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<あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」及び《平和の碑》
       展示中止反対ご署名の呼びかけ>

 呼びかけ人のみなさま
 (失礼ながら、敬称は略させて頂きます。
  希望の種、熱田敬子、鄭幸子、藤永壮、加藤圭木、絹川知美、清末愛砂、
  牟田和恵、乗松聡子、山口智美、不戦へのネットワーク)

                          (20190805送信)

                   送信済みリストに戻る


皆様は既に、慰安婦問題が日本国内で問題にされなくなってきている、
という認識をお持ちだと思います。

しかし、反対・抵抗が明確になってきている、のは、

これが「スパイによるニセ情報工作」である、ということが、
明らかになってきたからです。

国際関係を揺るがす事件なので、表沙汰にできない事情の下に、
事態が進行中であると考えられます。


慰安婦問題専門家・吉見義明氏に重大な疑問が出ています。

吉見義明『従軍慰安婦』岩波新書1995年、p5に書いてあります。

  慰安婦関連文書は、「八王子の地下倉庫」にあった。
  アメリカに接収され、日本に返還され、

 「防衛庁防衛研究所」で保存されていた。  

吉見氏は、八王子の「中央大学」で教えていました。

しかし「市」の関係者は、ひと月前まで、
「慰安婦文書が八王子にあった」ことを、誰も知りませんでした。

教育長さんの署名入りの回答を頂いています。
http://tikyuudaigaku.web.fc2.com/190621hatioujikyouiku.html

つまりこれは、吉見氏が、戦時中の資料保管状況を確認しなかった、
ということを意味します。

 (下記の理由等により、資料は「贋作」で、
 地元郷土史研究者に知られると、贋作がバレて困る、
 からではないか、という疑惑の浮上です。)

市井の歴史愛好家には、戦時下の地元に関心を持たない戦時研究者、
 というのは、あり得ないことです。

 八王子市にも戦跡があり、保存の活動があります。
 これらの関係者と、一切関わりを持とうとしなかった戦時研究者は、
 それだけでも、その姿勢を問われるべきではないでしょうか。)

先述の吉見『従軍慰安婦』岩波新書p36に、
陸軍省から陸軍各部隊に、「教育参考資料」
として送られた資料が出てきます。

資料28「支那事変の経験より観たる軍紀振作対策」

<日本軍は、略奪、強姦、放火、俘虜惨殺等、多くの犯罪を犯した。
その対策には、性的慰安が最も率直深刻で、効果がある。>

 吉見義明『従軍慰安婦』岩波新書1995年p36の原文
 http://tikyuudaigaku.web.fc2.com/190605ianfusiryou.html

しかしながら、陸軍省という所は、<教育資料>として、
このような文章を書く所だったでしょうか。

日本の若者は、戦前と戦後を観察して、
そのような悪事をしてきたでしょうか。

上層部に、お前たちの悪事や劣情には性的慰安が効く、と言われて、
日本の若者は、その通りだ、と思う人達だったのでしょうか。

そして日本の上層部は、このような説明が、
日本の若者に通用する、と思う人達だったでしょうか。

あまりにもわざとらしくて、ニセモノくさい。


それに、ニセモノを作っている現場の映像が、
テレビで放映され、ネット上で公開されています。

2018年5月13日放送の日テレ・NNNドキュメント南京事件2冒頭に、
東京都教育委員会が所蔵している写真が出てきます。

    NNNドキュメント南京事件2(最初の数分)
   https://www.dailymotion.com/video/x6ji5vq     

こんな発掘現場はあり得ません。燃え殻が盛り上がっています。
(「考古学・発掘現場・写真」で検索)

私はおかしいと思って、東京都に聞きました。

「東京都教育委員会からの回答」(原文は担当者署名入り)
http://tikyuudaigaku.web.fc2.com/180521toukyoutokyouikuiinnkai.html

これは、写真の説明ではありません。
  
この事実は、
「東京都埋蔵文化センター」と「防衛省戦史研究室」に、
ニセモノを作る人たちがいる、という証拠です。

その他の疑惑、については、以下の私のホームページにあります。

(送信文例です)
http://tikyuudaigaku.web.fc2.com/190611netugen.html

  吉見著p36の資料28「陸軍教育参考資料」についての疑問、
  吉見氏による「史料批判・真贋検討法」の隠蔽、

秦郁彦『南京事件』中公新書p131の、虐殺証言なのに、
  「しまった」を「志満っ多・こころざし満つること多し」と書いて、
  「めでたい」とほほ笑んでいるような感じのする贋作日記。

  東大・近現代史資料集大御所・伊藤隆氏がなさった、
  素人でも一目でわかるニセ鑑定(『昭和天皇独白録』画像比較)

などの話がありますので、一度、目を通していただきたいと思います。
送信済みリストも確認していただきたいと思います。

「送信済みリスト」
http://tikyuudaigaku.web.fc2.com/190104sousinzumirisuto.html


チベット・内モンゴル・新疆ウイグルの例を見るまでもなく、
中国の領土拡大、弾圧支配の意思は、中国国内を含めて明白で、軍拡は確実です。

南シナ海・南沙諸島の埋め立て、巨額貸付によるスリランカの港湾取得、等、
中国の拡大政策は、そのまま人権弾圧政策の拡大です。

ウィキペディアの 「中華人民共和国の歴史」 という項目では、
毛沢東時代(1949年 - 1978年)について、以下のような説明があります。

1953年までに71万人を処刑、129万人を逮捕、123万人を拘束し、
     240万人の武装勢力を消滅させた。

    (中国の解放軍出版社より出版された国情手冊による。
     他文献では、処刑はすべて公開だったとされている)

大躍進政策では餓死者4千万人、文化大革命で発生した殺戮では犠牲者数百万人?、
1989年の天安門事件でも、多大の犠牲者を出しています。

非武装の同じ国民を相手にして、このような事態の発生は、
日本では考えられないことです。

明治以降の日本では、
権力者が、非武装の同国人を、人前で処刑したりしたことは、ありません。
日本人は、権力によって、人が公衆の前で殺されるのを、見たことがないのです。

それは江戸時代に遡っても、ある程度言えることです。
武士の間では、処刑に際しては、関係者以外の立ち入りは禁止でした。

それは1635年以来のことで、『武家諸法度』に書いてあるのです。

 参考:武家諸法度
 http://tikyuudaigaku.web.fc2.com/180927bukesyohatto.html
  (1635年から、武家は非公開)

 フランス革命では、国王夫妻を始め大勢の貴族が公開処刑されました。
 そういうことは、日本ではやってこなかった。


私の話は、世界拡大をもくろむ中国の手が、
日本の行政や防衛省、学問の世界に及んでいる、という話です。
要するに、中国によるニセ情報工作・陰謀論です。

 吉見氏もその手先ではないか、ということです。

ただし、私は右翼ではありません。
天皇家が古墳時代に運営にかかわっていたという証拠はない。
http://tikyuudaigaku.web.fc2.com/tikyuu.kohunnjidai.html

映像技術からの連想を元にした、時間と空間の連続イメージ、
それを基盤とした「史料批判」(贋作検討法)は以下ページ後半。
http://tikyuudaigaku.web.fc2.com/190202maimemo.kannryaku.html


また、ニセ情報工作については、中国共産党の発足に力あった、
ソ連の文献資料があります。

ソ連崩壊のすぐ後に、ソ連の文書が外部に出、それを元に書かれた本に、
中薗英助『スパイの世界』岩波新書1992があります。

  p51
   KGBの重視する謀略に、「逆(ニセ)情報工作」というものがある。

   「意図的に挑発的な噂をひろめ」たり、「ニセの情報」を、
   口頭や偽造文書などで流し込む特殊宣伝のことである。

  p52
   特殊宣伝、あるいは非合法宣伝の目的は、外国政府の政策に影響を与え、
   他国間の関係を誤らせ、自国を攻撃する組織や個人の力を低下させ、
   信用を落とさせるなど。

 p129
   逆(ニセ)情報工作の工作員とは、
   一国の世論を自国に有利に動かせるような「有力者」、

   たとえば「政治家」や「ジャーナリスト」
   「政治評論家」「労組幹部」「大学教授」ら。

今の日本の状況に似ている所があるので、参考になるかと思います。

以下は、歴史認識問題関連の現状についての、私の仮説です。
贋作や虚偽が、あり得る、という方向からの仮説です。


〔戦前〕1937年(昭和12年)12月、日本軍が南京を攻略。

この時、中国とアメリカの工作員による秘密工作、「南京大虐殺捏造」が始まった。

中国とアメリカでは、日本軍の残虐非道行為が大々的に宣伝された。
   特にアメリカでは 「日本軍は中国人30万人を無差別に虐殺した」とされた。

それを根拠に、アメリカ軍は、
日本全土への無差別殺戮である大空襲、原爆投下を行った。

日本の民間の空襲被害者は、原爆の犠牲者を含むと、50万人とも言われる。


〔戦後〕
極東国際軍事裁判(東京裁判)で「南京大虐殺」が認定され、
日本国民は初めて事件を知らされた。

絞首刑となった戦犯7人の内、二人が「南京大虐殺」の責任を問われた。

敗戦時は、戦勝国が何でもやりたい放題だった。
罪をでっちあげ、戦犯として処刑するなんてことは、簡単だった。

ねつ造した罪の軽減、待遇改善、解放、これらとの交換条件として、

暴力を背景に、権威者・情報発信力を持つ人物を狙って、

ニセ情報工作の工作員に仕立てれば、それは相当な威力を発揮するでしょう。

   「捏造した罪で、いくらでもお前を処刑できる。」

こう言われて工作員に転換させられた人々は、軍関係者には数多い。(仮説)

   (「検証されず、信頼性の低い文献が、大量に存在すること。
    明白な贋作もあること。

    それらを使って、日本人の極悪非道ぶりを強調宣伝する人々が、
    国内に大量発生したこと」
      これらについての、極東軍事裁判のルートでの仮説)
                    
〔ニセ情報工作〕

連合国国家群の、かつては世界大戦用プロジェクトだったニセ情報工作は、
こうして戦後に引き継がれることになった。

  1953年(昭和28年)、秦郁彦(当時21歳)が、巣鴨プリンズンに収監中の、
  A級戦犯を含む旧陸海軍軍人百数十人のヒアリングを実施。
                   (参:『実証史学への道』後半)

   (収監中の元軍人たちが、戦前は中国の仕業とされていたことを、
    実は日本軍の謀略だった、と修正証言した。)

   (60歳くらいの軍歴長い軍人が、21歳の無名の学生に、
    国の立場を損ねるような証言を、したことになっているのが不思議)
        (本には軍人たちの年齢が書いてありませんが、
         計算すればわかります)

   (秦氏は、中学生時のアルバイトで、占領軍との接触あり)

終戦時に、「本土決戦大隊長」だった藤原彰(当時23歳)は、

東大で歴史学を専攻させられ、研究者となって後、

1980年代の南京大虐殺証言文書の発掘、提出に、深く関与する。

   先述の秦郁彦『南京事件』の手書きの証言日記が、贋作です。
http://tikyuudaigaku.web.fc2.com/190611netugen.html (ページ内)
   藤原彰氏も、鑑定者であるはずです。


1972年の日中国交正常化の頃には、藤原彰50歳。

若かった元軍関係者たちは壮年になり、
工作員として強力な影響力を発揮できるようになっていた。

その前年の1971年、本多勝一(当時39歳)の『中国の旅』が朝日新聞に掲載され、
南京事件論争が幕を開ける。
                
南京事件論争史
http://tikyuudaigaku.web.fc2.com/190707nankinjikenronsousi.html

仮説です。


久武喜久代   63歳  神奈川在   suisyou2006@nifty.com

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