ワン・ジョン著、伊藤真訳、東洋経済新報社
『中国の歴史認識はどう作られたのか』2014              (20180802UP)

Never Forget National Humiliation:
Historical Memory in Chinese Politics and Foreign Relations
       Zheng Wang (Contemporary Asia in the World)  
(原書のタイトルの直訳は「国の恥を忘れるな」)

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この本は、国際関係学会(ISA)イエール・ファーガソン賞受賞の本である。
しかし私は、中国関係者による、アメリカでの対日工作活動の一環だと思う。
そこで、日中関係の歴史に関する言及に、疑問符を付けておきたい。

***p47
多くの中国人にとって、恥辱の1世紀の最大の屈辱は日本・・・
かつての中国の朝貢国であり従属国・・・に対する敗戦だ。

***

  日本がかつて朝貢国だったのは確かですが、
  「従属国だった」というのは「間違い」です。

 「朝貢」という形式は、1368年に、元が滅んで明が出来た時に始まります。

  明は建国当初から、国家の公的使節の入出国・貿易しか認めませんでした。

  できたばかりの自国の体制を守るため、反体制派と外国勢が結びついて、
  強くなってこないようにするため、とされています。

  明と交易しようとすると、交易国(明の臣下)と認定してもらい、勘合符をもらって、
  それを持っている、明王朝から認定された交易船でないと、交易できなかった。

  交易国は、明に貢物を持っていき、明から金品を下げ渡してもらう、
  という形でしか、交易ができなかった。

  そして勘合符を持っている船の交易に付属する形で、私貿易もできた。
  それ以外の貿易は禁止だった。
しかもこれは、足利義満が、勝手に日本の王を名乗ってやったことです。

  だから、朝貢国だった、というのは確かです。(?)
  しかし、従属国だった、ということにはならないでしょう。

  明から日本に命令が出され、その命令が機能したとか、
  明から日本に支配者が来ていた、とか、
  そのようなことは一切ないからです。

交易従事者は大儲けしたらしい。
「明の臣下
」という名目をもらっても、
戦争に参加しろと言われたわけでもなく、多額の奉納金を要求されたわけでもなく、
ただ大儲けしただけのことでした。


***同
旅順虐殺事件
***

  南京大虐殺30万人がこれほどのねつ造ニセ文書だらけなら、
  この旅順虐殺事件というのも、最初から見直す必要があるでしょう。

***p49
義和団の乱
***
 この時列強が北京に攻め込んだのは、
清朝が義和団の乱に便乗して、列強に「宣戦布告」をしたからです。

「宣戦布告」が抜けているので、まるで内政干渉のようです。

***p52
南京大虐殺について、日本の少なくとも2紙の新聞が報じた。
***
 これは著者のです。あるいは著者の間違いです。
そのような事実は、全く確認できません。


***p55
1901年の北京議定書調印後の第3期には、中国の領土をめぐるロシアと
日本の競争が激しい闘争へと発展する。

この時期に特徴的なのは、中国における利権を確実に我が物とするために
日本が攻勢に出る一方、他の列強がさらなる中国の分割には動かなかったことである。

***


 これがまた、虚偽に近い描写である。
 日本だけが利権を求めて動いた、と言っているようだ。

 列強は、既に中国を分割していた。
 「中国分割」
 https://www.y-history.net/appendix/wh1403-007.html
   (日本の教科書の図版)
 http://heiwa.yomitan.jp/4/3237.html

列強がすでに版図を確保しているのに、それが説明されないのでは、日本だけが中国を侵略するつもりだった、ということになりかねない。

 それに、この頃の状況は、 日本だけの攻勢という表現で説明できるようなものではない。
列強は自分たちの事で手一杯だったのだ。

この本の書き方だと、この時期のヨーロッパ列強は、日本と違って、中国に対して穏やかな姿勢だった、かのようだ。
これが国際関係学会の受賞本だというのは、なんともおかしい。

それなのに、このような本が受け入れられて受賞する。
このこと自体、隠れた意図が読み取れると、私は思う。

*私の昔の記憶では、昭和は、大正12年の関東大震災・その震災手形の処理問題に発する金融恐慌・世界大恐慌
と、難問がいろいろあった。
大恐慌では、列強は、自分の植民地を中心にしたブロック経済、ソ連は計画経済、アメリカはニューディールなど、の体制でしのごうとした。
しかし日本は窮乏がはげしかった。ドイツも似たようなものだった。

そこで、海外に経済圏を求めようとしたのだ。という話だったような気がする。
その話は全然ないような気がする。ただただ、日本だけが、狂って規範破りに走った、そのことを肝に銘じよ、
みたいな話になっている。一体どうなったのだろう。

国際関係学会の話には要注意
日本史の説明からはかけ離れた、欧米・中国の主張の紹介ばかりになってきているような気がする。*


***P60
21箇条要求

***
 中国皇帝になりたがっていた袁世凱と、裏取引があった、という説もある?


***p62
昔から中国が文化的に劣等と見下していた国、日本に戦争で敗れたのだ。
***


 日本人は昔から、身分の低い者も、女も、読み書きに熱心だった。
 江戸時代の初等教育の教科書は、現在、7千種類も確認できる。
 https://library.u-gakugei.ac.jp/digitalarchive/oraitop.html

 第一次大戦後(1918年以後)には、義務教育就学率が99%を超え、
 誰もが読み書きできた。

 戦前中国で読み書きができた人は、どれくらいいたのだろうか。


 それに日本では、明治時代になってからは、公開処刑なんて、誰も見たことがない。
 中国は北京オリンピック前の2007年まで、公開で人を処刑していたそうだ。 120年も違う。

 1930年代、日本では処刑など誰も見たことがないのに、中国ではそれが当たり前だった。
 私は、野蛮なのは中国だと思う。

池上彰『そうだったのか!中国』集英社2010年版(大型本)(1円で購入)によれば

建国時の3年間で、抵抗勢力(富裕層や国民党の味方)を、70万人も公開処刑(p32)
大躍進政策の失敗で餓死者を4000万人以上出す(p51)
文革の10年間で300万人が投獄され、50万人が処刑された(p72)
天安門事件では、公式発表で4・5百人以上の死者とされているが、少ないと思われている。(p182)

中国は、これらは恥ではなくて、正しい、と鵜呑みにしなければならない国である。
その国が、日本を標的にした活動をしているのは恐ろしい。

そうした活動を、日本人が「参考になる」と言っているのは恐ろしい。

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