比較:昭和天皇独白録と寺崎日記 (20190509)
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昭和天皇独白録(しょうわてんのうどくはくろく)
参考:ウィキペディア「昭和天皇独白録」
昭和天皇が、1946年(昭和21年)に、
「戦前・戦中の出来事」に関して、側近に対して語った。
その談話を、まとめた記録。
最初は『文藝春秋』1990年12月号で公開された。
作成者は寺崎英成、ということで、
本物と鑑定されて、世論を誘導した文献である。
しかしここでは、これが素人でもわかる真っ赤なニセモノ、ニセ鑑定、
ということを、明らかにしたいと思う。
昭和天皇独白録・手書き原本の写真
(2017年末、高須クリニック院長がオークションで3千万円で競り落として話題になった原本の写真)
内容: 昭和14年 ノモンハン事件の記事 解読
寺崎英成日記・手書きの写真版
( 寺崎英成 『昭和天皇独白録・寺崎英成御用掛日記』 1991年刊文芸春秋より )
下段が昭和20年8月15日(終戦の日)の記事
上の「寺崎英成日記・手書き」と「昭和天皇独白録・手書き」が並んだ、同書籍掲載写真
この本の「昭和天皇独白録・手書き」の部分の内容は、張作霖爆殺事件の記事。 解読
「前書き」「大東亜戦争の遠因」に続き、事件の記事としては冒頭に当たる。
写真の下にも、同じように、張作霖爆殺事件の記事の、解読を載せてある。
寺崎氏は、日記を見ればわかるように、普段は、仮名の部分は「ひらがな」で書く人なのである。
ちらほら草書もあるけれど、日常よく使う文字に限られ、楷書が多い。
「手書き原本・昭和天皇独白録」は、相当こなれた草書を、自在にあやつる人物である。
そして原本の仮名の部分は、「カタカナ」である。
*「草書」を知らない人もいる。 そういう人は、「これは乱筆の早書きである。
誰でも書ける」と言うので、閉口する。草書がわかる人に聞いて欲しい。
昭和21年頃に、46歳で、この「昭和天皇独白録」のように草書を操る人物は、書に造詣の深い人に限られる。
日本人の手書き文字の変遷 著名人と「かな遣い」 草書について
今とは違って、昔は書道を趣味とする人は、一般でもたくさんいたけれど、
寺崎氏のように、法学を学び、アメリカ他、海外で生活し、英語が堪能で、通訳をやるような人は、
草書を学ぶ機会はそんなになかったはずです。
右派として有名で、膨大な資料集を編纂してこられた伊藤隆氏が、
「ニセモノと知りながら本物だと言った」
ことは、まず間違いないでしょう。
他にも多数の関係者がいることは間違いないです。