関係部署に配送する秘密文書が、
活字印刷する必要があるほど、発送部数が、多かっただろうか。


裏表紙の見返しには、資料を見ている編者たち二人の写真がある。
それを見ると、1ページがA4版くらいの、結構大きなもののように見える。

その1ページの大きさから考えると、並んだ活字が少なくて、空間が広く、
戦時中にしては、紙の使い方が無駄に見える。


内容について。
議論の続くノモンハン事件の勝敗、満洲統治に対する人々の感情や状況、
汪兆銘政権の政策に対する批判、731部隊、等、

これが真実でなくて中国共産党の主張だとしたら、一体何が言いたいか、
と思えるようなことが並んでいるのである。


まずは真贋判定が必要だろう。























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