ペルシャ人伝説 (20181014)
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日本人の一部は、ペルシアから来た人を先祖とする、というのは、戦前にも、怪しげな吹聴という形では、あったようです。
最近も、有名な学者さんが紹介していたのを見ました。
私は、古墳時代の幕開けは、漢字を理解するヤマトバル発祥のペルシャ人が、木の板に尖った石で書けるカタカナで、
ヤマトバル語を書いて、全国に広めようとした、ことと同時作業ではないか、と思ってみるのです。
漢文の返し読みの記号なども、中央アジアで長く中国文明と接触していた時期の成果ではないかと、思ってみるのです。
日本にたどり着いた時、ヤマトバルを出たのは、それも遥かに遠い昔のことになってしまっていた。
ペルシアでは、新しいイラン系の人々が多数を占めるようになり、古代人の面影を持つ者は減ってしまった。
日本にたどり着いた古代系ペルシャ人の系譜も、長い移動の間の混血で、容貌は東洋系になった。
しかし遠い文明の伝承の必要から、ヤマトバルの言葉の骨格は残った。それが古代日本語になった。
ついつい、この仮説はまだ崩壊していない!ので、つい、空想を広げてしまうのです。