『現代の理論』
cccpcamera blog (「ソ連のカメラ」コメント欄)
人文書院                  (20180923)

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ペリーが来てから、軍事力を賄うのに、士族では足りなくなって、
あちこちで農民兵の組織が計画されたらしい。

私が知っていたのは、高杉晋作の奇兵隊だけだったけれど、

農民も、士族と一緒になって、国(藩・郷土)を守らねばならない、
という意識で戦ったらしい。

苗字帯刀を求め、身分上昇を目的として戦う人たちなどが、
たくさん出てきたらしい。

で、以下が本日の活動記録。



『現代の理論』 御中

「明治維新」「農民」で検索すると、こちら『現代の理論』の第15号、

千本秀樹先生の「明治維新で人々は幸せになったのか」が出てきました。
その中に、以下のような識字率に関する文がありました。

これは、根拠となる参考文献、史料等は、何でしょうか?

 **当時のことであって正確な統計はないが、幕末には識字率が40%、
 江戸に限定すれば90%以上であり、当時江戸とならんで世界の2大都市
 であったロンドンでは15%であったことと比較すると、
 日本の識字率は世界で突出していたといえる。**

実は私には、日本人の識字率について、特に関心を持つ理由があるのです。

2016年に、1945年以降のシベリア抑留の日本兵に、字が読めない者がいた、
と書いてある本が出ました。

富田武『シベリア抑留 スターリン独裁下、「収容所群島」の実像』
(中公新書)  〔第29回アジア・太平洋賞特別賞を受賞〕

先生個人の問題ではなく、海外勢による悪質な挿入文に見えます。
p128、      
***「多くの初等教育の機会にさえ恵まれなかった農村出身兵士にとっては、
  識字教育の場であり、学びの機会でもあった。」*****

 しかし、1936(昭和11)年の陸軍統計では、
 徴兵検査を受けた者(「合格者」ではない)の内、
 小学校中退・不就学者は、合わせて2.8%です。

 つまり、「97.2%が初等教育を完了」しています。
      (吉田裕『日本の軍隊』岩波新書p165)

 それに中学教科書には、「第一次世界大戦後の日本人の就学率は99%」
 と書いてあります。(教育出版・p256,1996、息子の教科書)

日本人が、ましてや専門家が、このような文を書くとは思えません。
識字率について、詳しく書いた本があれば、見てみたいのです。

参考文献や資料について教えて頂ければ、大変有難いです。
どうかよろしくお願いいたします。



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  (「ソ連のカメラ」ですって。アマゾンレビューにも)

「多くの初等教育の機会にさえ恵まれなかった農村出身兵士にとっては、
初めての識字教育の場であり、学びの機会であった
(のちにカナ・サークル運動が生れた)。」

この訳の分からない文章は、2013年の富田先生の本に出てくるとわかった。
何なのこれ?奇々怪々。

1936(昭和11)年の陸軍統計では、
 徴兵検査を受けた者(「合格者」ではない)の内、
 小学校中退・不就学者は、合わせて2.8%です。

 つまり、「97.2%が初等教育を完了」しています。
      (吉田裕『日本の軍隊』岩波新書p165
有名な<低レベル日本兵宣伝「南京事件あった派」>の先生でさえ、
このレベルでの嘘はつかない)

 それに中学教科書には、「第一次世界大戦後の日本人の就学率は99%」
 と書いてあります。(教育出版・p256,1996、息子の教科書)

ご丁寧にも、カナ・サークルですって。
日本兵の、ですよね、意味は。ロシア人でなく。
そんなもの、あるわけないでしょう。

18世紀後半にロシアに漂着した日本漁民が、ロシア語を覚えるのに、
みんな字を書いてたって、吉村昭歴史小説集の後ろに書いてあった。

富田先生も難しい立場であられるようです。



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「多くの初等教育の機会にさえ恵まれなかった農村出身兵士にとっては、
初めての識字教育の場であり、学びの機会であった
(のちにカナ・サークル運動が生れた)。」

この訳の分からない文章は、2013年の御社刊・富田武先生の本
『シベリア抑留者たちの戦後: 冷戦下の世論と運動 1945-56年』
に出てくるとわかりました。
http://cccpcamera.asablo.jp/blog/2015/08/03/
(ソ連のカメラ・ブログ)

しかし、1936(昭和11)年の陸軍統計では、
 徴兵検査を受けた者(「合格者」ではない)の内、
 小学校中退・不就学者は、合わせて2.8%です。

 つまり、「97.2%が初等教育を完了」しています。
      (吉田裕『日本の軍隊』岩波新書p165
有名な<低レベル日本兵宣伝「南京事件あった派」>の先生でさえ、
このレベルでの嘘はつきません)

 それに中学教科書には、「第一次世界大戦後の日本人の就学率は99%」
 と書いてあります。(教育出版・p256,1996、息子の教科書)

ご丁寧にも、カナ・サークルだそうです。
日本兵の、ですよね、意味は。ロシア人でなく。
そんなもの、あるわけがありません。

18世紀後半にロシアに漂着した日本漁民が、ロシア語を覚えるのに、
みんな字を書いてたって、吉村昭・歴史小説集『大黒屋光太夫』
の後ろに書いてありました。
(「ぐーもー」は英語だから、英米に漂流した人たちだった、かも)

富田先生も難しい立場であられるようです。
海外勢のニセ情報工作が、相次いで発見されています。

1945年終戦時、軍焼却文書の「贋作場面」が放送されて、
ユーチューブにUPされています。

5月13日放送「NNNドキュメント南京事件2」です。

この番組で、終戦時の焼却文書が発掘された、
とする現場写真が放送されました。

それは最初の5分に出てきます。(ユーチューブ)
https://www.youtube.com/watch?v=S9LUdL4ud6M

しかし、燃え殻が盛り上がり、余りにも生々しいので、
映像の説明にある、東京都に問い合わせました。

すると、「間違いなく当時の職員による写真で、
都の教育委員会が所蔵している」という回答を得ました。

「回答文」私ホームページ(掲載了承済み)
http://tikyuudaigaku.web.fc2.com/180521toukyoutokyouikuiinnkai.html

しかしドキュメントの写真は余りにもおかしい。

***
1、防衛研究所のPDF「市ヶ谷台資料」では、防空壕跡らしい、とあります。
壕の中で映しそうなものですが、壕がないのはおかしい。

2、「地表面を徐々に掘削している途中で撮影された」

土を取り除きながら埋まっていたものを掘り出したら、
映像のような状態になるとは思えません。

3、「市ヶ谷駐屯地内(尾張藩上屋敷跡)」

写真そのものに、市ヶ谷であるとわかる部分がない。
そして、2メートルほど低い場所から、映像のような建物と空
が見える場所が、市ヶ谷駐屯地内にあるかどうか、も疑問。

つまり私は、「最初の5分」に出てくる発掘現場の写真というのは、
実は、別の場所で、1996年に燃やされたものではないか、と思うのです。
***

これは、結局のところ、東京都埋蔵文化財センターと防衛省戦史資料室
の両方に、中国のために活動する日本人スパイがいる、
ということになると思います。

私は既に、この問題では、以下のように、
海外を含め大量に問い合わせをしてきています。

しかし、今なお、反論は頂いていません。
http://tikyuudaigaku.web.fc2.com/180805atarasiinityuukankei.html

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