マイメモ:吉見義明『従軍慰安婦』岩波新書・その2

                               (20190520)

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      慰安婦関連文書は、
      八王子の地下倉庫にあって焼却を免れ、アメリカに接収され、
      日本に返還されて、防衛庁防衛研究所で保存されていた。

 第二次世界大戦中、米軍は、日本全土への大空襲と、
 二度にわたる原爆投下を敢行した。

 彼らは日本に対し、世界に例のない、
 言語に絶する、甚大な苦痛と被害を与えた。

 その恐ろしい暴力集団が、
   日本から巻き上げた資料だから、返してやるよ、
 と言って返してきた。 


普通なら、それは確かに日本から出て行ったものか、と、
少しは疑問に思うだろう。

それなのに吉見氏は、日本がこんなに悪いことをしていた、
その証拠が出た、と、世の中に出してきた。

では、確かに日本から出て行ったものか、
それを確認したか?となると、確認した形跡はないようだ。

吉見義明『従軍慰安婦』岩波新書には、
100余りの慰安婦資料が出てくる。

しかし、米軍が返してきたものについて、鵜呑みにする姿勢は、
とても不思議ではないだろうか?

ましてや彼は、今井登志喜「真贋検討法」「虚偽の例」を、
隠してしまった人の、一人なのである。


********************
吉見義明編『従軍慰安婦資料集』が、
岩波新書でどのように出てくるか。

以下は「1章」の『資料集』所収の資料を、順番に取り上げた。


岩波新書『従軍慰安婦』 1章より

資料ナンバー、()作成者、「」資料タイトル、
   *判明事項とされていること

p15から
34 (上海総領事館作成)

    「昭和13年中に於ける在留邦人の特殊婦女の状況
     及び其の取締並に租界当局の私娼取締状況」


  *上海事変(1932・昭7)の時に海軍慰安所ができた。

2  (       )
     「昭和11年中に於ける在留邦人の特殊婦女の状況及其取締」

  *上海では、36・昭11末、酌婦がいる料理店10、うち7軒が海軍専用。
   性病防止のために、軍と外務省領事館が関与して厳重な検診実施。

4 (赤松小寅 福岡県知事 報告)
    「支那渡航者に対する身分証明書発給に関する件」

  *日中戦争が始まってすぐ、37・昭12年11月30日、
   在日朝鮮人女性二名が、海軍慰安所酌婦となるために、
   福岡県八幡署から渡航証明書の発給を受けた。

      ?どうして知事が、どこにあてて、こんな報告をしたか?

p25
39  (独立攻城重砲兵第二大隊・万波蔀大隊長)
      「状況報告」
  *常州には38・昭13年1月までに、二つの軍直営の慰安所ができていた。

40  (独立攻城重砲兵第二大隊)
      「陣中日誌」
  *軍慰安所開設後も依然として強姦事件が発生していた。

34・36・37・53・54・55・57・58 (各地の領事館の報告)

  *在留邦人(日本人・朝鮮人・台湾人)の職業別人口統計。
   中国人慰安婦の数字なし。軍直営慰安所での数字なし。

   日本人よりも朝鮮人の比率が高く、中小都市への広がりがわかる。

42  (岡部直三郎・北支那方面軍参謀長)
      「軍人軍隊の対住民行為に関する注意の件通牒」

  *強姦事件が各地で頻発。住民の怒りをかい、治安維持上、作戦上
   に支障をきたしている。その対策として、指揮下の各部隊に軍慰安所
   を作るよう指示した。

44  (広州・第21軍司令部)
      「戦時旬報(後方関係)」

  *第21軍が直接統制している慰安婦は850名、指揮下の各部隊が郷土から
   呼んだ慰安婦が約150名、合計1000名。

p34
6  (陸軍省副官通牒)
      「軍慰安所従業婦等募集に関する件」

    <陸軍省の関与を示す最も重要な資料の一つ。
    この公表によって、政府見解が変わることになったもの>1章扉写真


  *支那事変地での慰安所設置のため、日本内地での募集において、
   ことさらに軍部の了解を得ているという口実を使い、そのために軍の威信
   を傷つけ、かつ、一般人の誤解を招く恐れがあるもの、

   あるいは従軍記者、慰問者等を介して、不統制に募集して社会問題を起こす
   恐れのあるもの、

   あるいは人選が良くないため、募集方法が誘拐に類し、警察当局に検挙取り調べ
   を受けるもの、等、

   注意を要するものが多いので、募集については派遣軍が統制し、
   しっかり業者を選定し、その実施については、地元の憲兵・警察当局と
   密接に連携するように。依命通牒す。

    
    兵務局兵務課が立案、梅津美治郎次官決済。

    吉見氏は言う。梅津次官は後に参謀総長。

    敗戦時に戦艦ミズーリで降伏文書に署名したことでも有名な、
    陸軍超エリート。

    文末に「依命通牒す」とあるのは、陸軍大臣(杉山元)の委任を
    受けて出されたことを示す。
    
    つまり、陸軍省がみずから慰安婦政策に関わることを宣言した文書。
                        (私?????)

p36
28  40・昭15年9月(陸軍省)

        「支那事変の経験より観たる軍紀振作対策」
           陸軍各部隊に、教育参考資料として送られた文  


   *事変勃発以来、武勲の反面、略奪、強姦、放火、俘虜惨殺等、
    皇軍としての本質に反する、数多くの犯行を生じた。

    そのために、聖戦に対する内外の嫌悪感を招き、
    聖戦目的の達成を、困難にしつつあるのは遺憾である。

    事変地では、特に環境を整理し、慰安施設に周到な考慮をし、
    殺伐とした感情及び劣情を、緩和抑制することに、留意する必要がある。

    特に、性的慰安所より受ける兵の精神的影響は、最も率直深刻で、

    これについての指導監督の適否は、士気の振興、軍紀の維持、
    犯罪及び性病の予防等に影響するところ、

    大であることを、思わないわけにはいかない。

     吉見氏は言う。

     「士気の振興、軍紀の維持、略奪・強姦・放火・
     捕虜虐殺などの犯罪の予防、性病の予防のために、

     軍慰安所は必要だ」として、その果たす役割を、

     陸軍省が、積極的に認めていたのだ、  と。

        (私、失笑。今の20代の人たちが、お前たちはこういう性質なのだ、
         と言われたら、どんな反応をするだろう、と思うと、笑う。

         ひとまとめの資料だった、という話らしい。その中に一つ、
         こんなおかしなものが混じっていたら、首を傾げそうなものなのに、
         吉見氏は、ごく真面目に書いている。)


p40
5   38・昭13年2月(富田健治・内務省警保局長から、各道府県知事などにあてて)内務省

         「支那渡航婦女の取扱に関する件」

    *慰安婦の渡航は、華北・華中に渡航する場合に限って、これを「黙認」する
     との指示を出し、内務省が慰安婦創出に加担した。

32   38・昭13年 (南京総領事館)
     
    *陸海軍直接経営監督の酒保・慰安所は領事館は関与せず。
      一般の取り締まりは領事館が行なう。


12  (外務大臣と漢口総領事の往復電)
    
         「漢口陸軍天谷部隊慰安所婦女渡支の件」

    *39・昭14年、漢口派遣の師団が、香川県で慰安婦50名を集めた。

16

    *広東省に駐留する台湾連隊は、40・昭15年、専属慰安所の業者の妻を台湾に派遣、
    未成年の16歳2名、18歳、15歳、各1名、最低年齢は14歳で、2名を連行させた。

p45
47   39・昭14年 (早尾乕雄 軍医中尉)
         「戦場に於ける特殊現象と其対策」

    *強姦を防ぐ目的で慰安所を作ったのに、強姦は甚だ盛んに行われ、
     強姦を見て見ぬふりをする部隊長もいた。
         
     将校は率先して慰安所へ行き、兵にもすすめ、慰安所は公用と定められた。
     心ある兵は、慰安所の内容を知って、軍当局を冷笑していた。

       吉見氏は言う。
       慰安所設置は、強姦防止に役に立たなかったことが、よく示されていよう。

48   40・昭15(北支那方面軍)
         「幹部に対する衛生教育順序」

p55
79   42・昭17 (シンガポール 第25軍司令部)
          「風紀の粛清並に防諜及悪疾予防」

     *スパイ防止


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八王子の地下倉庫に疎開していて、焼却を免れた資料とされているものは、
どのような基準で選択され、他にはどのような資料があるのだろうか。


疎開させたと言うからには、それなりの選択基準があると思うのだが、
ここまでの資料では、それが何であるかが、わからない。

今の所、慰安婦資料だけは、しっかり疎開させた?という印象に
ならざるを得ない。

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