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メーカーさんに書くのは少々外れているかも、とは思うのですが、重要事項です。

アマゾン『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』のレビューに、戦前のペン書きの話が出てきます。
2016.12.25のレビューです。

これに書いてある通り、この本の兵士の証言日記は、皆ペン書きです。私はこれはおかしいと思うのです。

  
   *「文藝春秋」昭和62(1987)年5月号より
  吉川正司(元都城歩兵第23連隊・中隊長)の「ペン書き」についての意見

 「戦争をしている兵隊が毎日毎日、日記がつけられると思いますか!

  それに鉛筆書きならいざしらず、インクとは恐れいった。
   当時は、ペン書きするには、
  インク瓶からスポイトでインクを補充せねばならない時代だが、
  戦場へインク瓶を携行するなど考えられない。」

62歳の私の生活感覚では、こちらの方が本当だと思えます。

レビュー者は、「国産万年筆の生産開始は、1911年で、1940年には、世界の生産量の半数以上を日本が生産し、
一般的な筆記用具として普及していたとありました(南京事件は、1937年です)」

と書きますが、兵士が自分専用の万年筆を携えていた、というようなことはないと思います。
徒歩で20キロから30キロの兵器弾薬を運ぶ必要があったらしい兵に、そんなことは全く思い浮かびません。
これは、業界史として真実でしょうか。それとも嘘記事でしょうか。


現在、南京事件関連ではニセ情報が蔓延しています。
シベリア抑留では、受賞した本にさえ、戦前の農村出身兵は字が読めなかった、なんて書いてあります。
富田武『シベリア抑留 - スターリン独裁下「収容所群島」の実像』(中公新書)p128。

堂々とニセ情報が蔓延し始めたのは、非常に恐ろしい。誰も止めることができないのです。
ペン書きについて、もし南京事件の頃に、戦争中の一般兵が普通に持っているはずはなかった、という事について、
話題が出せるなら、特記事項としてその内容を載せて頂けないでしょうか。
業界として、「上記レビューの内容は嘘です。」と宣伝していただけるなら、もっと有難いです。




***
この本は随分前に図書館で借りて読んだので、全部ペン書きだったかどうかまでは、不確かです。
あの写真でペン書きかどうかは何とも言えなかったような気がするけれど、レビュアーがそう言っているので、引きずられてしまった。
もし全部ペン書きだったら、いよいよおかしい気がするのですが。

清水氏の番組、NNNドキュメント南京事件Ⅰ・Ⅱに出てくる日記は、ペン書きでしょう。私はこれはおかしいと言ってきたのに、
この本の日記は全部ペン書きだ、なんて、言う人が、いるとも思わなかった。***未送信文

これに、私の現状として、以下ページを追加
http://tikyuudaigaku.web.fc2.com/180526kokusaihanihonnjinnyousei.html



以下は、私が問題視しているアマゾンレビュー

アマゾン『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』1996大月書店 レビュー

レビュータイトル:貴重な一次史料として評価 2016年12月25日
 悶(ベスト1000レビュアー VINEメンバー)

私が、本書を読もうと思ったきっかけは、2016年に刊行された「『南京事件』を調査せよ」(清水潔著)を読み、
この作品のもとになったドキュメンタリー番組「南京事件 兵士たちの遺言」を鑑賞したことです。
これらの著作は、南京事件を肯定するものです。
そして、その論拠となったのが、南京攻略戦に参加した元兵士の遺した陣中日記でした。
本書には、その陣中日記が、「黒須忠信(仮名)陣中日記」として収録されているのです。

本書は、民間研究家の小野賢二氏が入手した日記として、合計19名分が記載されています。
いずれも、南京占領後に、捕虜の大量殺害を行った第十三師団の山田支隊に所属していた下級将校や兵士たちが
書いたものです。
黒須忠信氏もそうした兵士のひとりでした。

歴史学では、こうした戦場で、事件の直後に書かれた従軍者の日記は、第一次史料として、大変に価値のあるものとされています。
私は、これまで南京事件に関する書物を10冊以上読んできましたが、
本書のように、第一次史料ばかりを集めたものは、初めてでしたので、とても感慨深いものがあります。
南京事件について、ある程度理解している方には、一度は目を通していただきたい、貴重な資料集だと感じています。

なお、ご存じのとおり、世の中には南京事件の否定論者もいて、
ネットにも先述の南京事件を肯定する著作に関連して、「黒須忠信陣中日記」を否定しようとする人たちがいます。
それは、次のような主張です。

<日記を書いた兵士は、農民出身だが、戦前の万年筆は、高級品で買えたはずがないから、日記はニセモノだ>
ネットの記事には、国産万年筆の生産開始は、1911年で、1940年には、世界の生産量の半数以上を日本が生産し、
一般的な筆記用具として普及していたとありました(南京事件は、1937年です)。
また、先述の著作の中にも、防空壕から万年筆が見つかっているとあります。
それに、そもそも、本書に収録されている日記は、それぞれ最初のページに写真が掲載されていますが、皆ペン書きです。
当時、戦場に赴いた兵士が、家族と連絡を取るには郵便しかなく、手紙をしたためるのに、鉛筆では心もとなかったでしょう。
だから、仮に多少値が張るものであったとしても、自分専用の万年筆は携えていたと考えるのが自然だと思います。

<日記を書いた人物を仮名にしているのは、信憑性に欠ける。検証に耐えられない資料で、一次史料とは言えない>
確かに、本書に掲載されている19名のうち、17名が仮名です。
この点については、本書中に、ことわり書きがあります。
「日記提供者の身もとが明らかになると、この種の資料を公刊した場合に、
さまざまな妨害を加えられるケースも多いため」と。
南京事件の否定論者は、詭弁を弄してでも、否定しようとします。
このように、信用するに足らない人たちなのです。
だから、こうした人たちに資料を公表しないのは当然と私は考えます。
ただ、検証がされていないのではなく、現物や、資料提供者の身もとの確認は、
小野賢二氏だけでなく、複数の協力者により行われています。
つまり、肯定論者の間ではきちんと検証がされているのです。
検証できないのは、否定論者たちだけで、この否定の主張は、単なる言いがかりに過ぎないと言えるでしょう。

なお、否定論者は、本書に掲載されている日記すべてがニセモノと言いだしかねないので、付け加えておくと、
人の書く文章には、それぞれ個性があり、ひとつとして同じものは、ありません。
筆跡についても、言わずもがなです。
また、日記中には、本人しか知り得ない事象が具体的に書かれています。
さらに、記述内容は、日記間に矛盾がなく、それぞれが信憑性を支え合っています。
このため、本書収録の日記は、身もとの確定している本人が書いたものと考えるのが自然です。
誰かの創作だ、などというのは、常識はずれの暴論です。

最後になりましたが、出版社への要望をひとこと。
本書は、定価がそもそも高いうえに、実際の売値は、その何倍にもなっていて、手が届かず、
やむなく、図書館で借りて読むこととしました。
これほど価値のある本なのですから、何とか廉価版を出版していただけないでしょうか。

 
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