マイメモ:
「行政や防衛省がわざわざ戦争犯罪のニセの証拠を捏造する動機」
                                          (20190718送信)

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就寝前のメールチェックで返信の質問があるのに気がつきました。

私は家族や周辺を納得させられないので、四苦八苦です。

メール送信に反応がない、というようなことでは、
「私にとって肝心な人たち」が、首を縦に振りません。聞く耳を持たないので、説明もできません。

こういうわけで、問い合わせに対する自分の説明も重要なので、UPします。


お返事ありがとうございます。
私の返信は、おそらく歓迎はされないだろうと思います。

ですが、「行政や防衛省がわざわざ戦争犯罪のニセの証拠を捏造する動機」
について、説明できればいいかなあと思います。

チベット・内モンゴル・新疆ウイグルの例を見るまでもなく、
中国の領土拡大、弾圧支配の意思は明白で、軍拡は確実です。

南シナ海・南沙諸島の埋め立て、巨額貸付によるスリランカの港湾取得、等、
中国の拡大政策は、そのまま人権抑圧政策の拡大です。

その中国の手が、日本の行政や防衛省に及んでいる、という話です。
要するに、中国によるニセ情報工作・陰謀論です。


しかし右翼とは違うところがあります。
それが、先のメールの最下段二つです。

  天皇家が古墳時代に運営にかかわっていたという証拠はない、ということ。
 「史料批判」の解説。


明治以降の日本では、
権力者が、非武装の同国人を、人前で処刑したりしたことはありません。
日本人は、権力によって、人が公衆の前で殺されるのを、見たことがないのです。
***

これは私達日本人には当然のことのようでもあります。
しかし他国の実情と比較することによって、
日本人の特性を際立たせることができる、大きな事実ではないかと思います。

参考:武家諸法度
http://tikyuudaigaku.web.fc2.com/180927bukesyohatto.html
(1635年から、武家は非公開)

例えば中華人民共和国。
   wiki「中華人民共和国の歴史」毛沢東時代(1949年 - 1978年)

     1953年までに71万人を処刑、129万人を逮捕、123万人を拘束し、
     240万人の武装勢力を消滅させた。

    (中国の解放軍出版社より出版された国情手冊による。
     他文献では、処刑はすべて公開だったとされている)



ソ連崩壊のすぐ後に、ソ連の文書が外部に出、それを元に書かれた本に、
中薗英助『スパイの世界』岩波新書1992があります。

p51
 KGBの重視する謀略に、「ニセ情報工作」というものがある。

  意図的に挑発的な噂をひろめたり、ニセの情報を、
  口頭や偽造文書などで流し込む特殊宣伝のことである。

p52
  特殊宣伝、あるいは非合法宣伝の目的は、外国政府の政策に影響を与え、
  他国間の関係を誤らせ、自国を攻撃する組織や個人の力を低下させ、
  信用を落とさせるなど*****

p129
 ニセ情報工作の工作員とは、
 一国の世論を自国に有利に動かせるような有力者、
 たとえば政治家やジャーナリスト、政治評論家、労組幹部、大学教授ら。



〔戦前〕1937年(昭和12年)12月、日本軍が南京を攻略。

この時、中国とアメリカの工作員による秘密工作、「南京大虐殺捏造」が始まった。

中国とアメリカでは、日本軍の残虐非道行為が大々的に宣伝された。
   特にアメリカでは 「日本軍は中国人30万人を無差別に虐殺した」とされた。

それを根拠に、アメリカ軍は、
日本全土への無差別殺戮である大空襲、原爆投下を行った。

日本の民間の空襲被害者は、原爆の犠牲者を含むと、50万人とも言われる。


〔戦後〕
極東国際軍事裁判(東京裁判)で「南京大虐殺」が認定され、
日本国民は初めて事件を知らされた。

絞首刑となった戦犯7人の内、二人が「南京大虐殺」の責任を問われた。

敗戦時は、戦勝国が何でもやりたい放題だった。
罪をでっちあげ、戦犯として処刑するなんてことは、簡単だった。

ねつ造した罪の軽減、待遇改善、解放、これらとの交換条件として、

暴力を背景に、権威者・情報発信力を持つ人物を狙って、

ニセ情報工作の工作員に仕立てれば、それは相当な威力を発揮するでしょう。

   「捏造した罪で、いくらでもお前を処刑できる。」

こう言われて工作員に転換させられた人々は、軍関係者には数多い。(仮説)

   (「検証されず、信頼性の低い文献が、大量に存在すること。
    明白な贋作もあること。

   それらを使って、日本人の極悪非道ぶりを強調宣伝する人々が、
   国内に大量発生した」ことについての、極東軍事裁判のルートでの仮説)
                    
〔ニセ情報工作〕

連合国国家群の、かつては世界大戦用プロジェクトだったニセ情報工作は、
こうして戦後に引き継がれることになった。

  1953年(昭和28年)、秦郁彦(当時21歳)が、巣鴨プリンズンに収監中の、
  A級戦犯を含む旧陸海軍軍人百数十人のヒアリングを実施。
                   (参:『実証史学への道』後半)

   (収監中の元軍人たちが、戦前は中国の仕業とされていたことを、
    実は日本軍の謀略だった、と修正証言した。)

   (60歳くらいの軍歴長い軍人が、21歳の無名の学生に、
    国の立場を損ねるような証言を、したことになっているのが不思議)
        (本には軍人たちの年齢が書いてありませんが、
        計算すればわかります)

   (秦は、中学生時のアルバイトで、占領軍との接触あり)

終戦時に、「本土決戦大隊長」だった藤原彰(当時23歳)は、
東大で歴史学を専攻させられ、研究者となって後、

1980年代の南京大虐殺証言文書の発掘、提出に、深く関与する。

   以下の秦郁彦『南京事件』の手書きの証言日記が、贋作です。
   藤原彰氏も、鑑定者であるはずです。
http://hiyori.yamanoha.com/syasinnbanniiemataitinikki.html

私は、幕末から昭和10年まで、170人余りの手書き画像による、日本人の筆記法の変遷
の説明を添付して、贋作であることの説明をしています。

冒頭1行目の「しまった(志満っ多)」の変体仮名の意味が「こころざし満つること多し」で、
解読できる者には、文字が「めでたい」とほほ笑んでいるような感じがするのです。

1972年の日中国交正常化の頃には、藤原彰50歳。

若かった元軍関係者たちは壮年になり、
工作員として強力な影響力を発揮できるようになっていた。

その前年の1971年、本多勝一(当時39歳)の『中国の旅』が朝日新聞に掲載され、
南京事件論争が幕を開ける。
                
南京事件論争史
http://tikyuudaigaku.web.fc2.com/190707nankinjikenronsousi.html


仮説です。   久武





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