ロバート・キャンベル 先生(2015年11月8日送信) (20161003UP)
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中国発の危険(日本共産党の同意あり)
以下は、30年間市中を出回っていた、秦郁彦氏の新書本に載っていた、
ニセ文書に関する私の考察です。
私の疑問の一つ一つに、サイト関係者を含めた皆様も、ご自分で反論を試みて頂きたいのです。
(元の論文「南京事件元兵士日記の偽作の証明に向けての一考察』
には、論拠として、昭和10年刊『手紙講座』より、
174点の「著名人の手書き手紙」の画像が付いています。)
現物写真版「井家又一日記」
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/syasinnbanniiemataitinikki.html
冒頭文中の「志満っ多(しまった)」はありえません。
漢字の意味は「志(こころざし)満つること多し」です。
虐殺証言なのに、文字が「めでたい」と微笑みかけているようです。
長い戦闘を経てきたあげく、335名の射殺と書きながら、
筆勢に乱れのない達筆です。
文体は日用の口語文です。口語文で変体仮名を多用することは〈ない〉のです。
虐殺の現場でありながら、早書きの草書はまだしも、
書くのに時間のかかる、日付の大字(画数の多い字)や、
使っている変体仮名に、崩しの少ない草書体の漢字を当てていること。
(これは、江戸期伝来の書法からすれば、
正式・公式、誓詞・韻文などの書法です。)
(周囲に対して難読効果を狙った、というのも筋が通らないでしょう。
一般兵はともかく、上官にとっては、不可解な文書は、
むしろ目を引くでしょう。)
南京大虐殺の昭和12年(1937年)は、
公教育で「現代ひらがな」が使われるようになった
明治33年(1900年)から、37年が経過しています。
つまり、7歳+37年=44歳以上でないと、普通の教育では、
筆記体としての変体仮名を習うことはありません。
そして当時目にする活字は、書籍・雑誌・新聞など、
全部「現代ひらがな」です。(「ゐ」「ゑ」などは除く)
こうして日用の筆記目的では、一般兵士は必要と思わないだろうから、
変体仮名には無関心であるはずなのです。
しかし井家又一は現場兵士として変体仮名を多用します。
これはもう、日本人としては、相当特殊な教養人と言えます。
それほどの教養の片鱗をのぞかせながら、日本語の文章としておかしいのです。
例えば、
新聞記者が此を記事にせんとしてとして自動車から下りて来るのに
日本の大人と想ってから 十重二重にまき来る支那人の為
流石の新聞記者も つひに 逃げ去る。
本日新聞記者に自分は支那売店に立って「いる」時、一葉を取って行く。
外人家屋の中を歩きながら しみじみと眺めらされるのである。等
歴史的仮名遣い「ゐる」の代わりに、
戦後になってから使うようになった現代仮名遣い「いる」が使われていること。
(かな連綿では、「る」の横棒はしばしば消えます)
軍隊では使わない、兵器「捕獲」という言葉。
本来なら「鹵獲(ろかく)」であること。
筆記具がペン字なら、戦場での使用は不自然ではないかといういこと。等々。
これは、研究者がこれまで特に重要視してきた基本史料、
偕行社『南京戦史資料集』1989年に収められている日記です。
つまりそこに至るまでに、元陸軍将校の団体・偕行社の手を経ており、
偕行社所属の専門家の手を経て、解読されて活字になっているものです。
しかし、専門家達の言動が大いに疑問です。
(http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/kennkyuusyatatigasupaideha.html)
私の論文がサイトUPされてから3年たちます。多くの方に見ていただきました。
今年に入ってからでも、500ヶ所以上に送信して、見ていただきました。
しかしながら、この日記についての私の、「偽作である」という判断を否定し、
私の論理に反論した方はいません。
私は、この日記が偽作であり、その多すぎる問題点からすると、
草書変体仮名解読者が、握りつぶしたとしか考えられない、としています。
これほどの疑惑文書を握りつぶしたならば、
他の文書の些細な疑問点を咎めるはずもなく、
したがって、関連文書のすべてを疑うべきである、というのが私の意見です。
*****
私は数年前から、南京大虐殺・従軍慰安婦問題について、
著名研究者たちの実名を挙げて、奇妙な点を指摘してきました。
(藤原彰、秦郁彦、吉見義明、渡辺春己)
これに関して、「すべての研究者」が沈黙しています。
疑惑の内容は以下の通りです。
南京大虐殺・従軍慰安婦問題に関する、
中国作成によるニセ資料を、
日本人研究者が意図的に流布したのではないか。
これを、今年に入ってからは、「古墳時代と天皇家」の一文を追加して
500ヶ所以上に送信してきました。
(メールには送信済みリスト添付)
そして7月21日、「日本共産党中央委員会」から、
「共に闘おう」というメールをいただきました。
藤原彰氏は、共産党に表彰された方です。
定型文でしたので、確かかどうか、確認メールを出しましたが、返信なし。
私が住む市の、日本共産党「相模原市議団」に問い合わせても、
「中央委員会に伝えた」(8月2日)と、たらいまわしです。
そして中央委員会も、何も言ってきません。
以降、それを書いたメールを、他所に200ヶ所以上出しましたが、
共産党からは何も言ってきません。
共産党中央委員会に対して、どこからも問い合わせがない、とは思えません。
黙認と判断するのが妥当だと思います。
70年談話について、激しく牽制していた村山元首相の、
周辺の理論家たちからも反論はありません。
私の、日本人研究者がからんだ「中国によるニセ情報工作説」は、
反対者がいない、ということで、結末を迎えつつあると思います。
*そもそも、2012年に論文「南京事件元兵士日記の偽作の証明に関する一考察」
を、サイトUPしてからも、古文書学会からは、全く反応がありません。黙認です。
*****
どのようにして、中国作のニセ資料を日本人研究者が流布するという、
そんなことができたのか。
まずは、私がサイトUPしている
今井登志喜『歴史学研究法』東大出版(原文1935年)全文、
の内容が、現行出版物から消えています。
(「歴史と証明」で検索できるレジュメですと、簡単に内容がわかります)
今井は「偽作」について、かなり執拗に警戒を述べていますが、
これが、現在の歴史学から、きれいに消えています。
私はこれまで、疑惑の人たち(藤原彰、秦郁彦、吉見義明、渡辺春己)
の活動の奇妙な点を指摘してきました。
しかしそれは、この研究者たちが、おそらくは今井著を知りながら、
どのように「ないがしろ」にしてきたか、ということでもあるのです。
そして個人名を挙げているにもかかわらず、
今に至るも、どなたからも反論がありません。
7月2日の朝日新聞に大きく載った京都大学・永井和先生、
(永井和先生の挙げる根拠資料に偕行社『南京戦史資料集』があります。
永井先生は、慰安婦問題の資料を解釈するのに、
『南京戦史資料集』の日記を使っておられるのです。
ですから、私の疑問に反論があるなら、本来なら、
即座に反応があっていいはずなのですが、ないままです。
(別に私などに反論する必要はない、と言えば確かにそうかもしれませんが、
私が添付ファイルとして送る「送信済みリスト」には載ります)
一橋大学関係者、東京外大の中野敏男先生、関東学院大学の林博文先生、
7月13日には岩波書店の『「慰安婦」問題を/から考える』に名前を載せている、
従軍慰安婦問題研究者6人、にも、問い合わせました。
が、どなたからも反応はありません。
そんな中、頂いたのが、日本共産党中央委員会からの、
「活動の参考にさせていただく」というメールなのです。
「中国発の危険」は、確定ではないでしょうか。
対話の成立のために、歴史問題について、
時代の雰囲気に流されることのない、
「自分で判断するための作業方法の基礎」を、
全員で共有することを、ご一考いただきたいと思います。
最近の送信先:
8月31日、週刊新潮、新潮45、国際連合日本政府代表部、育鵬社、自由社、
9月2日、日本外国特派員協会、日本国際交流センター、
9月7日、北星学園大学(植村隆氏の韓国での発言に対して反応)
10日、安保法制に反対するママの会、
13日、国文学研究資料館、
15日、石田昌隆氏、
22日、相模原市観光協会(相模湖交流センターで慰安婦問題パネル展をやっていたため)、
27日、神奈川県・私の提案係、在サンフランシスコ日本国総領事館、
ライシャワー日本研究所、日系アメリカ人の歴史ポータルサイト、
28日、全米日系人博物館、天児慧氏、
30日、香山リカ氏、
10月2日、日本学協会、ケント・ギルバート氏、
3日、藤尾慎一郎氏、
5日、東京都教育委員会、
11日、日本テレビ、(株)サイゾー、
12日、宮武嶺氏、
16日、志井和夫共産党委員長、河野太郎氏(洋平氏の件)、
BusinessJournal(江川紹子氏の文)、
17日、The Page(美根慶樹氏の文)、
21日、日経ビジネス、福島香織氏、
22日、週刊朝日(田原総一郎氏の文)、田原総一郎氏、
23日、星海社、
24日、スティーブン・ナギ・ICU准教授、リテラ、荻上チキ氏(TBS・Session-22)
11月6日、鳩山友愛塾関係(赤峰農場、吉村作治氏・株アケト経由、