マイメモ:日経投稿     190411


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今日の1面の「キャッシュ信仰強い日本」という見出しについて。


現金重視を「信仰」と捉える感覚は間違っていると思います。

日本は世界有数の災害大国です。
キャッシュレス社会は、大停電対策と、
抱き合わせで考えるべきです。

私の郷里は、南海トラフ大地震では、最悪の場合、
短時間で巨大津波が到来する、と予想されています。

それで、過去と将来の災害のことを調べていました。
停電とキャッシュレス社会は、現在の所、全く両立しません。

現金利用は信仰ではなく、万が一のための、
最低限必須の担保だと思います。





私は、大津波は、郷里でも、特殊地形の場所の、独特のものだと信じていた。

最悪の場合、と、付けてあるのは、私の実家は、そこまでいかないのではないか、
という期待があるためである。実家は経験がない。

しかし、どこに地殻変動が起きるかわからないのに、期待したら、かえって危険かもしれない。

1946年、終戦後の物のない時代に、私の母方の祖父は、南海大地震で起きた津波で亡くなった。

身内でひそひそ言ってる話を小耳にはさんで、そうなんだ、と、私は思っていた。

しかし、これほどの重大な話でも、山一つ越えただけで、秘密に属する話題になってしまうようで、
車で30分の夫の家では、あり得ない、おかしい話、とされてしまった。

私がこっそり聞いたという事実は、東日本大震災を経過した今では、
災害対応も私の仕事ではないかと思えてくる。


その時、祖父は、いったん避難の後に、再度家に戻ったのだそうだ。何か取りに帰ったらしい。

ところがそこへ津波が襲ってきて、伯父は階段を駆け上がり助かったけれど、
次の瞬間、階段がはずれ、祖父は姿が見えなくなった。

伯父は屋根に登ったものの、家が津波に流されて行く。しかし流されない家があって、
その家の屋根に飛び移って助かった、という、極限の冒険譚なのだった。

伯父の話の不思議の一つが、津波で火が燃えていた、という点だ。

おば達に、それは何?人魂?と言われ、話がとんでもない方向へ。私も不思議に思っていた。
しかし、それどころではないようだ。

小さな集落の、流れない家があった、という話と比べると、東日本大震災の映像は凄まじい。



吉村昭氏『関東大震災』を読んで、『三陸海岸大津波』もちらっと読んだが、
今回の東日本大震災まで、これほどの大変なことが起きるなんて、考えたこともなかった。

関東大震災、阪神大震災、奥尻津波、と、目下、調べ中である。


関東大震災での朝鮮人虐殺という話題も、日本人の災害経験から考える必要があると思うのです。

大震災全体から考えると、私には、これはとってつけた話のように思えるのです。

噂が広がった、というところまでは本当らしく思える。しかし、虐殺なんか、する余裕があるのでしょうか。

今のところ、書かれた本では、否定には遠い状態だったみたいです。

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