【全体像についての仮説】       (20190707)


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〔戦前〕

1937年(昭和12年)12月、日本軍が南京を攻略した。

この時、中国とアメリカの工作員による秘密工作、「南京大虐殺捏造」が始まった。

中国とアメリカでは、日本軍の残虐非道行為が大々的に宣伝された。
   特にアメリカでは 「日本軍は中国人30万人を無差別に虐殺した」とされた。

それを根拠に、アメリカ軍は、
日本全土への無差別殺戮である大空襲、原爆投下を行った。

日本の民間の空襲被害者は、原爆の犠牲者を含むと、50万人とも言われる。


〔戦後〕

極東国際軍事裁判(東京裁判)「南京大虐殺」が認定され、
日本国民は初めて事件を知らされた。

絞首刑となった戦犯7人の内、二人が「南京大虐殺」の責任を問われた。

敗戦時は、戦勝国が何でもやりたい放題だった。
罪をでっちあげ、戦犯として処刑するなんてことは、簡単だった。

ねつ造した罪の軽減、待遇改善、解放、これらとの交換条件として、

暴力を背景に、
権威者・情報発信力を持つ人物を狙って、

ニセ情報工作の工作員に仕立てれば、それは相当な威力を発揮するだろう。

   「捏造した罪で、いくらでもお前を処刑できる。」

こう言われて工作員に転換させられた人々は、軍関係者には数多い。(仮説)

   (「検証されず、信頼性の低い文献が、大量に存在すること。明白な贋作もあること。
   それらを使って、日本人の極悪非道ぶりを強調宣伝する人々が、
   国内に大量発生した」ことについての、極東軍事裁判のルートでの仮説)
                    

〔ニセ情報工作〕

連合国国家群の、かつては世界大戦用プロジェクトだったニセ情報工作は、
こうして戦後に引き継がれることになった。

  1953年(昭和28年)秦郁彦(当時21歳)が、巣鴨プリンズンに収監中の、
  A級戦犯を含む旧陸海軍軍人百数十人のヒアリングを実施。

   (収監中の元軍人たちが、戦前は中国の仕業とされていたことを、
    実は日本軍の謀略だった、と修正証言した。)

   (60歳くらいの軍歴長い軍人が、21歳の無名の学生に、
    国の立場を損ねるような証言を、したことになっているのが不思議)

   (秦は、中学生時のアルバイトで、占領軍との接触あり)

終戦時に、本土決戦大隊長だった藤原彰(当時23歳)は、
東大で歴史学を専攻させられ、研究者となって後、

1980年代の南京大虐殺証言文書の発掘、提出に、深く関与する。


1972年の日中国交正常化の頃には、藤原彰50歳

若かった元軍関係者たちは壮年になり、
工作員として強力な影響力を発揮できるようになっていた。

その前年の1971年本多勝一(当時39歳)の『中国の旅』が朝日新聞に掲載され、
南京事件論争が幕を開ける。                
                             南京事件論争史


   伊藤隆(1932年生)(右派に潜伏した現代資料編纂、東大近現代史の大物。
             本多勝一と同い年。
             若い頃はマルキスト。学生運動の中心だったらしいが、
             どこで工作員にリクルートされたかは、わからない。)

   吉見義明(1946年生)(伊藤隆の系列)



ニセ文書の、達筆・草書を見れば、中国系だろうと推測する。
これは「 中国共産党の国家プロジェクト」だろう。

第二次世界大戦中の、元々は中国発だった対日ニセ情報工作に、
連合国国家群が便乗した。

そして45年前からは、これら戦時中プロジェクトを基盤にした、
「中国による、日本を標的とした、世界的な国家プロジェクト」
になったのだろうという仮説である。



チベット・内モンゴル・新疆ウイグルの例を見るまでもなく、
中国の領土拡大、抑圧支配の意思は明白で、軍拡は確実である。

南シナ海・南沙諸島の埋め立て、巨額貸付によるスリランカの港湾取得、
こうした気になる動きと、日本標的のニセ情報工作・軍事的威圧は、
連動しているとみて、警戒を怠るべきではない。

防衛省や東京都、学者たち、そしてメディア関係者たち、ネット関係者たちに、
ニセ情報工作員が潜んでいる状況は、非常に危険。




明治以降の日本では、
権力者が、非武装の同国人を、人前で処刑したりしたことはない。
日本人は、権力によって、人が公衆の前で殺されるのを、見たことがない。
***

これは私達日本人には当然のことのようでもあるが、
他国の実情と比較することによって、
日本人の特性を際立たせることができる、大きな事実ではないかと思う。


例えば中華人民共和国。
   wiki「中華人民共和国の歴史」毛沢東時代(1949年 - 1978年)

     1953年までに71万人を処刑、129万人を逮捕、123万人を拘束し、
     240万人の武装勢力を消滅させた。

    (中国の解放軍出版社より出版された国情手冊による。
     他文献では、処刑はすべて公開だったとされている)

ロシア
   wiki(スターリンの)「大粛清」

     最盛期であった1937年から1938年までに、

     134万4923人が即決裁判で有罪に処され、
     半数強の68万1692人が死刑判決を受け、
     63万4820人が強制収容所や刑務所へ送られた。


このように共産主義国では、体制に疑問を持つと、
それだけで殺されたのだ。

疑問を持つ者が、二度と現れないようにするために。


日本人は、このような恐ろしい経験は、したことがない。

私には、ヨーロッパ諸国やアメリカとの比較はわからないし、
アジア・アフリカ諸国との比較もわからない。


また日本に関しても、経緯や実情が詳しくわかっている訳ではない。

しかし少なくとも、中国が中心となって発信する日本残虐非難に対しては、
日本国の特質として、強く否定主張する根拠となる事実だろうと思う。

参考:武家諸法度
http://tikyuudaigaku.web.fc2.com/180927bukesyohatto.html
(1635年から、武家は非公開)



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