法制史学会 御中      (20181012送信)

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    平松義郎1957年論文の根拠史料

池上彰『そうだったのか!中国』等の記事にこうあります。
**中華人民共和国は、1950年の建国時に、70万人を公開処刑。**
 
この状況はどういうものかを考えるのに、
日本ではどうだったか、を調べていました。

ダニエル・V・ボツマン
『血塗られた慈悲、鞭打つ帝国』(英文版あり)によれば、
江戸時代初期を除いて、磔や火刑は公開で、
それ以外の死刑は武士も農町民も非公開だった。
ただし明治以降と違うのは、江戸では、市中引き回し、さらし首、
というのが日常的だったことである。

その根拠として、巻末参考文献に平松義郎1957年論文など
が挙げられています。

p31:1862~1865年の間だけでも、江戸では磔が15回行なわれた。
さらにこの4年間に10人の罪人が火刑に処され、
毎年平均100人以上が斬首になっていた。 

P42:江戸の引き回しが、1862年29人、1863年16人、1864年9人、
1865年17人で、年平均18人、
この4年間に生首が1年あたり30回ほど市中を通って刑場へ運ばれ、
引き回しが年平均で50回程度行われていたことになる。
これは、1週間に1回弱のペースである。

上記二つは、同じ一つの史料のように見えます。

高札もあれば、往来物での勉強もあり、
口伝の戒めも多数積み重なったこの時期に、

どうして庶民がわざわざ、権力に殺されるようなことをするのか、
ちょっと不思議です。
そしてこの、元の幕末の史料の「真贋の検討」
はなされているのでしょうか?

私は、日本国内に日本人工作員がいて、
南京事件・慰安婦問題に関して、贋作の疑いが多数あるのを
調べてきた者です。

以下は10月8日に韓国政党に出したメールです。
http://tikyuudaigaku.web.fc2.com/181008kankoku.seitou.html

贋作の疑いでなく、何か、幕末特有の現象として説明できるなら、
それがわかる文献があるでしょうか。

どなたか、教えて頂けないでしょうか?

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