地球と社会の研究所
目次
【事実の3レベル】
このように、人間の認識に関係なく、世界は「ある」、ものである。
人は、その世界を認識する。
生まれた人は、人体のセンサーで捉えた、この世界にあるものの特徴を、
他者から得た「ことば」に結び付ける。
「ことば」とは、「形象」である。
生まれた人は、無数の「ことば」の世界に突入する。
しかし、<「ことば」の世界> の検証が、
大きな声で語られることはない。
例えば社会機構の上下は、<「ことば」の世界>では、くっきりと示される。
しかし「空中写真の世界」には、そのようなものは存在しない。
ではこの「空中写真の世界」が「事実」かと言えば、
人にとっては逆に、社会機構の「上下」のほうが「事実」であろう。
このように一口に「事実」と言っても、「事実」には階層があるようだ。
「事実」の階層とは何か。
それは人が認識する際の、焦点を当てる対象によって生じる、階層である。
「事実」には3レベルがある。
(1)人間の認識に関係なく、それ自体の性質によって存在するもの。
人間が意味を感じようとしたり、言葉で認識したりしようとするのを、
意図的にやめてしまった世界。
物質の性質だけで成り立っている、絶対的な世界。
(2)「物質存在的に確実なもの」を人間が認識して言葉で表現したもの。
例えば目の前にパソコンがあり「目の前にパソコンがある」と表現する。
それは「事実」。
しかし目の前にパソコンがないのに「目の前にパソコンがある」と表現した場合、
それは事実ではない。
物質的な実態と人間の認識との間に、対応があるもの。
大きな分類で行くと、サイエンスもここに入れられる。
(3)情報システムに支えられた人間の、主観的社会的約束事。
「ある事柄についての共有認識の発生の事実」を前提として、
社会的強制力を背景に、
「発生した共有認識の相互実現を図る」という意味合いにおいて、
実態との対応がなくても、『事実』として通用しているもの。
*この3段階は、以下のように言い換えることもできる。
(1)は、認識主体を想定していない世界。
(2)は、一人の人と世界、という世界。
(3)は、多数の人の、相互関係の世界。
ただし、(3)で言う「情報システム」とは、
人間の脳の認識にたたき込まれた「社会情報の意味構造」に対して、
人が共有認識でもって支持している状況、を言う。
首相とか社長とかの、社会的立場の概念。
政府とか会社とかの、組織の概念。
為替や株価や価格などの、経済の概念。
所有という概念。
(参)拙著より「事実の3レベル」