新潮新書・秦郁彦『陰謀史観』2012  感想フォーム  (20180203送信UP)

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秦氏は、『南京事件』(中公新書)p131に、「手書きの元兵士日記」を掲載されている。
この日記は、秦氏が、元兵士に直接手渡されたものだそうである。(p281)
日記はホンモノとされて、元陸軍将校団体「偕行社」が出した『南京戦史資料集』に収められ、後続の現代史研究者たちによって、第一級の資料とされた。

しかしこれはニセモノである。これは元兵士が「自分は虐殺した」と告白する日記だが、1行目「(~して)しまった」を「志満っ多」と表記する。
しかしここで「こころざし・満つること・多し」などと書く日本人はいない。

そしてこの手書き日記には、他にも多大の疑問点がある。その違和感は、秦氏にも、即わかるはずである。
従って、秦氏には大きな疑問がある。その著作は、疑って読むべきである。

この『陰謀史観』では、氏はp159で、張作霖爆殺事件での「河本大作の犯行を示す八つの確証」を挙げておられる。
氏は、それらは一次史料だと言うのだが、前述のように、ニセモノを手に入れて本物とした方の言うことであるから、疑い始めたらキリがない。

しかもそれが、元陸軍将校たちの関わる専門家集団によっても、本物と断定されているのだ。
つまり、元陸軍将校たちが関わる専門家集団が、事実の「ねつ造」に関わった可能性があるのである。

その背景は、コミンテルンか、中国共産党か、中国国民党か、あるいはアメリカの情報機関か、
いずれにしても、戦勝国側に立つ武装勢力なら、武装解除された日本の軍人を操ることも可能だろう。

「南京事件」も、「張作霖爆殺事件」も、「戦後にわかった」事実である。
「南京事件」の根拠が怪しくなれば、「張作霖爆殺事件」も、その根拠は怪しい可能性がある。

ということで、本書の「河本大作の犯行を示す八つの確証」をよく見てみよう。
一読して思うのは、「資料の原本(実物手書きなど)の真贋鑑定」に、言及していないということである。

「これだけ証拠がそろっている」と言っても、『南京事件』(中公新書)で露呈したのと、論証の弱点は同じである。

「事実」というものは、 <<それを証明する「証拠」が本物>>でなければならない。

本来なら、以下の検討項目を示して「証拠は本物である」と説明する必要があるのである。
  *今井登志喜『歴史学研究法』1935(昭和10)年より
http://tikyuudaigaku.web.fc2.com/tikyuu.siryouhihann.html

(1)紙質は当時の物か。
筆記具として使ったものは、当時の状況に照らして妥当か。
文字や言葉の使い方は、当時の状況に照らして妥当か。
書風や筆意は、当時の状況と文書の目的に照らして妥当か。
印章は真正のものか。    

(2)その史料の内容は、他の正しい史料と矛盾しないか。

(3)その史料の形式や内容が、
それに関係することに、発展的に連絡し、その性質に適合し、
蓋然性を持つか。

(4)その史料自体に、作為の痕跡が何もないか。
それを検討する方法として、以下に列挙する。

  a) 満足できる説明がないまま遅れて世に出た、というように、
   その史料の発見等に、奇妙で不審な点はないか (来歴の検討)

 b)その作者が見るはずのない、またはその当時存在しなかった、
   他の史料の模倣や利用が証明されるようなことがないか。

 c)古めかしく見せる細工からきた、
    その時代の様式に合わない、時代錯誤はないか。

 d) その史料そのものの性質や目的にはない種類の、
    偽作の動機から来たと見られる傾向はないか。

また、人は、利害がからんだり、公然あるいは暗黙の強制に屈服すると、嘘をつく可能性がある。
戦勝国側に立つ勢力が、武装解除された日本の軍人を操った可能性があるのだから、
氏が疑っているのが河本大作の獄中供述書だけというのでは、まだまだ検証はできていないということである。

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