マイメモ:秦郁彦『実証史学への道』2  
                              (20190225送信)

                           送信済みリストに戻る
               


1953(昭和28)年頃に、ヒアリング前に、一般人が、
軍人の下調べができる資料が、どれくらいあったのだろうか。

簡単な経歴の列挙はあるが、いつどこで何をしていたか、
その概括は全くない。それを確認する資料はあるのだろうか。

何をどのように質問すれば、このような回答が得られるのだろうか。

1953・4(昭和28・9)年のヒアリングに限れば、ほとんどが
昭和3(1928)年から日米開戦(1941年)までの、
中国大陸関連である。

もちろん、日米開戦以降も、戦争は続いている。日米開戦以降の話がない。

終戦から8年。元軍人たちは何を語ったか。

花谷正(59) 満洲事変の発端、華北工作、
神田正種(63) 満州事変、独断越境事件、間島出兵の工作、
田中隆吉(60) 満州事変まで、第一次上海事変、密貿易、
       内蒙工作、綏遠事件(すいえん1936年)、
竹下義晴(62) 張作霖爆殺事件、満州事変、南京事件、
大城戸三治(62) 熱河作戦と天津謀略、南京武官時代、盧溝橋事件、
真崎甚三郎(77) 第一次上海事変、熱河作戦、派閥抗争、皇道派、
田中新一(60) (1953~1960)(独ソ戦・日米開戦あり)

橋本欣五郎(63)革命思想の起源、桜会、三月事件、十月事件、
       2・26事件、
茂川秀和(57)占領地行政計画、熱河作戦と天津謀略、
       第一次上海事変、華北自治工作、盧溝橋事件、
池田純久(59)統制派と皇道派、陸軍パンフレット、国体明徴運動、
      支那駐屯軍、盧溝橋事件、第一次上海事変、
専田盛寿(56)盧溝橋事件、第一次上海事変
橋本群(67)盧溝橋事件、ノモンハン事件、
荒木貞夫(76)シベリア出兵、張作霖爆殺事件、三月事件、十月事件、
       第一次上海事変、国際連盟脱退、国策の提唱
岡村寧次(69)一夕会と人事、熱河作戦、天津謀略、第二部長時代
稲田正純(57)石原莞爾と不拡大、南京を見聞、
牟田口廉也(65)豊台事件、盧溝橋事件、怪射撃、
今村均(67)満州事変、綏遠事件、盧溝橋事件、、
佐藤賢了(58)盧溝橋事件前後、広田内閣倒れる、林内閣から近衛内閣へ、
片倉衷(55)青年将校対策、2・26事件、満洲派、士官学校事件、
山本茂一郎(56)秘書官時代、2・26事件、梅津美治郎について、
福留繁(63)満州事変、帝国国防方針、
河辺虎四郎(63)作戦計画、満州事変、石原莞爾と日中戦争、
鈴木貞一(66)(1954~1961)大正期、満州事変、永田と小畑、朝飯会、
       国策の作成、
寺田済一(59)年度作成計画、カンチャーズ事件、盧溝橋事件、
以上24名。

いずれも、21歳の秦郁彦には、手に負えそうもない年長者、つわもの達だ。
ちなみに昭和天皇は、1901年生まれ。1953(昭和28)年には52歳。

終戦から8年の間に、戦前には知られなかった内輪情報をかき集め、
その他の情報と照合して、ねつ造ストーリーを作る、というようなことが、
できるかどうか。

採録分が全てなのか、それとも前後や他のエピソードもあるのか。

牟田口廉也にインパール作戦の話がない。

注釈で、牟田口はインパール作戦の話に持って行きたがった、
とあるが、それならなぜ、それを聞かなかったのだろうか。

本人がインパールの話をしたがったのなら、
中国関連に限定しなければならない理由はない。

ひょっとしたら、ねつ造担当の中国人は、ビルマの話なんか、
知らなかったのかも、と、私などは思うではないか。

当時、みんな関東周辺に住んでいたのだろうか。






inserted by FC2 system