マイ・メモ (『武家諸法度』) (20180927)
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武家諸法度を調べていたら、サイトUPして下さっている方がいた。
「武家諸法度 ー江戸260年を支えた憲法ー」
http://www.hh.em-net.ne.jp/~harry/komo_hatto_front.html#r
(申し訳ありませんが、勝手にリンクさせていただいております)
内容比較表がある。その内容を信頼するならば、
「刑罰執行は役人以外立入禁止」は、1635年以降となっている。
つまり、公開処刑の禁止というのは、1635年から、ということになる。
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これは武士を対象とした規定であって、農民町人は違うのだろうか?
農民町人は公開だったのだろうか。
それにしても、フランス革命で国王と王妃が公開処刑されたのは1793年である。
絵がたくさんあって、非常に有名な話である。
これは、当時の貴族に対する処刑のやり方そのままだから、そうなったのだろうか。
それとも、革命だからという理由で、特別の光景だったのだろうか。
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なかにし礼の小説『赤い月』にも出てくるが、
(エレナというロシア人女性がスパイだったというので、日本刀で斬ってしまったという)
満洲での処刑の方法として、
「臨陣格殺」 (反日と判断したらその場で殺害する権限)
というのがあった、と言うが、本当だろうか?
おかしいなあ。
とにかく、ユン・チアン『ワイルド・スワン』に出てくる、
筆者のお母さんの女友達が、女学校の生徒全員と近所の住民たちが見ている前で、
日本兵にライフルで公開銃殺処刑された、なんてことは、絶対にないと思いますね。