マイメモ: 私が戦っていたもの
(20190207)
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私が戦っていたものを列挙してみる。
自然の科学と社会の科学は別である。という言明。
(西洋正統哲学の系譜?林健太郎著より)
マルクスの唯物史観の公式。
経済状態=客観的状況が人間の思考や行動を形成・決定する、
という考え方。
歴史は歴史家が作る。という言明。(E・H・カー)
構造主義その他、私には訳の分からない理論!
社会における人間原子論
(人間一人を原子=最小単位と捉える、既存の哲学。
同じようなものに聞こえるけど、これが全然違う)
歴史には絶対的なものはない。という言明。
すなわち、証明などという考え方は、あり得ない、という考え方。
歴史は科学ではない、物語である。という言明。
社会に科学を適用してはいけない。という言明。
社会を外から見ても、何も導き出すことはできない。
人間を物質と見てはいけない。
自然科学は、人間の「見方の枠組み」に依存したものである。
理論が事実を作る。事実が理論を作るのではない。
史料がないことについて、歴史家が言及をすることはできない。
史料がないことは歴史にはならない。
(この場合の史料とは、文献史料という意味に偏っているのだった)
私はこれらの言明と戦ってきた。
私の闘い
私が、みんなが正しい大枠を知っていれば、そんなに大変なことにはならないのではないか、
と考えてから、50年がたつ。戦争の可能性を考えてみた時の事。
私の世界観からすると、みんなが使える考え方でないと、意味がない、ということだった。
しかし表現するというのは、難しいものだ。なかなか書けない、出てこない。
話変わってマルクスだけれども、どうしてあんなに力を持ったのか。
それは、「唯物史観の公式」として切り取ることができる、短文があったからではないだろうか。
一文一文を取り上げて、私も随分と咀嚼してみたのだが、
強力な宣伝力のある文章だという認識以上の、しっくりくるようなものは、何もなかった。