地球と社会の研究所
目次
物質世界と人間
<物質世界>
この地球世界で、人類が歩み始めてから、もう、かなりの時が立つ。
多くのことが忘れ去られた。
しかし、人の営みの痕跡や、残され、伝えられた事は、
歴史となって私たちの脳裏によみがえる。
人類の歴史。世界史。その自然的環境を考える。
長い長い宇宙的な時間や、出現して時わずかな人類、地球をとりまく宇宙環境、地球の形状等。
これがつまり、宇宙空間に浮かぶ地球上の、物質現象として世界をとらえることの、基本である。
宇宙全体の組成を極小粒子とエネルギーとして捉えなおす方法があるように、
地球という生命を含む物質圏の組成を、極小粒子とエネルギーとして捉えてみる。
それは、空間を占めて質量を持つ「何か」でできた世界である。
生まれた人にとって、この世界にはまだ名前がない。
この世界を、私たちは「物質世界」と呼んでいる。
人体は、膨大な数の細胞群の一集合形態であって、
原子でできた分子構造物が絶えず出入りしている生命である。
原子核や電子の動きは、時間が常に進行していることを示す。
地球上の人間の歴史も、見方を変えれば、時間の経過に伴う、
空間を占めて質量を持つ「物質」の動きである。
この極小粒子とエネルギーでできている世界という考えに、人間の考えることを混入させてはいけない。
空間を占めて質量を持つ、物質の存在の仕方が「ある」だけの世界なのだ。
それは、宇宙から見た地球である。
個々の人間を取り巻く「物質関係」というのは、常に「物質」に取り囲まれているということである。
その内容は、以下のようなものになる。
「酸素」や「窒素」の混合物である「空気」、「炭水化物」や「たんぱく質」や「ミネラル」などの「食物」、「水」、
あるいは「光」、「気温」、「気圧」、「重力」、等々の「物理的要素」。
一人一人の人間の体が、そういう物質の環境の中で、いかに精緻な仕組みでもって生命を維持しているか、
そういうことが「物質関係」なのである。
人間は膨大な数の細胞の集合体であり、
常にその細胞を入れ換えつつ、自分の体というものの恒常性を維持している、
生物である。
細胞の交代率で考えると、どこまでが自分で、どこまでが自分でないのか、
判然としないながらも、自分という恒常性は維持されている、
一個の生物である。
<時間と人間の歴史>
地球は「宇宙の時間」の中にある。そして「人間の歴史」は「地球の時間」のなかにある。
「人間の歴史」は、「地球の時間」と「人間の事象」とを対応させることによって理解される。
これは通常では、人間が作った「暦」と、「人間の事象」の対応として理解されている。
「地球の時系列」の中に、「人間の事象」の時系列もある。
「人間の事象」は活動の痕跡を残す。
その活動の痕跡を時間軸に沿って正しく整理することは、
歴史的事件・歴史的対象が、確かに同時代に物質的に関係している(同時代のものである)、
ということを証明するのに、役に立つ。
物理学では、「時間が止まる」という事は、
「存在」そのものが「無くなる」ということである。
極小粒子は常に猛スピードで運動している。
それが「止まる」ということは、
「存在」が無くなる、ということである。
この宇宙、極小粒子とエネルギーの世界の、
存在と時間を分離することはできない。
存在のありようは、時間の進行をも意味する。
しかし私たちは、宇宙から見る地球、空中写真で見る地表が、
頭の中で思い描いて行動している日常の認識世界とは、
かなり違うと感じざるを得ない。
だがその世界も、確かに自分が生きている世界なのだ。
物質世界。それが何であるかを考えるために、
「時間の断面を切り取る」「時間をゼロに収斂する」
空中写真のように、ある瞬間を捉える。
時間が止まった社会を想像する。
(日常感覚では、この表現の方がわかりやすいだろう)
これを、社会を物質として考察するための、一つの方法として提唱する。
*(以下20160716頃追加)
その一瞬の光が生み出す像を、平面に固定する、
そういう写真技術ができてから、
私たちは、時間の固定という想念を知るようになった。
さらにはまた、動画再生という技術ができてから、私たちは、
フィルムの早送りによる、時間短縮という想念を知るようになったし、
フィルムの逆回転による、時間の逆行という想念を知るようにもなった。
これを地球社会に当てはめるなら、「3次元の立体の」地球社会を、
古代から現代へと、フィルムを早送りするように、
時間短縮で観察することを想像することもできるだろう。
あるいは、「3次元の立体の」地球社会を、
現代から古代へと、フィルムを逆回転するように、
時間を逆行させて観察することを想像することもできるだろう。
人の命がある時、突然出現するはずはない。
すべての人に両親がいて、その両親ににもそれぞれ両親がいて、
さらにその両親にも、それぞれ両親がいる、はずなのである。
だから、今現在生きている人のすべてに、
どの時代にも、祖先がいるはずなのである。
現在は、過去があったからこそ、存在する。