リテラ フォーム (20170828送信UP)

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史料の形式や内容が、それに関係する事に、発展的に連絡し、その性質に適合し、蓋然性を持つか。



8月16日731部隊の記事について

 第二次世界大戦中は、コミンテルンの活動、民族主義の運動、帝国主義の活動、それぞれの利害得失によって、入り乱れる虚々実々の情報操作が、激しく展開された。

 この時、とてもスケールの大きな陰謀が発生した。どこが言い出したかはわからないが、日本をおとしめる情報工作は、戦争中(前?)から始まっていた。731部隊に関しては、場所はソ連のハバロフスク、田中上奏文や南京事件は中国、慰安婦問題も、現在の運動で目立っているのは韓国だが、発祥は中国らしくも思える。中国発のニセ情報は、即座に欧米メディアによって拡散された。
 ニセ文書ニセ情報が、そのまま、もしくは誇大に宣伝され、その活動を、ニセと知って本業とする人々、または騙されてそれを本業とする人々、が増大した。ニセと知って本業とした人々は、社会の中枢を担うエリート中のエリートだった。みんな騙された。
 こういう流れの中で、「事実」であることの根拠に「発言者の権威」を挙げるのは、全く役に立たない。むしろ邪道である。


証明するためには、証拠が必要である。その「証拠」となるものを、 歴史学では「史料」と言う。

「史料」とは、「過去の人間の著しい事実に証明を与えうるものすべて」である。 文献・口碑伝説のみならず、碑銘、遺物・遺跡、風俗習慣、地理、自然など、「証明を与えうるものすべて」である。

 ただし、その性質から考えて、史料には2種類あると言える。
 (1)史料が物質存在として、ある歴史的事件・歴史的対象と、物質的に関係しているもの。
 (2)史料が歴史的対象に対して、
      人間の認識を経由して、人間の論理で整理され、言語で表現されている
      という関係にあるもの。         

 たとえば、 (1)は、モノ的に関係する世界、やわらかい地面を歩けば足跡が残る、というような世界での、「足跡」(痕跡)。あるいは作成物、地理、自然など。(物質世界に残(遺)された物。「遺物」である。)
(2)は、人が歩いているのを見て、誰それが歩いていた、と証言する世界での、「証言」である。

(1)を考察の範囲に入れないものは、歴史とは言えない。
歴史は、物語や文学ではないのだ。


〔史料批判の必要性〕

(1、史料の偽作と錯誤)
  経験的に言って、史料として提供されるものには、しばしば「全部もしくは一部が本物ではない(偽作)」とか、あるいは「それまで承認されていたようなものではない(認定の錯誤)」、というようなことが発生する。(参)過去に出現した偽作
 歴史学では、経験上、「証拠物件として示された史料が、偽作」であることが珍しくない。 従って、「史料が本物かどうかを吟味する」ことが、 最初の手続きであり、基本なのである。
 史料の偽作、あるいは説明の間違い、構成の混乱などは、よくあることである。だから 史料の正当性・妥当性は、常に注意深く検討されなければならない。

(2、証言内容の信頼性)
また、史料が証言する内容について、どの程度信頼できるか、どの程度証拠力があるかを、評価する必要もある。

この場合、証言者は、   論理的な意味で事実を述べることができたのか(認識の錯誤)、 倫理的な意味で事実を述べる意志があったのか(虚偽)、という二点で検討されなければならない。

このように、「史料」はそのままでは、事実の「証拠」として扱うことはできない。 必ず、その「真贋・錯誤」と「内容の信頼性」という面を検討しなければならないのである。

その上で、収集された多くの史料が、証拠物件として役立つかどうか、またもし役立つとしたら果たしていかなる程度に役立つか、を考察する。 以上のような作業を「史料批判」と呼ぶ。

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