マイメモ:大里古墳消滅と津波 (20190428)
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27日メールの本郷先生が、中世・応仁の乱や細川氏と四国に言及しておられる方なので、
古くからの懸案事項、郷里の海運と史料改ざんについても、紹介してみた。
徳島県海陽町のこれまでの歴史記述の問題点
歴史記述の問題点ページ、最下段の大里古墳消失原因について。
16世紀末にやってきた新しい支配者・蜂須賀氏系譜が、
古代阿波から続く旧勢力に対する圧迫否定攻撃を続けてきた。
それは現代に至るまで生きていた活動だった。
そのことを、上記の多数の例で示してきた。
その流れで、古墳消失も、蜂須賀氏系譜の活動ではないかと思っていた。
昭和40年代の、道路建設による大里古墳地盤破壊工事も、そうではないかと思っていた。
それ以前の破壊も、蜂須賀氏によるものではないかと疑っていたのだが、
鞆の津波碑である大岩の、慶長津波の記録も、尊重しなければならないのかもしれない。
「大岩慶長・宝永地震津波碑」
https://www.pref.tokushima.lg.jp/rekishiru/nankai/5026074
碑文原文に、津波高30メートルとあるのは知っていたが、
昔の人の誇張ではないかと思っていた。
東日本大震災を経験してみると、改めて、これが事実だったらどうなるか、と、考えざるを得ない。
今でも、30メートルというのは、鞆浦最奥部の一番高く遡上した所の話で、大里台地はそこまでいかなかったんじゃないか、
と考えているのだが、
それでも、古墳を流失させるほどの津波が、来たのかしらん?
もしそうだったら、大里だって壊滅したことになる。
やっぱり半信半疑。そんな話、聞いたことない。
鉄砲隊が80人も駐留している所でそんな被害が出たら、
藩等の記録に、残らないわけがないと思う。