数と物質世界と社会         (20171021)

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宇宙から社会を眺める。空中から社会を眺める。
上空のある距離から、人の住む土地を眺める。ある距離から、人を眺める。

こういう世界では、数なんか、人の頭にしかない。
概念は人の脳の中にしかない。

また、「持っている」という言葉も、物質世界で該当しそうな事実は、
身に着けているわずかな物品?しか、指し示すものはない。
      (身に着けている物だって、借りている可能性もある)

こういう対比は、あらゆるものの検討に、これまでとは違った視点をもたらす。


数の概念は、万人共通だということになっている。上記のような物質世界では、
人の頭の中にしか、あるとは思えないのに、人の頭の中では、正解があって、
それは誰でも共通だという。

1+1=2、2×3=6。頭の中で、この操作に該当する物質の動きがあって、
それが人ならば、全員同じように動いている、のだろうか?

ガリレオは「宇宙は数学という言語で書かれている」と言ったそうだ。
天体の動きが、人間の脳の中の数学で予測できるならば、

宇宙の物質とエネルギーの現象は、
脳の中の操作と、共通するものがあるのだろうか?

きっと、人間の脳の中の数計算活動の領域では、
単位とみなしうる極小物質が活動していて、

コンピュータや宇宙の物質現象に、通じるものがあるから、
「宇宙が数学という言語で書かれている」ように思えるのだろう?


「持っている」「自分のもの」という概念は、明らかに、
他者との相互認知である。

なぜ人は、他人の家に帰らず、自分の家に帰るのか。
自分の家にある消耗品は、自分が消耗してかまわないと思っているのか。
自分の家にある自分のエリアの物は自分の物だと思っているのか。

これらは自己認識であると同時に、他者も、それまでの経験によって、
その人の物だと認知しているから、混乱が起きないのである。


社会機構というのは、脳の中で相互に共有している、
社会機構に関する概念、に従って人が行動するから、
「ある」のである。

人以外の物質世界には、社会機構というような物質は、存在しない。

人の脳の中の社会機構の概念に従って、
人が、個人の行動や生活、環境、移動、その他、に反映させるから、
その結果、物質世界に、様々な目的を持った、
建築、通信手段、移動手段、制作物等ができる。

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