マイメモ:講談社からの返信について (190206)

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該当文は「汽走船」に関しての事であって、
間違っているわけではない、との返信が来ました。

そうではなくて、太平洋航路の極めて長い開拓史があるのに、
全体として、それらがスッポリ抜けて、
この文章では暗闇のような感じがする。それが恐ろしい。

近代の専門家の手にかかると、みんな大体こんな感じなのだ。
専門・専門で、ぶつ切れになってしまう。加藤氏だけではないはず。

中世史だって詳しいことは書かれない.

太平洋開拓史を知っているみなさん、見つけ次第、みんなで声を上げましょう。
一言付け加えるべきである、と。


太平洋航路は、スペインが、
太平洋をはさんだメキシコとフィリピンをつなぐために、
40年の歳月と、多大の犠牲を伴う5回の探検航海の挙句、
1565年に、やっと開拓した航路だった。

(京で勢力を誇っていたのは、阿波を基盤にした三好長慶だったが、
 その前年に死亡。新たな動乱の時期を迎えた頃である。
 織田信長も、まだ頭角を現していない。)

それからスペイン船は、しばらくの間、北太平洋航路を一人で走り回る。
帆船ながら、安定した独占航路だったのである。

その後、イギリスのクック船長の探検などで、
太平洋が、徐々に人々の目の前に明らかになってくる。

1800年代になると、独占を維持するのが難しいくらいに、開けてくるのである。

「汽走船」が航路を走り始めたことが「画期である」ことを示す内容としては、
説明が余りにも不足だ。

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