丹羽美之 研究室 御中   (20180522送信)

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  2018.05.13 日テレ・NNNドキュメント南京事件Ⅱについて


始めに、研究室説明会参加の話ではないことをお断りしなければなりません。
タイトルの通り、NNNの南京事件Ⅱについてです。

NNNドキュメント共同研究が検索でヒットしたので、メールを送ることにしました。
研究や教育にお使いになるなら、是非、目を通して頂きたいと思います。


数々の賞を受賞した南京事件番組の制作者・清水潔氏が、
2018年5月13日放送の日テレ・NNNドキュメント南京事件Ⅱを制作されました。

しかし、この番組も疑問だらけです。
識者の評価対象になる前に、疑問点を書いておきたいと思います。

冒頭に、東京都教育委員会所蔵の写真が出てきます。
(ユーチューブ石井のぶUP映像)
その「市ヶ谷台資料」の写真が、余りにも生々しくて驚きました。
50年たっても、燃え殻が盛り上がっている、なんてことがあるでしょうか。

戦史資料室の「市ヶ谷台資料」PDFを見ると
「防空壕跡らしき地下2メートルの所で発掘」と書いてあります。

東京都教育委員会に確認したら、以下のような返事を頂きました。

「焼却文書は、現在の地表面から約2メートルの深さに掘り込まれた坑に、
投げ込まれた ような状態で出土。
写真は地表面を徐々に掘削している途中で撮影された。
東京都埋蔵文化財センターの調査担当者が撮影し、
写真自体は東京都教育委員会が所蔵。」

しかし写真は、出土物の発掘のイメージに合いません。
覆っていた土を刷毛で慎重に取り除いても、
この状態にするのは困難ではないでしょうか。

そして燃え殻が形を保っているのが不思議です。

元兵士日記について。

(1)山砲兵第19聯隊第三大隊上等兵の日記の映像について

この日記は、日付に大字(拾二月=十二月)を使っています。
日本人は、日付に大字(拾二月=十二月)を使ったりは、しません。

私は、江戸時代の古文書解読の本を、15冊程持っています。
しかし、日付に大字を使った例は、全くありません。

また私は、幕末から昭和10年までの、著名日本人の手書き手紙画像、
170点余をサイトUPしています。

昭和10年刊平凡社『手紙講座』(名前に手書き画像がリンクしています)
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/1894nennikouniumaretahitonomoji.html
ここにも、日付に大字を使った例は、一例もありません。

 一般兵が書く戦闘中の日記で、大量に書く日付が、書くのに時間がかかる大字で、
 著名人がのんびりした日常で書く日付が、簡単な漢数字。
 これは、納得しにくい話です。

間違いなく日本人が書いた日用文には、日付に大字を使った例が一例もないのです。
しかし、南京事件に関係する文書には、日付に大字を使う例が、多発します。

秦郁彦『南京事件ー虐殺の構造』中公新書p131
現物写真版「井家又一日記」
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/syasinnbanniiemataitinikki.html

も、そうですし、番組に登場される小野氏が参加した
『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち―
   第十三師団山田支隊兵士の陣中日記』大月書店1996
にも、たくさん出てきます。

日付の大字だけで、これらの文書の真正を疑うのは、困難かもしれません。
しかし、南京事件文書群における、この非常に顕著な、
異例の傾向は、疑ってみるべきです。

(2)それに、これらの日記がどのようにして日本国内に持ち込まれたか、
について、その足跡をたどるべきです。

なぜ戦後になるまで日本人は南京事件を知らなかったのか、
それは検閲が厳重だったからだ、と、幾人もの研究者が言っています。

その厳重な検閲をかいくぐるのは、さぞスリルがあったことと思われますが、
その裏技について、誰も証言していません。

そして日記が証言するような内容の事件が起きている南京で、
どうやってそれだけの文を書くか、を、考える必要もあります。

机の上でか。昼間の明るい時間に書くのか。
夜なら、戦闘があった時期に、明かりをともしても大丈夫とばかりに、
即座に明かりが確保できたか。

そして、日記を書くのを、見とがめる人はいなかったのか。
日記を書いた人は、検閲なんか、全く心配しないで書いたようだが、
そんな態度で、軍の仕事ができたのだろうか。

背嚢に入れて持って帰れたのか。上陸の際に見とがめられなかったのか。
戦時中に郵送したにしても、どうやって検閲をかいくぐったのか。

(3)そして、ペン書きはおかしい。 戦闘参加者による「ペン書き」については、
ペン書きが南京事件当時の証言史料として出始めた最初の頃から、
これはあり得ない、と、問題になっていました。

清水氏は、それもご存知なかったのか、番組では疑問点の指摘をせず、日記をしげし
げと、詳細に映し出します。
しかし、*「文藝春秋」昭和62(1987)年5月号より、
吉川正司(元都城歩兵第23連隊・中隊長)の「ペン書き」についての意見

 「戦争をしている兵隊が毎日毎日、日記がつけられると思いますか!
 それに鉛筆書きならいざしらず、インクとは恐れいった。
  当時は、ペン書きするには、インク瓶からスポイトでインクを補充せねばならない
時代だが、
戦場へインク瓶を携行するなど考えられない。」


(私の仮説)第二次世界大戦中、元々は中国発だった対日ニセ情報工作に、
連合国国家群が便乗した。
日本軍の残虐行為がねつ造され、連合国で喧伝され、それを利用して、
アメリカの対日残虐行為(つまり日本全土の一般人標的の無差別爆撃、原爆投下)
が正当化された。

敗戦時は、戦勝国が何でもやりたい放題だった。
罪をでっちあげ、戦犯として処刑するなんてことは、簡単だった。

ねつ造した罪の軽減、待遇改善、解放、これらとの交換条件として、
暴力を背景に、多くのニセ情報工作の工作員を仕立てた。

こうして多くの軍関係者や政治家が、ニセ歴史容認・宣伝担当者となった。
映像に出てくる元兵士たちも、そういう人たちかも知れない。

その後もニセ情報工作員養成は続いた。 日本にはスパイが何万といる、
という話を聞いたことがあるが、きっとそうなんだろう。

***こういう流れで考えると、都や戦史資料室に工作員がいてもおかしくないので、
心配しているのです。

南京事件について言うならば、中国で証言をする人々について、
「中国という国が、真実を証言できる国かどうか」を考える必要がある。

中国は簡単に人を殺し、罪をねつ造する、人権無視の国だ。
池上彰『そうだったのか!中国』によれば、 中国共産党は、1950年の建国時に、70万
人もの人を公開で処刑。

 *(明治以降の日本では、権力者が、非武装の同国人を、人前で処刑したりしたこ
とはない。)

毛沢東の大躍進政策の時には、4千万人という膨大な餓死者を出した。
1966年から1976年までの文化大革命の時には、大混乱の中で、50万人が犠牲になった。
1989年の天安門事件では、人民解放軍が、 一般市民を1000人以上殺害した。

 *(日本は戦中戦後の飢餓を克服し、安定した平和な国を作った)

中国には思想犯・政治犯に対する強制収容所・強制労働がある(Wiki)。
情報統制・言論弾圧の国である。

*(誰が本当のことを言うだろうか。。。)

こういう中国の政治環境は、「人は正直に話をすることが出来ない」
「贋作を強制されたら、やるしかない国である」ということを証明するだけである。


その他(5件のニセ情報工作例、5人の工作員実名)
http://tikyuudaigaku.web.fc2.com/180426yamadaakira.html

取り上げることのできなかった論点は、上記全体から説明できるのではないか、
というのが、私が「仮説」と「5件・5人の実例」に言及した理由です。

ご意見、ご感想等いただければ、大変有難いです。


久武喜久代  62歳 神奈川在  suuisyou2006@nifty.com

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