アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam) MF
20190527送信
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ウェブ公開の「日本軍「慰安婦」関連公文書」と、
吉見義明氏が『従軍慰安婦』岩波新書1995で語っている発見文書、
との関係が、ウェブページではよくわかりませんでした。
例えば 吉見義明氏が1992年に朝日新聞で発表。
防衛庁防衛研究所にて発見した文書。
とか、これを明示する必要があるのではないでしょうか。
私がわからないと言っているのは、
例えば、以下のような疑問に応えるためです。
*****
慰安婦資料は、吉見義明氏が発見したことになっています。
吉見義明『従軍慰安婦』岩波新書1995、p5に、
慰安婦関連文書は、
「八王子の地下倉庫」にあって焼却を免れ、アメリカに接収され、
日本に返還されて、防衛庁防衛研究所で保存されていた。
という話が出てきます。
私はこの資料群の来歴を、とても気にしています。贋作ではないかと。
そして岩波新書『従軍慰安婦』 1章より、出てくる資料を、
順番に並べて見ました。そして考えました。
吉見義明『従軍慰安婦』岩波新書その2
http://tikyuudaigaku.web.fc2.com/190520mymemo.yosimisiryou.html
資料No.28は笑うしかありません。これは、誰が考えても笑うでしょう。
(「陸軍省」が陸軍部隊に、略奪、強姦、放火、俘虜惨殺等、
皇軍としての本質に反する、数多くの犯行を生じた、
と言っている文書です)
それに、もし疎開させた文書なら、何かひとまとめにする基準が
ありそうなものですが、それがわかりません。
外務省・内務省・陸軍省と広がる部署の、
慰安婦関連だけがあるのですが、他にあったはずの文書は、
疎開させるほどだったはずなのに、
重要なものはなかった、ということでしょうか?
普通なら、残存資料の全体を俯瞰して、
行政や軍部の活動全体の研究に役立てようとするはずだと思うのですが、
この八王子地下倉庫資料について、そのような、
他の文書の研究が出された、ということを、私は今の所、知りません。
八王子の戦中戦後に詳しい方たちも、聞いたことがない、
ということでした。これはとても不思議な残存状況です。
この資料の残存状況は「贋作の動機から来たと見られる傾向」
ではないでしょうか。
ひょっとしたら、八王子地下倉庫資料というのは、
慰安婦関連資料だけしかない。しかもそれは、
捏造されたがためではないか、と、私は疑っています。
*****
上記文の「八王子の地下倉庫」にあった以下の経緯が、
WAMサイトでは、全く見えないようです。
デジタル記念館・慰安婦問題とアジア女性基金
http://www.awf.or.jp/6/document.html
も見てみましたが、私が言っている、吉見著にある来歴のようなものが、
わかりません。
吉見氏発見資料は、防衛庁防衛研究所で見つけたものです。
その他の政府発見資料、警察資料、外務省資料というのは、
いつ、誰が、どこで(警察庁や外務省の、どこそこの倉庫、とか)
どのように発見したか、という「来歴」も、どうしても必要なものです。
焼却したはず?の文書は、どのような理由でそこにあったのか、を
確認する必要があります。
資料の検討方法に、以下のような観点があります。
3、その史料の形式や内容が、それに関係する事に、
発展的に連絡し、その性質に適合し、蓋然性を持つか。
「歴史認識の基本」史料批判・(1)外的批判(1)真贋の検討 3、
http://tikyuudaigaku.web.fc2.com/190202maimemo.kannryaku.html
古代から現代へと、フィルムを早送りするように、
社会を 時間短縮で観察することを、想像してみましょう。
これらは、映像技術から来る「物質世界の時間と空間の連続イメージ」です。
日本を、フィルムの早送りのように観察することを想像してみた時、
吉見義明『従軍慰安婦資料』NO.28のような事例は、ありそうもないことだと、
私は思うのです。
私は、慰安婦問題の資料は、かなりのものが贋作ではないかと疑っています。
それは、他に、重大な贋作文書の発見例があるからです。
5月23日送信文
http://tikyuudaigaku.web.fc2.com/190523huruya.html