今田真人氏のレジュメ   (20170714UP)

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2016年6月18日
『「慰安婦」問題の現在――「朴裕河現象」と知識人』(2016年4月19日、三一書房)
出版記念シンポジウムでの私(今田真人)の報告レジュメ
http://masato555.justhpbs.jp/newpage141.html

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以下は、読みにくかったので、私が適宜改行し、
行間を開けて見やすくしたメモです。サイト用、他者のためのものです。

(1)

国家総動員法に基づく毎年度の
「労務動員計画(国民動員計画)」(1939年度~44年度)は、

朝鮮人の内地への「供出」などを定めた日本政府の閣議決定文書でもある。

今回発見した厚生省職業局「一八六号通牒」は、

この国家による朝鮮人動員先の職種に「軍慰安婦」があった
ことを示す衝撃的なものである。

まさに安倍政権が否定する、「慰安婦」の強制連行を示す決定的公文書だ。


(2)
政府公表資料は「女性のためのアジア平和国民基金」編の復刻本全5巻
(97年3月20日~98年7月20日発行)がある。

そこには、第4巻に収録された公文書「第二次許可認可等行政事務簡捷化ニ関スル件」
(閣議決定、44年1月6日)があった。(44年=昭和19年?、なぜ西暦)

その一覧表に「●●●●●●●慰安所的必要ニ依リ酌婦女給ヲ雇入ノ場合」
という、一部墨塗りされた行政事務の内容と、

その根拠法令として
「昭和16年12月16日厚生省役徴第一八六号厚生次官ヨリ各地方長官宛通牒」
(「役徴」は「発職」の誤り)

という記述がある。


次に、「行政事務ノ整理簡捷化及中央官庁ノ権限ノ地方委譲等ニ関スル件」
(閣議決定、43年12月14日、同第4巻)(43年=昭和18年)

という公文書もある。

その中に
 「軍慰安所 ニ於ケル 酌婦女給等ノ 雇入就職ノ 認可ニ付テ 厚生大臣ヘノ稟伺【りんし】
  (労務調整令ニ依ルモノ)」

  (軍慰安所での 酌婦・女給等の 雇い入れ就職の 認可について 厚生大臣にお伺い)
という記述もあった。

行政事務として「軍慰安所」の「酌婦女給」の雇入就職の認可という、
重大な内容が記述されている。

この2つの公文書だけで、1940年代の「慰安婦」の徴集が、
行政の認可事項であったことがわかる。

つまり、法令に基づく国家による就労の強制だったことを示唆するものだ。

 「私」:「前後2文の結びつけ方が強引では。認可事項だったら、なぜ就労強制になるのか。

この公文書をなぜ、もっと調べないのか。とりわけ、「一八六号通牒」そのものを見つけ出したい。

公文書そのものの原文を、国立公文書館で閲覧した。
そして、この墨塗りをよくみると、「○ノ要求ニ依リ」の文字

<労務報国会の規約の現物>を国会図書館で探す中で、この通牒を発見した。

同規約は、吉田氏の著書『私の戦争犯罪』(三一書房)の付録に掲載されている。

この取材経過は、吉田証言の真実性を別の角度から裏付けるものである。

・拙著『吉田証言は生きている』(共栄書房)の中に吉田氏のインタビュー発言として
「私の本の付録だけは、私が国会図書館の資料として(見つけた)労務報国会の規約です。
あれは日本に1冊しかない」(P61)という指摘がある。

・この指摘に基づき、国会図書館で労務報国会関連の文書を探していると、
いくつかの本には、「鈴木僊吉氏寄贈」のスタンプが押されている。

それで、鈴木僊吉氏が何者かを調べていくうちに、一橋大学の図書館で、
鈴木氏の遺族が労働省図書館(当時)に寄贈した図書目録を見つけた。

その目録をもとに国会図書館で調べる中で、ついに「第一八六号通牒」を発見した。
・・・・・

・1938年3月31日、国家総動員法公布

・1939年7月4日、昭和14年度 労務動員計画(初の動員計画)を閣議決定。

・1939年7月7日、国民徴用令 公布

・1940年1月20日、朝鮮 職業紹介令 施行。

            同令施行規則の第16条「紹介業者ハ 左ニ掲グル行為ヲ 為スコトヲ 得ズ」 
                       (紹介業者は左に掲げる行為をすることはできない)

            の13項に「芸妓、娼妓、酌婦 又ハ之ニ類スルモノノ 周旋ヲ為スコト」とある。

                   (芸妓、娼妓、酌婦、またはこれに類するものの、
                    周旋(なかだち、あっせん)をすること)

            つまり、「紹介業者は、芸娼妓のあっせんはできない」という意味になる

・1940年1月27日、朝鮮総督府の通牒「朝鮮職業紹介令施行ニ関スル件」。

          「募集事業者 ニ付テハ 其ノ素行 及 身許ヲ 厳重調査シ
           不適当ナル 者ヲシテ 募集ニ従事 セシメ ザルコト

            (募集事業者については、その素行および身元を厳重に調査し、
           不適当な者に、募集に従事させてはいけない。)

          就中 左ノ各号ノ 一ニ該当スル者ハ 許可官庁ニ於テ 
          特ニ 支障ナシト 認メラルル場合ノ外 之ヲ 従事者 タラシメ ザルコト…

             (特に 左の各号の 1?に該当する者は、許可官庁において、
              特に差支えなし と 認められる場合の他は、従事者としてはならない) 

          (二)…貸座敷、芸妓屋、…芸妓、娼妓、酌婦若ハ之ニ類スルモノノ周旋業」

              芸娼妓あっせん業者は、許可官庁において 特に差支えなし
              と認められた場合 以外は 、募集事業をやってはいけない。

・1940年1月31日、青少年雇入制限令公布

・1940年2月15日、厚生省告示、青少年雇入制限令の指定業務に「娼婦」などを明示 

                  (制限したのが「娼婦」で、みだりに青少年を娼婦として雇ってはいけない、では?)

・1940年7月16日、昭和15年度 労務動員計画 を閣議決定

・1941年8月29日、閣議決定 「労務緊急対策要綱」。
            →「労務配置ノ調整ヲ強化スル為 従業者移動防止令 及 青少年雇入制限令 ヲ廃止シ 新ニ勅令ヲ 制定ス」

                 (労務配置の調整を強化するため、従業者移動防止令、および 青少年雇入制限令 
                  を廃止し、新たに 勅令を制定する。)

・1941年9月12日、昭和16年度 労務動員計画 を閣議決定。
           「本計画ノ実施ニ当リテハ… 労務緊急対策 ニ基キ 急速ニ 之ガ 具体的措置ヲ 講ズルモノトス」



・1941年11月20日、朝鮮総督府が「昭和16年度 労務動員 実施計画ニ依ル 朝鮮人労務者ノ 内地 移入 要領」を定める。

            「本要領ニ依リ 内地ニ 移入 セシムルベキ 朝鮮人 労務者 ノ供出ハ
             従来ノ 朝鮮 職業紹介令 ニ依ル 労務者募集ノ 方法ヲ廃止シ
             爾今 朝鮮総督府 及ビ 地方庁ノ 斡旋ニ依ル コトトスルコト」。

              (本要領に依り 内地に移入させる 朝鮮人労務者 の供出は

               従来の 朝鮮 職業紹介令 による 労務者募集の方法を廃止し

               爾今 朝鮮総督府 および 地方庁の 斡旋による こととすること。)         
                     

           「朝鮮労務供出機構ノ整備拡充」として

           「朝鮮ニ於テ 労務担当職員ニ 適任者ヲ得難キトキハ 内地関係官庁ハ 之ガ供出ニ付 協力スルコト」と明記。

・1941年12月8日、米英両国に宣戦布告、太平洋戦争始まる

・1941年12月8日、労務調整令公布(青少年雇入制限令を廃止・吸収)

・1941年12月16日、厚生省が極秘の「一八六号通牒」を出す。指定業務に軍慰安所の「酌婦、女給」を示す

              (ここで、これまでの良識ある政府の仮面をかなぐり捨てて、
               軍慰安所の「酌婦、女給」が、本指定になった、と、言いたいらしい。本当かなあ。

               一片の紙切れが、「証拠」として全体を覆す、ようなことが、あるでしょうか。
 逆に言えば、これがなかったら、
                「良識ある政府の証拠」の方は、普通にあった、ということになるのでしょうか。

                どうして、姦通は死罪という、長い江戸時代を潜り抜けた日本人が、
                直前までその感覚を維持していた、らしいのに、

                唐突に、強制的に軍専用の売春婦として大量就業させたことになるのか、
                やっぱり首を傾げます。) 
        
      
                                    

・1942年2月13日、「朝鮮人労務者活用ニ関スル方策」を閣議決定。

・1942年2月13日、「朝鮮人労務者活用ニ関スル方策中 要領七ノ運用ニ関スル 関係省間ノ覚書」を決める。

           その中に「内地ニ在住スル 朝鮮人労務者ハ勿論 新ニ 内地ニ就労スル 朝鮮人労務者ハ 

           総ベテ 労務調整令 其ノ他労務ニ関スル 統制法令ノ 運用ニ依ル 認可ヲ要件トシ 

           統制ノ 完璧ヲ 期スルモノトス」と規定。

・1942年5月26日、昭和17年度 国民動員計画 を閣議決定。

・1942年9月30日、厚生省が「労務報国会設立ニ関スル件依命通牒」を出す

・1942年11月1日、拓務省廃止により、朝鮮総督府に関する事務を内務省に移管

・1943年5月3日、昭和18年度国民動員計画を閣議決定。
                「女子ニ付テハ 其ノ特性ト 民族力強化 ノ必要トヲ勘案シ 
                強力且 積極的ナル 動員ヲ行フ」とある

・1944年8月16日、昭和19年度国民動員計画を閣議決定。

・1945年3月5日、国民勤労動員令(労務調整令・国民徴用令などを廃止・吸収)を公布

・1945年8月15日、敗戦

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