日本ジャーナリスト会議  御中      (20190610送信)

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貴会サイトでしばしば話題になっている歴史認識問題関連の、
資料について、ご承知頂きたいことがあります。


(1)NNNドキュメント南京事件Ⅱ・2018

2018年5月13日放送の日テレ・NNNドキュメント南京事件Ⅱ冒頭に、
東京都教育委員会所蔵の写真が出てきます。

戦史資料室の「市ヶ谷台資料」PDFを見ると
「防空壕跡らしき地下2メートルの所で発掘 」と言います。

発掘と言うと、「考古学・発掘現場・写真」で検索すると、
いろいろ出てきます。

こんな発掘現場はあり得ません。
おかしいと思って都に聞きました。

以下は東京都教育庁地域教育支援部からの回答です。

  2018年5月13日放送の日テレ・NNNドキュメント南京事件Ⅱ、
  冒頭に使用された写真は、

   東京都埋蔵文化財センターが市ヶ谷駐屯地内(尾張藩上屋敷跡)
  で発掘調査中、焼却文書が出土した際のスナップ写真です。

   焼却文書は、現在の地表面から約2メートルの深さ
  に掘り込まれた坑に、投げ込まれたような状態で出土しました。

  写真は地表面を徐々に掘削している途中で撮影されたものです。

   東京都埋蔵文化財センターの調査担当者が撮影し、
  写真自体は東京都教育委員会が所蔵しています。

  なお、焼却文書は市ヶ谷駐屯地内の埋蔵文化財調査の対象ではなく、
  全て回収し、防衛省に引渡しました。

「東京都教育委員会からの回答」(原文は担当者署名入り)
http://tikyuudaigaku.web.fc2.com/180521toukyoutokyouikuiinnkai.html

現在ネットで確認できる映像は、地下2メートルから写したという、
周囲の建物が写った遠景の部分等を、カットしてあるようです。

それでも、その生々しさは、充分におかしいという印象を与えます。

上記の事実は、
東京都埋蔵文化センターと防衛省戦史研究室に、
ねつ造文書の関係者がいる、という証拠です。


(2)『歴史の事実をどう認定しどう教えるか』教育資料出版社1997

吉見義明氏は、以下の本の鼎談で、
既に1935年からあった「史料の真贋検討法」等を書いた本
を話題にしていました。(今井登志喜『歴史学研究法』)

   参考『歴史の事実をどう認定しどう教えるか』
   教育資料出版社1997・p190     

しかしながら彼は、その本の内容(真贋の検討法、虚偽の例)を、
人に教えず、自分が提出する資料の真贋を、全く検討してきませんでした。

最初に吉見氏が発見した慰安婦関連文書は、
防衛庁防衛研究所で保存されていました。
        (吉見義明『従軍慰安婦』岩波新書1995、p5)

つまり、慰安婦関連文書には疑惑があるのです。


(3)吉見義明『従軍慰安婦』岩波新書1995

p5に、
  慰安婦関連文書は、
「八王子の地下倉庫」にあって焼却を免れ、アメリカに接収され、
 日本に返還されて、防衛庁防衛研究所で保存されていた。

という話が出てきます。
私には、この資料群の来歴がとても気になります。

防衛庁防衛研究所で保存されていた、と言うのですから。

そして岩波新書『従軍慰安婦』 1章より、出てくる資料を、
順番に並べて見ました。そして考えました。

吉見義明『従軍慰安婦』岩波新書その2
http://tikyuudaigaku.web.fc2.com/190520mymemo.yosimisiryou.html

資料28はあり得ないと思います。

「資料28 詳細」
http://tikyuudaigaku.web.fc2.com/190605ianfusiryou.html

p36の資料28は、「陸軍省」が陸軍部隊に、
教育参考資料として出した文です。

「略奪、強姦、放火、俘虜惨殺等、
皇軍としての本質に反する、数多くの犯行を生じた。 
そのような感情や劣情を抑えるには、性的慰安が効く」

と言っています。

「陸軍省」が陸軍の、そのような悪事を公文書に残すでしょうか。
しかも「その対策には性的慰安が有効だ」なんて、書くでしょうか。

日本社会の上層部は、歴史の前後を観察して、そのような悪事を、
公文書に残してきたでしょうか。

そして日本の若者は、歴史の前後を観察して、
そのような悪事をしてきたでしょうか。

上層部に、お前たちの悪事や劣情には性的慰安が効く、と言われて、
日本の若者は、その通りだ、と思う人達だったのでしょうか。

八王子の戦中戦後に詳しい人たちは、八王子地下倉庫資料

なんて話は知らないし、ましてや慰安婦関連など、
聞いたことがない、と言っています。

吉見著の資料は、外務省・内務省・陸軍省と広がります。

疎開させるほどだったのなら、「当時の人が見て」
もっと大事な資料があったはずです。

資料が発見されてから、28年が立ちます。
しかしその、「当時の人が見て」 大事だったはずの資料
は、全く研究されていないようです。

多くが焼却された中、もし残った資料があるなら、
それだけで貴重なはずです。

しかし同時に疎開させてあった、他にあるはずの大事な資料と共に、
ひとかたまりとして研究した、という話は、 聞きません。

普通なら、残存資料の全体を俯瞰して、
行政や軍部の活動全体の研究に、役立てないといけないのです。

研究者なら、この状況はおかしい、と、
思わなければならないはずなのです。

他にもハッキリとした贋作が出ている中では、
これらも贋作を疑う必要があると思います。

ひょっとしたら、八王子地下倉庫資料というのは、
慰安婦関連資料だけしかない。しかもそれは、
贋作だからではないか、と、私は疑っています。


(4)『昭和天皇独白録』は贋作です。

直接の鑑定者は、右派、東大・近現代史の大御所・伊藤隆氏です。

これは側近の寺崎英成氏が書いた、とされています。

しかし寺崎英成氏手書きの「日記」と、手書き『昭和天皇独白録』
を並べると、全くの別人によって書かれたものであることが、
一目でわかります。

「比較:昭和天皇独白録と寺崎日記」
http://tikyuudaigaku.web.fc2.com/190509kanteidokuhakuroku.html

 吉見義明氏は、(4)の伊藤隆先生とも接点がおありです。
           伊藤隆『歴史と私』p69、p72等。


(5)秦郁彦『南京事件ー「虐殺」の構造』1986年初版p131の、
虐殺証言の元兵士日記は、贋作です。

これはこの本のp281によると、
秦氏が元兵士から直接手渡されたものだそうです。

写真版:元兵士日記
http://hiyori.yamanoha.com/syasinnbanniiemataitinikki.html

私論文:南京事件元兵士日記、贋作
http://hiyori.yamanoha.com/ronnbunn.html

1行目下に、「しまった」の変体仮名「志満っ多」
が出てきますが、文字の意味は「こころざし満つること多し」です。

  虐殺証言なのに、「めでたい」と、
  文字がほほ笑んでいるような感じなのです。

この贋作日記は、偕行社刊『南京戦史資料集』にあるものです。
<『南京戦史資料集』に収められている日記類>
http://tikyuudaigaku.web.fc2.com/190519nankinsensi.siryou.html


(6)秦郁彦『実証史学への道』2018

秦氏は、戦後1953に、多くの軍関係者に インタビューして、
戦前の政府発表は嘘だった、と、多くの史実を
逆転させて、若くして論壇に登場された方です。

しかし、この方が当時21歳の法学部の学生なのに、
戦前の事件の首謀者は全部日本人だった、と告白する元軍関係者は、
60歳前後の人たちばかりです。

古い細かい内部の話を、しかも国家的に考えて、
国の立場を悪くする方向の話を、この年齢差の若者に、するだろうか、
という疑問がわきます。

秦郁彦『実証史学への道』後半に掲載されているヒアリングの内容は
以下のようなものです。

秦郁彦『実証史学への道』2018
http://tikyuudaigaku.web.fc2.com/190225maimemo.hata2.html

本には軍関係者の年齢は載っていませんが、私が計算して出しました。

戦時中は、軍の行動や軍人たちの行動は、
国民に明らかにされているわけではなかったようですし、

戦争直後には、多数の文書焼却もありました。
軍人たちの行動の概略といえども、照合可能な明確な文書が、
あったわけではないと思います。

予備知識も困難な状況で、しかも法学部の秦氏は、
どのようにしてヒアリングができたのだろうかと、
私は疑問に思っています。


(7)偕行社編『南京戦史資料集』1989

(5)の偕行社編『南京戦史資料集』に戻りますが、
  (贋作・南京事件元兵士日記は『南京戦史資料集』所収)

何と言っても、解読責任者の一人である藤原彰氏は、
中国戦線を戦い抜いた元陸軍将校であり、

東大歴史学を出て、一橋大学教授・社会学部長となり、
歴史学研究会委員長も務められた、偕行社員でもある方です。

偕行社は靖国神社敷地内にあり、靖国神社は保守の方たちには、
畏敬の場所でもあるわけですが、

その陸軍将校たちが、贋作と知りながら、それを握りつぶしたのです。

こういう歴史認識問題の全体の流れの中に、私達はいる、
ということを、私は申し上げたいと思います。


今井登志喜「資料の真贋検討法」に、以下のような観点があります。

   3、その史料の形式や内容が、それに関係する事に、
     発展的に連絡し、その性質に適合し、蓋然性を持つか。

   私筆「歴史認識の基本」 今井登志喜・史料批判・
        (1)外的批判(1)真贋の検討 3、
      http://tikyuudaigaku.web.fc2.com/190202maimemo.kannryaku.html

古代から現代へと、フィルムを早送りするように、
社会を 時間短縮で観察することを、想像してみましょう。

これらは、映像技術から来る「物質世界の時間と空間の連続イメージ」です。

日本を、フィルムの早送りのように観察することを想像してみましょう。

 それに、史料の形式や内容が、それに関係する事に、
     発展的に連絡し、その性質に適合し、蓋然性を持つか。

 という問いを重ね合わせて考えると、

吉見義明『従軍慰安婦資料』NO.28のような事例は、ありそうもないことだと、
私は思うのです。


****
明治以降の日本では、
権力者が、非武装の同国人を、人前で処刑したりしたことはありません。
日本人は、権力によって、人が公衆の前で殺されるのを、見たことがありません。
***

これは私達日本人には当然のことのようでもありますが、
他国の実情と比較することによって、
日本人の特性を際立たせることができる、大きな事実ではないかと思います。


例えば中華人民共和国。
wiki「中華人民共和国の歴史」毛沢東時代(1949年 - 1978年)

1953年までに71万人を処刑、129万人を逮捕、123万人を拘束し、
240万人の武装勢力を消滅させた。
(中国の解放軍出版社より出版された国情手冊による。
 他文献では、処刑はすべて公開だったとされている)

ロシア
wiki(スターリンの)「大粛清」

最盛期であった1937年から1938年までに、

134万4923人が即決裁判で有罪に処され、
半数強の68万1692人が死刑判決を受け、
63万4820人が強制収容所や刑務所へ送られた。

日本人は、このような恐ろしい経験は、したことがありません。

私には、ヨーロッパ諸国やアメリカとの比較はわかりませんし、
アジア・アフリカ諸国との比較もわかりません。

また日本に関しても、経緯や実情が詳しくわかっている訳ではありません。

しかし少なくとも、中国が中心となって発信する日本残虐非難に対しては、
日本国の特質として、強く否定主張する根拠となる事実だろうと思います。

参考:武家諸法度
http://tikyuudaigaku.web.fc2.com/180927bukesyohatto.html
(1635年から、武家は非公開)


その他の疑惑・贋作(毎日新聞へのメール)
http://tikyuudaigaku.web.fc2.com/190429mainitisinbun.html

ご意見が頂ければ大変有難いです。


久武喜久代  63歳  神奈川在  suisyou2006@nifty.com

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