講談社    MF          (20190203 送信)

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加藤陽子著 『昭和天皇と戦争の世紀』講談社学術文庫p59以降、
「北太平洋横断航路が可能になるのはかなり遅く、19世紀後半という。」ですが、これはひどい。誰が言ったのでしょう。

1613年に、支倉常長らの慶長遣欧使節が、仙台からローマに行くのに使った航路が、北太平洋航路です。

ポルトガルはアフリカ南端・インド洋を回って、1511年にマレーシアのマラッカを陥落させました。
マゼランはスペインの船で、南アメリカ南端のマゼラン海峡を通過して、太平洋を横断、1521年、フィリピンに到着しました。
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/supeinntaiheiyoukouro.html 
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マゼランによってフィリピンに手掛かりを得たスペインは、
40年の間に5回の探検をし、1565年、ようやくメキシコへ帰る航路を発見します。
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/KEITYOUKENNOUSISETU.HTML
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こうしてスペインはフィリピンを植民地にしますが、植民地維持に必要不可欠だったのがマニラ・ガレオンでした。(ウィキ参照)

1840年ごろ、ジョン万次郎が捕鯨船に乗っていた頃の航路図をみればわかりますが、アメリカは既に、太平洋を自由自在に走り回っていたのです。
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/mannjiroudaikoukaiki.html
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1898年の米西戦争で、アメリカはスペインからフィリピンを奪います。

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