山田朗 先生       2015年11月13日送信     (20161002UP)

2015年11月12日、たまたまプライムニュースを見ていたら、
秦郁彦氏と山田朗先生が、ゲストとして並んで出ていたのです。

タイミングとしては、このメールあたりで、やっと見て頂けたのではないか、
と思うので、UPします。

                         送信済みリストに戻る


昨晩のプライムニュースを、
  いつになったら根拠となった資料の「真贋」
  を話題にするのだろう、
と思いながら見ていました。

同席していた「秦郁彦氏」の、
30年間市中を出回っていた新書本『南京事件』には、
     ニセ文書が載っています。

私が多数の疑問点を述べています。反感をお感じになるなら、
先生も私の疑問に、反論を試みるべきです。

以下の問題については、日本共産党中央委員会が、
非公式ではありますが、認めているようです。

私は数年前から、南京大虐殺・従軍慰安婦問題について、
著名研究者たちの実名を挙げて、奇妙な点を指摘してきました。
 (藤原彰、秦郁彦、吉見義明、渡辺春己)

これに関して、「先生以外のすべての研究者」が沈黙しています。

疑惑の内容は以下の通りです。

   南京大虐殺・従軍慰安婦問題に関する、
  中国作成のニセ資料を、
  日本人研究者が意図的に流布したのではないか。

これを、今年に入ってからは、「古墳時代と天皇家」の一文を追加して
500ヶ所以上に送信してきました。
  (送信済みリスト添付)

そして7月21日、「日本共産党中央委員会」から、
「共に闘おう」というメールをいただきました。

藤原彰氏は、共産党に表彰された方です。

定型文でしたので、確かかどうか、確認メールを出しましたが、返信なし。

私が住む市の、日本共産党「相模原市議団」に問い合わせても、
「中央委員会に伝えた」(8月2日)と、たらいまわしです。

そして中央委員会も、何も言ってきません。

以降、それを書いたメールを、他所に200ヶ所以上出しましたが、
共産党からは何も言ってきません。

共産党中央委員会に対して、どこからも問い合わせがない、とは思えません。
黙認と判断するのが妥当だと思います。

私の、日本人研究者がからんだ「中国によるニセ情報工作説」は、
反対者がいない、ということで、結末を迎えつつあると思います。

 *そもそも、2012年に論文「南京事件元兵士日記の偽作の証明に関する一考察」
 を、サイトUPしてからも、古文書学会からは、全く反応がありません。黙認です。

以下は、秦郁彦氏の新書本『南京事件』に載っていた、
ニセ文書に関する私の考察です。

私の疑問の一つ一つに、ご自分で反論を試みて頂きたいのです。

現物写真版「井家又一日記」
  http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/syasinnbanniiemataitinikki.html

  冒頭文中の「志満っ多(しまった)」はありえません。
  漢字の意味は「志(こころざし)満つること多し」です。

  虐殺証言なのに、文字が「めでたい」と微笑みかけているようです。

 長い戦闘を経てきたあげく、335名の射殺と書きながら、
 筆勢に乱れのない達筆です。

 文体は日用の口語文です。口語文で変体仮名を多用することは〈ない〉のです。

  虐殺の現場でありながら、早書きの草書はまだしも、

 書くのに時間のかかる、日付の大字(画数の多い字)や、
 使っている変体仮名に、崩しの少ない草書体の漢字を当てていること。

 (これは、江戸期伝来の書法からすれば、
  正式・公式・誓詞、韻文などの書法です。)

 南京大虐殺の昭和12年(1937年)は、
 公教育で「現代ひらがな」が使われるようになった
 明治33年(1900年)から、37年が経過しています。

  つまり、7歳+37年=44歳以上でないと、普通の教育では、
  筆記体としての変体仮名を習うことはありません。

 そして当時目にする活字は、書籍・雑誌・新聞など、
 全部「現代ひらがな」です。(「ゐ」「ゑ」などは除く)
 
 こうして日用の筆記目的では、一般兵士は必要と思わないだろうから、
  変体仮名には無関心であるはずなのです。

 しかし井家又一は現場兵士として変体仮名を多用します。
  これはもう、日本人としては、相当特殊な教養人と言えます。

 それほどの教養の片鱗をのぞかせながら、日本語の文章としておかしいのです。
 例えば、

   新聞記者が此を記事にせんとしてとして自動車から下りて来るのに
   日本の大人と想ってから 十重二重にまき来る支那人の為      
   流石の新聞記者も つひに 逃げ去る。
                                      
            
   本日新聞記者に自分は支那売店に立って「いる」時、一葉を取って行く。

   外人家屋の中を歩きながら しみじみと眺めらされるのである。等

 歴史的仮名遣い「ゐる」の代わりに、
 戦後になってから使うようになった現代仮名遣い「いる」が使われていること。
     (かな連綿では、「る」の横棒はしばしば消えます)

 軍隊では使わない、兵器「捕獲」という言葉。
  本来なら「鹵獲(ろかく)」であること。

 筆記具がペン字なら、戦場での使用は不自然ではないかといういこと。等々。

これは、研究者がこれまで特に重要視してきた基本史料、
偕行社『南京戦史資料集』1989年に収められている日記です。

つまりそこに至るまでに、元陸軍将校の団体・偕行社の手を経ており、
偕行社所属の専門家の手を経て、解読されて活字になっているものです。
しかし、専門家たちの言動がおかしいのです。
(http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/kennkyuusyatatigasupaideha.html)

私の論文がサイトUPされてから3年たちます。多くの方に見ていただきました。
今年に入ってからでも、500ヶ所以上に送信して、見ていただきました。

しかしながら、この日記についての私の、「偽作である」という判断を否定し、
私の論理に反論した方はいません。

  私は、この日記が偽作であり、その多すぎる問題点からすると、
  草書変体仮名解読者が、握りつぶしたとしか考えられない、としています。

  これほどの疑惑文書を握りつぶしたならば、
  他の文書の些細な疑問点を咎めるはずもなく、

  したがって、関連文書のすべてを疑うべきである、というのが私の意見です。

*****
どのようにして、中国作のニセ資料を日本人研究者が流布するという、
そんなことができたのか。

まずは、私がサイトUPしている
 今井登志喜『歴史学研究法』東大出版(原文1935年)全文、
の内容が、現行出版物から消えています。

(「歴史と証明」で検索できるレジュメですと、簡単に内容がわかります)

今井は「偽作」について、かなり執拗に警戒を述べていますが、
これが、現在の歴史学から、きれいに消えています。

私はこれまで、疑惑の人たち(藤原彰、秦郁彦、吉見義明、渡辺春己)
の活動の奇妙な点を指摘してきました。

しかしそれは、この研究者たちが、おそらくは今井著を知りながら、
どのように「ないがしろ」にしてきたか、ということでもあるのです。

そして個人名を挙げているにもかかわらず、
今に至るも、どなたからも反論がありません。

7月2日の朝日新聞に大きく載った京都大学・永井和先生、

 (永井和先生の挙げる根拠資料に偕行社『南京戦史資料集』があります。

  永井先生は、慰安婦問題の資料を解釈するのに、
  『南京戦史資料集』の日記を使っておられるのです。

  ですから、私の疑問に反論があるなら、本来なら、
  即座に反応があっていいはずなのですが、ないままです。

   (別に私などに反論する必要はない、と言えば確かにそうかもしれませんが、
    私が添付ファイルとして送る「送信済みリスト」には載ります)

一橋大学関係者、東京外大の中野敏男先生、関東学院大学の林博文先生、

7月13日には岩波書店の『「慰安婦」問題を/から考える』に名前を載せている、
従軍慰安婦問題研究者6人、にも、問い合わせました。

が、どなたからも反応はありません。

そんな中、頂いたのが、日本共産党中央委員会からの、
「活動の参考にさせていただく」というメールなのです。

「中国発の危険」は、確定ではないでしょうか。

対話の成立のために、歴史問題について、
時代の雰囲気に流されることのない、

「自分で判断するための作業方法の基礎」を、
全員で共有することを、ご一考いただきたいと思います。

久武喜久代  59歳 神奈川在  suisyou2006@nifty.com

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