マイ・メモ 庭訓往来(3月往信) (20180914)
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(大体の訳)
おめでとうございます。今は遅くなってしまいましたが、
まだまだ大事なことです。
喜びは一日一日と増し重なっていきます。
貴方のお家も一年一年さかんとなって限りなく、
まことにお目出たいことです。
早くお祝いに参りたいと思います。
さて、御領地におもむいて、
いろいろな仕置をされようとしておられること、
感服のいたりと、主君もご満足におぼしめしていらっしゃいます。
領地の四方の境に標示を立てる事については、東西南北、
少しも他の領分を乱してはなりません。
清廉の沙汰を行うことは、奉公の忠勤です。
任地におもむき、その土地の役人や有力者から、
歓迎を型どおりにお受けになったら
(厨くりや〇飯おうはん=饗膳をもうけて、飯食を勧めるの意味)、
早く役人に命じて、領民の戸数・人数を記録した帳簿、
所領から取り立てる田租の高を記した帳簿、以下、
前々から後日の例証とするために書き留めてあった文書(すなわち引付)
によって事を処理し、年貢の督促をしなければなりません。
隠田を容認する者、隠田の耕作者は、処罰のために、
その名を書き連ねた文書を作成して、提出させるべきです。
一方では、農作業のこと、前もって雨が多いか日照りの年かを
判断して処務を致され、開発すべき土地があれば、
農民を招き置いて開発させましょう。
水を便利に使えるようにする必要がある時には、
その土地の農民の務めとして、堤や井戸や溝の、
整備・修築に当たらせなければなりません。
荘園領主が直接経営する田の農耕督励は、
やせ地を除いて地味豊かな所を選び、耕作する者に種や肥料を与えて、
鋤(すき)・鍬(くわ)・からすき(家畜に引かせて使う「すき」)等の農具を使い、
粳(うるしね)、糯(もちい)、早稲(わせ)、晩稲(おくて)
等を耕作させるべきです。
秋の収穫期になれば、臼でついて精米したものを得るように望むべきです。
次に畠の事は、蕎麦(そば)、大豆、小豆、大角豆(ささげ)、
粟、黍(きび)、麦、稗(ひえ)等、
畑、山畠の地味のやせている所と肥えている所にしたがって、
桑代(くわしろ・桑畑に課される税)
加地子(かじし・荘園領主への本地子に付加する年貢。
荘園領主のもとで地主の取り分となる年貢)
を課すべきです。
毎年、その年の実否確認を筋目正しく行なって、
身びいきによる勝手な処置を行なってはなりません。
・・・・・御館(みたち)造作の事、以下略。・・・・・
参:私サイト『庭訓往来』 (3月往信・返信)
初級教科書と言っても、このように上から目線なのです。それが
「天明(1781~1789)以降の江戸後期から末期にかけて、庶民用に改編された庭訓往来が多数普及した。」
というのですから、何かあるのではないか、と、思うではありませんか。
私は、 石川松太郎『庭訓往来』を最初に見たとき、えっ、任地に赴く武士というのは、
このような考え方で赴任したのか、と、びっくりした。
小学校から大学まで、こんな考え方には触れたことがなかった、ような気がした。
それを、江戸時代の庶民が、一生懸命、皆で見ていた、というのが驚きだった、
だから、とても気になったのです。
それに、注釈本には、中国古典や怪しげな逸話の他に、日本書紀も随分出てきますし。
学校で習うのは、江戸時代に関しては、「慶安のお触書」です。wikiには「愚民政策」と図星で出てきます。
それと比べると、極端に違うではありませんか。五人組帳前書などとも全く違う。
(wikiを読むと、慶安のお触書の評価も、随分違ってきているようです)