マイメモ::津波の地元情報                   20190422

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大川小学校があった釜谷地区は、
300年は津波が来たことがない、と言われている土地だった。
土地は海抜1メートルだが、堤防は6メートル近く?ある。

 (吉村著の巨大津波を読んで思ったのは、明治も昭和も、
  この周辺には本当に津波は来ていなかったのだろうか、

  岩手・宮城の、津波に関する全体的な地勢状況について、
  関心を持つ機会が、なかったということがあるだろうか、

  ということだった。

  しかしその私も郷里を出て40年。その間に、南海トラフ地震
  という共有認識ができてきた。その経緯は知らない。

  しかし40年前は、郷里の町以外の地域の津波なんて、
  私も知らなかった。こちらでパソコンで知った、
  くらいのことである。(だから2000年以降の話)

  自分の所に津波が来なければ、自分達は関係ない、
  と思っていたとしても、おかしくはない、かもしれない。

  郷里で異変を感じたのは、私は2004年のスマトラ沖地震から
  だったように思う。石巻市はどうだったのかなあ。)


大川小学校裏山の土砂崩れが、どの程度のものだったのかは不明。
 (土砂崩れが心配なら、校庭に避難している事自体が、
  危なくはないか。)

ラジオは津波は6メートルとか10メートルとか言っている、
と、迎えに来た母親が言っている。

 そんなこと言ったって、津波なんか来たことがないのに、
 ラジオなんか、どうして信用できるのか、と、先生や大人たち?
 は思っている?

広報車等が、切迫した様子で津波襲来を告げてきた。

この時、津波がすぐに堤防を越えるとは、予想できなかった。

子どもたちを連れて、堤防の三角地帯に向かった、ということは、
低い土地で、校庭が水に覆われるようなことになってはまずい、
という判断だろう。

 津波高を、堤防よりずっと低く、決して堤防は超えない、
 と思っている。

津波を見て車で走ってきた人も、津波の高さを説明できていない。
津波が来ている、としか言えていない。

  広報車が、「堤防の上を、船が川上へ流れて行った」とでも
  言ったのなら別だが。

  「津波が松林を超えてきた」だけでは、
  まだわからない。広報車も死に物狂いだろうし。

 (そもそも、説明しているその瞬間に、
  みるみる水位が高くなって来ている可能性がある。)

広報車も、様子もわからずに低地を走り回るなんて、
極めて危険である。

地元の高所から、はるか沖合の波を見て、
地元情報として、はっきり危険と識別する方法、
それを、停電状態で、高所から連絡・周知する方法。

どうやって?


郷里以外の南海地震の津波例について、
2000年以降に知ったということはない。

郷里の事だけ気にしていて、他の土地の話は、頭に入らなかった、
ということだろう。


徳島県内のことは、確か、聞いたような気がする。それに、高知等のことは、
大学時代に本で見たような気がする。

しかし、危険、を強調する話は、なかったと思う。

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