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      (富田武『シベリア抑留』の例について、訂正)  (20181007)



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富田武先生から、『現代の理論』担当者経由で、内容説明の連絡が入りました。

それによると、識字教育というのは、結局のところ、「漢字教育」のことらしい。

就学率の統計上の高さとは裏腹に、現実は貧しさゆえに仕事ばかりで、
ろくに学校に通えなかったため、少々高度な漢字になると、
読めない人達が多かった。

富田「多くの初等教育の機会にさえ恵まれなかった農村出身兵士
   にとっては、識字教育の場であり、学びの機会でもあった。」


この先生の文章を、私は
<初等教育を全く受けず、字が読めなかった>
と、解釈したのですが、

これは
<学校にろくに通えず、高度な漢字までは身につけていなかった>
と、読むべきなのだそうです。


以下、先生の説明より引用(適宜改行しました)
    *『日本新聞』というのは、シベリア抑留中に、収容所で発行された新聞

*****
『日本新聞』は基本的に漢字・ひらがな混じり文で、
難しい漢字はカタカナにしていました(例:欺瞞→ギマン、犠牲→ギセイ)。

同紙1948年6月5日号には「全分所(収容所の小単位)にカナ・サークルをつくれ!」
なる記事があり、次のようなことが書かれています。

「『三・一五』(1928年の日本共産党弾圧事件)を『三百十五』とよんで『反動』
『プチブル』と罵られたひとがじつは文盲だった事実の反省」が発端だった。

534分所で3人の青年がやって来て民主委員に訴えた
「新聞がよみたい、豆しんぶんにもかきたい。だがオレたち3人は百姓で、
家がいそがしく学校にゆけなかった」と。

第一収容所(ムーリー地区)のカナ・サークルには199名が集まったが、
「60%までが意外にも青年で『学歴8年』(国民学校)などといっても、
実際は学校を休んで働いていたため、新聞もよめないものが多い」。以下省略。

*****

『三・一五』(1928年の日本共産党弾圧事件)を『三百十五』と読んだことで、
共産党シンパのインテリから<文盲>と気づいた、なんて言われちゃ、たまらない。

その人は、共産党弾圧事件なんか、知らなかっただけでしょ。
きっと前後の文脈も、意味がわからなかったのだろう。

現物を見ていないからわかりませんが、漢字に続けて
()内にかなで読みを入れればいいものを、
どうして漢字抜き(?)のカタカナで書くんでしょう?意地悪です。

戦前は、いや江戸時代から、漢字には振り仮名が振ってあることが多く、
そういうもので、漢字の読みを覚えていったものです。


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