『ものの見方の始めについて』(2023年改訂版)改訂中 

                   宇宙論ベースの世界認識
                                                  20230108

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はじめに・点より小さな家


私がまだ地図というものを知らなかった、小さい頃の話である。


兄の雑誌の裏表紙に、枠線だけの絵があった。
何の形なのか、考えてもわからなかった。
しかし、何だか大事そうに見えた。

意味ありげに思えたので、私は祖母に聞いた。
「これなあに?」

すると祖母は答えた。

「これは日本の地図。Kちゃんの家はこの辺。
この家は、この地図の中では、針で突いた点よりも小さいの。」

祖母は持ってきた針で、小さく点をつけた。

この話は私に不思議な感銘を与えた。自分の家が点より小さく見える高いところがあるのだ。
想像の中で、しばらくその高みで見おろしてみる。

この家が点より小さいなんて、恐ろしく高いところなんだろう。
いくら考えても想像しにくい世界だったが、その高みに到達しようと懸命にやってみた。

しかし、ふと我に返って周りを見ると、点より小さいはずだった家は自分よりはるかに大きいし、
何より自分がものすごく大きいような気がする。

何と言っても、ちょっと前まで、自分に目や鼻というものがあり、手や足というものがあるのも不思議だった。
ころんだら血が出て痛かったりする。全く油断できない。

自分に、体という、操作する必要があるものがある、という感覚からすると、
自分というのはものすごく大きい何かのような気がする。

まだまだそんな感じだった。それなのに、家が点より小さく見える所を想像しようとしたのだ。


  *ここに出てくる兄の雑誌というのは、『中学時代』か何か、そのようなタイトルの学習雑誌である。
   私は、兄とは7つ違う。だからこれは、私が小学校低学年の頃のことだろう。

   デカルトは「我思う、ゆえに我あり」と言った。
   しかし20世紀の私には、「空から見る自分」というものの方が、真実に見えたのだ。
  


目次:
 1、戦争の影と世界観

      〔戦争の影〕〔人はなぜ戦争をするのか〕〔未来の核戦争〕〔世界史〕〔戦争〕
      〔戦争の中の生き方〕〔正しい考え方〕

 2、サイエンス描く世界
      〔生きる意味と社会とは何か〕〔 社会認識に至るまでの行程〕
      〔サイエンス描く社会〕〔般若心経〕

 3、物質だけの存在感
       〔父の戦時中の体験〕〔空中写真〕〔サイエンスが言う、人体を巡る物質関係〕
       〔宇宙の始めは物質〕〔物質関係の中の自分の生活〕〔黒板の文字〕〔お金〕〔ことば〕
       〔再度「無意味な物質世界」について〕
 4、ものとことば(鈴木孝夫著より
 5、元東大総長が書いた東大教科書との衝突 
      
〔何でもある歴史学?〕〔操作されないような社会認識を〕〔歴史学方法論〕
       〔林健太郎著『史学概論』〕〔正確な世界・自然〕〔知られた歴史と知られなかった歴史〕
       〔人間の科学と自然の科学は別だ?〕
 6、今井登志喜『歴史学研究法』との出会い
      
〔難解な今井登志喜『歴史学研究法』〕〔今井登志喜の天皇神様論に対する牽制〕
       〔戦時中の生き神様〕〔絶版になった今井登志喜『歴史学研究法』〕
 7、科学と歴史学とマルクス主義
 8、人体基準の認識枠
 9、 時間よ止まれ
 10、社会と情報
 11、 マルクス主義の分布状況
 12、冷戦とマルクス主義

       〔冷戦とマルクス主義〕〔マルクス主義(唯物史観)と社会認識〕
       〔『唯物史観の公式』〕〔通貨〕
 13、 歴史学における事実
      
 〔歴史学における事実とは(今井登志喜「史料批判」より・贋作虚偽錯誤検討法)〕
       〔「客観的な歴史」が揺らぐのに対抗する〕
       〔素朴客観論と、私の立場と、主観性認識論〕
 14、事実の3レベル
 15、社会の外観から考える
 16、終わりに

 補足1、宇宙時間表
 補足2、古墳時代と天皇家


1、戦争の影と世界観                               
 〔戦争の影〕〔人はなぜ戦争をするのか〕〔未来の核戦争〕〔世界史〕〔戦争〕〔戦争の中の生き方〕〔正しい考え方〕


私が生まれたのは昭和30年(1955年)である。
これは、敗戦から10年という年に当たる。

自分の日々の成長の中に、戦争の名残と、それらを払拭前進する動きが、
共に混じっていたような気がする。

〔戦争の影〕
私が10歳の頃、父が珍しく大きな布張りの本を二冊買った。  

『報道写真に見る昭和の40年』『読売新聞に見る昭和の40年』(共に読売新聞)である。
後者は当時の新聞の縮刷版だった。

新聞の縮刷版には、戦前の、現在とは逆方向の右から左へと流れる見出しや、広告や写真があった。
それは、私が知らない戦前の世情を、如実に伝えていた。

満州事変。真珠湾攻撃。玉砕。そして原爆のきのこ雲の大きな写真。被害を伝える
大きな写真。敗戦で皇居前広場にひれ伏す民衆。天皇とマッカーサーの写真。極東軍
事裁判。あるいはまた、ヒトラーやムッソリーニの、台頭と自殺。

私が他の人と何処が違うのかと考えたら、この二冊の本の影響が思い浮かぶ。

これらには、普通の女の子の暮らしではあまり見るものとも思えない、
激烈な戦争と社会の変化が、リアルに踊っていた。

そしてこれが、私を、一気に、危険な世界という認識に導いたのだと言える。
なぜ人は戦争をするのか。

学校の先生も、当時は戦争推進の立場だったらしいことは、
いろいろな情報でなんとなく知れた。

これでは、学校の先生も、まるごと信じていいのかどうか、わからないような気がした。

女友達たちが、にこにこと屈託なく楽しそうなのに、
自分は心の中では、彼女たちと一線を画している。

どうして彼女たちが心の底から楽しそうにしていられるのか、
わからない自分を感じていた。その光景を、妙にくっきり覚えている。


〔人はなぜ戦争をするのか〕

小学校に1枚の世界地図があった。

私は、この地図の中でも、究極の高みと平地の自分という、
強烈な視点移動というのをやってみた。

---これは本当の世界なんだ。
そして昔は、世界は二つに分かれて戦争をしていた。

なぜ人は戦争をするのか。

地図を見ながら、非常な高みからの視点と、平地の自分の暮らしを対比する。
こういう空間的な世界では、人というのは、みんなバラバラで平地を動き回るように見える。
個体というのは、独立しているのだから、当然である。

しかしながら、それなら、戦争のような同じ目的のために、一斉に協力して行動するのはなぜか。

上空から見たような、空間感覚で考える人体相互のバラバラ感と、
一致協力の標語とは、どうもかみ合わない。
しかしそれでも、理由が考えられないわけではない。

平地の自分の暮らしで考えると、みんないろいろな情報のやりとりをし、
言葉を交わして考えを伝達している。
これが、その理由の第一にあげられると思った。

体が独立していていも、人は一人で生きているわけではない。
物のやりとりや言葉のやりとりで、人は相互に関係があるのだ。

究極の高みと平地の自分という、強烈な視点移動。
そして、周囲の多くの人達も巻き込まれた、敗戦をはさんだ激動の世相。
この意識経験は、私の世界認識に大きな影響を与えた。

〔未来の核戦争〕

そうした時に、さらに私の心に、未来の核戦争勃発についてイメージを与えた本がある。
それは『地底のエリート』(創元推理文庫・シェール著)という本だった。

私がこの空想科学小説(SF小説)を手にしたのは、小学校5年の終わりの頃だ。
下宿していた兄が、たった一冊家に残していったものだった。

  *後に兄は、百冊はあるかと思われるSF小説、時代小説、歴史小説の文庫本を家に持ち帰る。
   世界文学全集もあった。
   1浪して早稲田・慶応・同志社・立命館・和歌山医大・京大理学部等の入試を突破した。

   この時の兄は、身内では正にヒーローだった。私が小6の終わりの頃である。

   この時は、最初の年に京大しか受験しなかったことによる失敗を反省した結果の、
   大量受験だったらしい。
   そして京都に引っ越しする際に、大量の不要な本を、家に送り返して来たのだった。

しかし一年間は「地底のエリート」一冊だった。
これが、全地球規模の核戦争勃発をテーマにした本だったのである。

小学校5年では、冷戦などという言葉はまだよく知らなかった。
しかし、昔の戦争を知れば、未来に起きそうな戦争の話も、
こわごわ手さぐりしてみる年頃だった。

本の話は、米ソ冷戦を背景としつつ、
両者が微妙に安定した関係を築いていた状況から始まる。

その安定関係の一方の主役のアメリカ大統領が、ある小さな事故で退場をよぎなくされ、
大統領代行が任に当たることになる。そこから話は始まるのだ。

本の中では、全面核戦争の勃発は、中国の核弾頭の誤発射と、
それに対処する大統領代行の、心理状況による判断ミスが原因となっていた。

       (冒頭に出てくる誤発射の国を、私は長い間、当然、ソ連だと思っていた。

        20年近い空白を経て文を書き始めるまで、
        この本のことは、意識する必要も感じなかったのだ。

        それで、書こうと思った時は、当然、ソ連だったのだろう、と思った。
        しかし後に確認すると、これが中国だったので、ビックリした。)

本の中で核戦争が始まった時、私は本当にたまげてしまった。
私にはそれは、決定的な失敗に見えた。
ーーーあほじゃないだろか、こんなことするなんて。

しかし私に、皆仲良くしなさい、他人に思いやりを持ちなさい、平和はとても大事です、
と、教えているのは大人なのだ。

大人がこんな決定的な失敗をするなんて、まさかそんな馬鹿なことがあるわけがない。
そうだ、これは小説なんだから、と、本の世界から抜け出してきてほっとする。
(最初は戦争勃発までしか読めなかったと思う)       


日本が戦争をしたのも、日本に核爆弾が落とされたのも事実だった。
そんなことは、しっかりこうだと言われなくても、子ども心にもぼんやりとわかっていた。

しかし小学5年のその頃は、今は違うんだ、平和な社会なんだ、という思いのほうが強かった。

だが、核爆弾の威力と、広島・長崎の悲惨と、放射能の影響力についての知識も、
その後の成長過程で次第に内容に厚みが増した。

S・F小説には出てこなかった、想像を絶するむごたらしさの方が現実であり、
それに核戦争の勃発を重ねると、
そのむごたらしさは即座におのれのものでもあるのが理解できた。

第二次世界大戦後も20年以上を経過して、
いまだに冷戦と称して核装備の増大に努めている現実世界の方が、
虚構であったはずのS・F小説に似ているのだった。

私は、中学高校と、「冷戦」という状況を知識として知る中で、
この『地底のエリート』を何度となく読み返すことになった。         


宇宙が誕生し、地球ができて、生命が誕生し、人類が生まれた。
古代文明が発祥して以来、幾多の文明の興亡を見てきて、第一次・第二次の世界大戦を経た。

そして今は、地球を破壊するほどの核を満載した時代なのだ。
その未来は何なのか。全面核戦争勃発による、人類の絶滅だろうか。

---まさかと思いつつ、冷戦が続くのが非常に不気味であった。


〔世界史〕

このように私は、高校で本格的に世界史を勉強する前に、
すでにいろいろと、独特なものの見方を身につけていた。

祖母の一言で始まった究極の高みの視点は、
兄が持ちかえったSF小説のおかげで、
「宇宙空間に浮かぶ、地球という惑星の上で起きる人間の歴史」
という考え方を自然にした。

高校世界史。
それは、わずか数年で人類史のすべてを見渡そうという、気宇壮大な試みだった。
私はその心意気を常にわがものとして世界史を学んだのだ。

そこで自分が手にしたものは心地よかった。
自分が生きる意味、自分が何であり、自分がどこにいるのか、
もう少しで何か見えそうな気がしたのだ。

文明の興亡や幾多の戦争。それにもかかわらず、生き続ける人間。

宇宙空間に浮かぶ地球という星の上で起きることとして世界史を考えていると、
歴史などより、「にもかかわらず生き続ける人間」の方がはっきり見える。

では歴史とは何であり、文明の興亡や幾多の戦争とは何なのか。

とりわけ、第一次、第二次と続いた世界大戦の悲惨を見、
今なお冷戦と称して不気味に核装備を拡大しつつある世界の中にあって、
それを問うことは自分にも大いに関係があると思われた。

たとえば第一次世界大戦前夜のヨーロッパ。
その厳しい緊張関係は、歴史として学べばきわめて明瞭に見える。
わかっていてなぜ突き進んだのかという疑問。

そして自分が常に把握しておきたかったのは、こうした国際間の緊張関係だったこと。
そうすることによって、自分の行動を自分で見極めたかったこと。

そこには明らかに、冷戦体制の中に生きることについての不安が投影されていた。

日本でも、満州事変勃発以前の世界、真珠湾、敗戦、戦後、と生きた、
知識人、政治家、教育者、文学者等の精神的流転の例は、枚挙にいとまがない。

何と考え、どのように生きるのか、間違いたくはないのだ。

そうした精神的激変は、歴史の勉強ではなく、
新聞でもテレビでも小説でも、あるいは身近な人々でも、
当時はいくらでもころがっている話だった。


〔戦争〕

今はまた冷戦下にある。
世界が二大陣営に分かれて、互いをにらみながら戦争の準備に怠りがない。
自分自身も、戦争前夜にいるかも知れないのだ。

父が買った読売新聞社の本は、報道写真や新聞の復刻版だった。
時代の証言という重みでは、単行本にまさるものがある。

新聞の論調を復刻版で知っていたというのは、単に、戦争の悲劇がありました、
ではすまされない何かを形成した。

片や世界史関連で手に入れるマスメディアなどの情報では、
アメリカやヨーロッパやソ連の側の、認識と画策を知るわけである。

私の中で、両者の、そして知るかぎりでの普通の人々の思いとの、
つきあわせが激しく行われることになった。このズレは何か。

戦争は恐ろしいものだった。空襲や原爆も恐ろしかった。

新聞の縮刷版や写真集がきっかけとなって、むごたらしい体験記を見る機会があると、
目が行ってしまう。そしてそれを日常として生きるとはどういうことかと考えてしまう。

空襲のただ中で、あるいは原爆の爆心地で、かろうじて生き残る自分を想像して、
いかに生き延びるかを考えてみた。

いかに生き残りを考えてみても、それは極端に偶然の要素に支配される世界だった。
状況が来てしまっては、生き延びる可能性は少ないのだ。

その次には、ではなぜそんな状況が来ているのかと考えてしまう。

想像している自分にとっては、なぜ周囲のみんなが戦争に向かってきたのか、
わからないのだった。

戦前の庶民は、みんな戦争は受け入れるしかないものだと考えているようだった。

自分以外の周囲が戦争を受容していなければ、自分がそんなところにいるわけがない。

周囲の人が皆、逃げまどいながらも戦争をやむを得ないものと受け止めている。
その中で、自分はもがいているわけである。

それは、現実に自分が生きている後の世界とは、全く違う世界だった。
戦後の戦争反対・権力批判の自由な世界とは、まるで違う世界だったのだ。

一人で戦争をしたいと思ったところで、他人が動かなかったら戦争にはならない。
みんなが戦争へと動いている社会というのは、不思議だった。

自分がそういう状況に向かう中で生きていたとしたら、自分の身を守る一番の近道は、
人がそんな方向へ考えないように努力することである。私はそう思った。

結局、戦争になったら生き残りは難しい、だから、戦争へ向かうことそのものを警
戒しなければならない、と、考えたわけだ。

それは、後の、民主主義を良しとする社会で呼吸している自分が、
空襲や原爆の下で逃げまどうことを想像して考えたことである。

戦前の庶民自身が、戦争を否定的に考えている状態というのは、想像しにくかった。

いきなり当事者になった人々は、逃げるのに必死で、
そんなことを考えている余裕は、ないようだった。


〔戦争の中の生き方〕

そういう私にとって、二冊の本の中で最も強烈な印象だったのは、極東軍事裁判で
絞首刑になった東条英機のことだった。

あるいは名を連ねて死刑になった政治家、軍人たちのことだった。

戦争中、表舞台で指揮をとっていた人々が、戦後になって殺された。
戦争に負けたから殺された。
多くの同胞を死に追いやり、異国の人々を殺戮して、あげくに負けて殺された。

原爆も恐ろしいが、これは個人的には降ってわいた災難だ。
その人の生き方、来し方にかかわるものではない。

しかし、ある時期、指導者として認められ、日本中の人々を動員して戦争に邁進させ、
人を従えていた人が、生き方、考え方が犯罪的だとして死刑になる。

それは個人の生き方として一体何なんだと考えてしまうのだ。

ヒトラーは戦争を起こした張本人として、その特異な主張・行為は個人的にも悪名が高い。
しかし東条が個人的に進めたとは聞かないので、
その人を指導者として認めていた日本の状況は何なんだ、
認められて推進して、戦争犯罪者として裁かれ絞首刑になる、

その自分の立場の、衆人環視の中で見方の逆転の起きる状況を感じつつ、
絞首刑という屈辱的な処刑に甘んじなければならない人生は、何なんだと、思うのだ。

   *「衆人環視」というのは、もちろん抽象的・比ゆ的な意味である。

     満州引き揚げ体験者の方から、「衆人環視」なんてあり得ない、
     と、抗議されたことがある。

     つまりその方は、実際に「人が処刑を見ている」状況を、伝聞であろうとも、
     ご存知だったのではないか、と思われる。

     それで、このような表現は受け入れがたい、と、お感じになったようだった。

     しかしこれは、政治の関係者や報道関係者が深い関心を寄せていた、
    という意味である。実際に一般人が彼らを見ていた、という意味ではない。

     日本では江戸時代、キリスト教禁止の代わりに、仏教を政治に利用した。
     その仏教は、殺生禁止の宗教だった。
     そのためだろう。さらし首はあったけれども、処刑の公開は忌避された。

     江戸時代は強固な身分制を採用した。
     最上位の武士は、その威厳を保持する必要があった。
     
     しかし処刑となると、武士にとっては恥である。
     そのために江戸時代の始めの頃(1635年)から、武士の処刑は、
     幕府法(武家諸法度)によって非公開だった。

     各藩に任された江戸時代の庶民の例については、実は詳細は不明だ。

     しかし、見せしめのための公開処刑というのは、
     日本では文化的に、強い否定傾向がある。

     明治以降は、日本では処刑が公開されたことはない。 
     このあたりは、諸外国の実情とは、極めて大きな違いがある。        

もちろん間違ったから結果が出たのだ。
しかしこんな間違い方ってあるだろうか。

死にたくもないのに若い命を散らした、学徒出陣兵たちの話は有名だった。
しかし彼らは振り回された側であって、生き方についての選択の自由というのはない。

だが推進者には選択の自由がある。
旧時代の、戦争は勝てば良い、という考え方に即して考えたとしても、
自分で人の命をあやつり、戦いの状況を把握しながら、
負ける戦いを続ける間違い方というのは大きいと思うのだ。

しかもそれは個人の考えではなくて、多くの日本人の考え方にも由来しているということは、
終戦にいたるまでの日本人の意識を考えれば察することができる。
問題は、なぜここまでがんじがらめに一つの方向へ向かうことになったのかということだった。

戦国時代にも、日本人は戦争に明け暮れていた。
しかしその戦い方は、決して全滅を美徳としていたわけではなかった。
(実はよく全滅しているのだが、江戸時代以降の美意識に支えられた自決とは別のように思う)

ましてや、近代以降の戦争で戦う者は、武士ではなくて一般民衆である。
その人達が玉砕に突き進む。これはそれ以前の日本史にはなかったことだ。

だから第二次世界大戦中の日本人の対応というのは、
この時代だけの非常に特殊なものである。

その特殊さに囲まれて、東条英機という人も選択を間違ったということが、
私には気になったのだった。

いろいろ異論はあるだろうけれども、私は、中学・高校の頃には、こんな感じ方をしていたのである。

もちろん、普通選挙法と治安維持法が、抱き合わせで同時成立した、というようなことは、中学でも習う。
治安維持法がどれほど民衆を苦しめた悪法だったか、というようなことは、
この時代の話としては、頻繁に出てくる話だった。

それからすると、権力の強圧化という締めくくりがあるのが普通だと思われるのだが、
私は、するりとそのような改変が起きる、その土壌、つまり広範囲な人の意識の方が気になるのだった。

〔正しい考え方〕

時代が悪いというのはたやすい。
では時代が悪ければ、それに流されて間違ってもよいのか。
一人で抵抗するのは難しいことは見て取れる。
しかしみんなが正しい大枠というものを把握していれば、
そうはならないではないか。

時代を越えて正しいものはないのだろうか。
自分が学んだ民主主義も、戦前の日本ではどれほどの風当たりであったかは知っている。

人によっては、敗戦によって持ち込まれた外国思想であると、
公言してはばからないものだった、ということも知っている。

民主主義も、絶対正しい根拠というのは、なさそうなのが不安だった。
これがいいというのは、空気みたいに自然な思いだったが、
それにしてからが、理論的根拠というのは、そんなものなのだ。

あるのは思想の潮流だけである、時代の流れだけである。
果たしてそういうことでいいのだろうか。

日本全体がそれで過去に間違った経験をもっているのに、
もっと確実な思考のよりどころはないのだろうか。
間違わないような、少なくとも大きな間違いをしなくて済むような、
より大きなものの見方が欲しい。
誰もが正しいと思う思考法が欲しい。

戦前戦後の思想的混乱のことを思い返し、右だ左だ、資本主義だ共産主義だなんて、
騒がしい世相のことを考えていると、
誰もが正しいと考えることって何なんだろうと思われてくる。

自分が育ってきた道筋をたどってみる。
単なる意見や主張ではなくて、正しい、間違っていると、判定のつくもの。

そう、あったような気がする。例えば数学であり、自然科学だ。

複雑高度なものはいざ知らず、人が日常を過ごす中では、
これらは十分正否の判定を下してくれる。

戦前と戦後の社会の変化、価値意識の変動、人の口にする言葉の変化を考えていると、
私は、自己主張をしない科学知識にほっとするものを覚えた。

そこで私は、高校で勉強した知識を組み立てて、自然世界における社会の形状を、
つぶさに、なるだけ正確に描いておこうとした。

闇の宇宙に浮かぶ青い地球。
自分を含む人間は、この地球世界から出ることはできない。

そしてこの宇宙は、基本的には、
極小の粒子とエネルギーの世界と見ることができるだろう。


このようにして、高校時代の私は、自然の中に生きている自分、自然の中の社会、
というものを把握しようと努めたのだった。


2 サイエンス描く世界
    〔生きる意味と社会とは何か〕〔 社会認識に至るまでの行程〕〔サイエンス描く社会〕〔般若心経〕                                       
                                                
                                   

〔生きる意味と社会とは何か〕

自分が生きる世界を、宇宙の始めから現在まで、と、長大な幅で考えると、
自分はすぐに死ぬ存在である。

しかしながら、自分はこの世界を知覚する存在として生まれてきた。
正しく世界を認識すること。
それが、他者の益にも通じ、自分が生きる意味にもつながるだろう。

今現在、世界は二分されていて、
その対立は、社会をどう捉えるかという問題に、深くかかわっているらしかった。

当時の新聞を賑わしていた、左右の対立というのがそれらしい。

世界は資本主義(自由主義)陣営と社会主義(共産主義)陣営に二分されていて、
日本国内でもこの二つの勢力が争っているらしいのだ。

世の中の喧騒が、ものの見方に起因する部分が大きいならば、
正しい世界像を築くことというのは、私も、やって意味のあることだ。

第一、社会的立場によって世の中は変わって見え、
意見の違いというのは社会的立場の反映である、
なんてことが当時よく言われていたけれども、
基本的には社会はひとつしかないではないか。

そう思って私は、宇宙から眺めるこの地球世界のことを考える。
この地球にはりついて生きている人間の社会が、
いくつもあるなんてことは、あり得ない。

しかし世の中の論調は、社会の捉え方が人によって違うのは、
社会的立場の違いのせいだと言う。

まずは社会的立場を見定めることが、違いを確認する第一歩だなんて言ってる。
資本家の立場なのか、労働者の立場なのか、
富む者の立場なのか、貧しい者の立場なのか、
それを知ることが、社会認識の始めだと言う。

あるいは人の数だけ認識がある、なんて言っている。

しかし私は思う。宇宙から見た地球社会の姿形が、
視覚認知のレベルで立場によって違って見える、なんてことはあり得ない。

もちろん、人によって気付く度合いや理解の仕方は違う。
しかし、地上の世界の光学的反射は、人の目に届くまでは、同じ時点では同じはずである。

たとえば、Aという人がある空中写真を見て、次のBという人に、その写真を渡したとしよう。
そしてAが見て取った事と、Bが見て取った事に、食い違いがあったとする。
これはよくありそうなことだが、しかし、元の空中写真は1枚しかないのである。

その、1枚しかない写真は、人間の認識に関わらず、物質存在としての社会はひとつしかない、
ということを象徴しているようなものである。     
                 (ここが、ある種の哲学議論と私の話とが、逆になる部分なので、
                 その種の本に出会った時には、気をつけていただきたい)

社会は立場によって違って見える。それが当然だと言う。
しかしこれは、私の世界認識の始めからすると、
一体どういうことなのだろうか。

宇宙的・外観的世界の認識から始めると、
この世上での社会認識の違いというのは、
どのような行程で現れてくるのだろうか。      

〔社会認識に至るまでの行程〕

私は、これを分析解明することが、
社会問題の解決に、役に立つのではないかと思っている。

たとえば、テロリストの社会認識は、なぜそうなっているのか。
資本家の社会認識は、なぜそうなっているのか。労働者はなぜそうなのか。
戦争をする国々の相互認識は、なぜそうなっているのか。

ある物が価値が高くて、ある物が価値が低いのはなぜか。

社会的な認識として多くの人が共有している認識と、個人の独自認識は、どこがどう違うのか。

同じ世界に対して、様々な認識が存在するとは、どういうことか。

それはどのように発生して、どのように社会に影響を与えるのか。

物質世界としての地球世界は一つである。
そこから、様々な対立を含む社会認識が生れてくる。

その発生の行程についての話なんか、聞いたことがない。
自由主義は正しい。資本主義は正しい。
共産主義は正しい。社会主義は正しい。

どちらが正しいかという話ばかりで、そういう状況は、なぜそうなっているのか、
という全体の説明はなかった。

どうして誰もそのような説明をしてくれないのだろう。
自分の出発点は誰もが知っていることだったから、
どうして誰もそれを疑問に思わないのかと思った。
誰も疑問に思わないのなら、自分で考えるしかない。

世の中の混乱が認識方法にかかわるものなら、
認識方法についてのこの自分の疑問を探究することは、
それなりに世の中にとっても意味があるだろう。

何より自分が、それを知りたいのだ。
それを知ることができれば、あのおろかな戦争と悲惨の意味を
知ることができそうな気がする。

人はなぜ生きるのか。死ぬ時は、もろく死ぬものである。それなのに、なぜ生きるのか。

私はその疑問の延長線上で、人が生きる社会というものを捉えた。
人を困惑させ、混乱させ、振り回す、社会とは何かと考えていた。
社会が何であるのかわかったら、自分が生きた意味がわかるような気がした。

このように私は、自分がやらなければならないことを、正しい世界認識だと考えたのである。

漠然とだが、自分が感じている考え方の枠組みが、どこにもないようなのが疑問だった。
またそれが、追求の必要性があると感じ、自分が生きた意味になると感じた、原因でもあった。

〔サイエンス描く世界〕

私にとって、誰もが認める明確な自然観というのは、強力な拠り所に思えた。
長い長い宇宙的な時間や、出現して時わずかな人類、地球をとりまく宇宙環境、
地球の形状等、世界史というものの自然的環境がまず大事だった。

これがつまり、宇宙空間に浮かぶ地球上の、物質現象として世界史をとらえることの、
基本だった。

宇宙全体の組成を極小粒子とエネルギーとして捉えなおす方法があるように、
地球という生命を含む物質圏の組成を、極小粒子とエネルギーとして捉えてみる。

人体も根本的にはこれらでできていて、原子核と電子の動きが刻一刻時を刻む?ように、
地球上の歴史も原子の動きで表現されうる、自然科学的には。

これは、通常の世界史とは、相当異なる見方を私に提供したと思う。
よく言われるように、高校で勉強する世界史は、西洋中心の見方で捉えられたものである。
これには、特に辺境地帯などというものは、スッポリ脱落している。

しかし、地球上の物質組成としては、これら地域が脱落しては、物質現象が成り立たない。
だから、私の世界観の中では「考え方としてだけ」ではあるけれども、
辺境も自動的に同じ比重で登場してくるはずなのだった。

そのために私の中では、高校世界史は、
そのような全地球規模の基盤的な物質世界認識の中から、
「選択された記述」というイメージなのだった。

ここで、地球世界を構成している極小粒子とエネルギーの世界を、
もう少し日常に近づけるために、
原子核と電子でできた「原子」のレベルの世界で考えることにしてみよう。

以下のような話は、科学では基本的な話だが、人文科学では、全く出てこない。

    *人文科学で「原子」と言うと、「科学とは全く別」の意味になる。

    それは、「哲学史」の中での「万物の最小単位」という意味になる。
    それが転じて、「個人」を「社会の最小単位」として捉えることの意味になる。
    それを「原子論的個人主義」などと言ったりする。

    つまり、この場合の「原子」は、一人の人間が、1個の原子だと、言っているのだ。
    これと混同してもらっては困る。

    私は、「人間は無数の原子でできている」と表現する者だからである。

人文科学で言う原子の話は、以下のような科学の話とは、全く無縁の世界である。
だから私は、改めて科学の中の原子を説明するのである。

  原子の種類は百数種類。その性質は、その原子が持っている電子の数で決まる。
  原子の大きさについて少し考えてみる。

  直径10センチのボールを地球の大きさに拡大したとき、
  ボールを構成する物質の 原子は1センチ。

  原子の大きさを「直径100メートルの球」とすると、
  中央にある「原子核は1セ ンチ」、
  その100メートルの球の中を回る「電子の大きさは1ミリ」である。

  もちろん球というのは、大きさについてわかりやすくするために譬えたものである。
  実際の原子は、「1センチの原子核」と、
  100メートル範囲を回る1ないし複数個の「1ミリの電子」しかない。

  このように物質を形成する原子は、実はほとんど何もないのだ。

  100メートル範囲を、
  1ないし複数個の「1ミリの電子」が猛運動しているのを、想像してみよう。

  その猛スピードで運動する電子が作る運動エリアの中は、
  広大な空間が広がるばかりに見えないか。

地球世界は、そのような原子で形成されている。
では人は、なぜそのような空間を認識できないのか。

「人」が、原子に比べると、巨大に過ぎるからである。

  地球世界を、基本は原子核と電子など、極小粒子で構成されたものとして捉えるとしよう。

  水素は原子核1個と電子1個、炭素は原子核1個と電子6個。
  酸素は原子核1個と電子8個、鉄は原子核1個と電子26個、

そこで自分が電子の大きさに縮んだとしたら、周囲には、
原子核と電子、その他の極小粒子しか見えないことになるだろう。

なぜなら電子から見たら、自分以外には、
原子核と電子と極小粒子とエネルギーなどしかないからである。

水もなければ空気もなく、人もなければ家もなく、木も草も虫もない。

すべての物は確実に存在するけれども、
「自分が電子の大きさに縮んだとしたら、」
人間の体で何気なく認識するものは、何もないのだ。

電子の立場で見る。「自分が電子の大きさに縮んだとしたら、」と考えてみる。
これは、人間の認識に関係なく、物質自体の性質で存在する世界を、よく想起させる、
と思って考えたことである。

科学では普通こういう考え方はしない。
しかしながら、科学ではない、とも言えないだろう。

生物としての体を持つ自分。その体も、莫大な数の原子の集まりである。

  人体は膨大な数の細胞の集まりだが、その細胞はまた、膨大な数の分子の集まりであり、
  その分子は、さらに原子の集まりである。

人体がそのようなもので、水も空気も木も草も、地球にあるものすべてがそのようなものならば、
自分は、土から作られ土にもどる、無意味な存在のようでもあり、
仏教が説く色即是空のようでもあった。

でも何もないなんて、現に生きて活動している自分の感覚にはあまりにも遠くて、
現実生活にはそぐわない。
自分には水素と酸素の違いは大きいし、水も空気も人も木も、全部あるのだから。

人間の体を持つ自分にとって、何かが「ある」とはどういうことか。 

たとえば、自分にとって、水や空気が「ある」、ということは、極めて重要なことである。
これを、原子のレベルで考えることなど、日常生活ではほとんど無意味である。

人間にとっては、水は水である。のどの渇きを癒す、絶対必要なものである。空気もしかり。
考える余地のない、必須のものだ。命の必要からである。

しかし、これが物質同士なら、どういう関係になるだろうか。
電子の数が違うというほかには、圧倒的に共通項ばかりの水素と酸素の間で、
お互いに区別しなければならないことなんてない。

物質というのは、物質自体の性質で結合分離するだけで、
「自分がどうなる」なんて、全くおかまいなしだ。

水素と酸素とでは性質がおおいに違い、その中の組成物である電子の行動も、
水素と酸素とでは違うけれども、
究極的には「自分」(つまり、電子とか原子核とか原子)を維持保護するような、
意思的なものは全くない。当然のことながら。

しかし生きている体を持っている私には、酸素と水素では、生きるか死ぬかの違いである。
空気も水も、人体の必要性にかかわる連想と強く結びついている。

こうしたことから私は、自分の周囲についての認識は、
生体維持の感覚を無視できないと感じた。

  生命維持のためには、物質はどうしても必要である。
  自分は膨大な数の細胞の集合体であるが、酸素を取り込んでは二酸化炭素を排出し、
  あるいは飲食物を取ることによって生命維持に必要な成分を取り込み、
  あるいはエネルギーに変換しては活動している。

非常に細分化された、たとえば細胞レベルで考えれば、
どのようにして生命を維持するのかということは、人間の認識には関係ない。

細胞は、人間の思いには関係なく、細胞本来の性質で生命を維持する。

また人間は、「酸素がなければ生きられない。だから呼吸する」なんてことは、
考えてしているわけではない。

あるいはまた、「心臓を動かさなければ体に血が回らない。だから心臓を動かす」
なんてことも、考えてしているわけではない。

人間は、自分の認識には関係なく、生体生成の自然のなせるわざによって生きている
という側面を考えれば、人間は自然の一部であることは間違いないだろう。

しかしそれでは「人間は地球の表面で生成消滅している」で終わってしまうではないか。

たしかにそれも一つの側面ではある。しかし、では一体、
自分が取り囲まれている世間の喧騒は、何なんだろう。

学生運動も騒がしい頃だった。政治での左右対立も激しかった。
冷戦と称する核武装による二極対立も顕著なままだ。

富裕層と貧乏人がいて、地位と名誉と富を手にするのが世間的成功だと言われている、
そういう世の中だった。これらは一体何なんだろう。

それに自分は歴史をたどって自分の存在意義を見いだしたかったのだ。
こういう世界では、歴史はどこにあるのだろう。

〔『般若心経』〕

高校当時の私には、何もかもが空しく感じられた。
何か自分の世界認識に役立つものはないだろうか。
宗教の世界観に学ぶものはあるだろうか。

生家は仏教だったが、高校で思想として知る仏教や実生活で知る仏教というのは、
世界観には無縁だった。

しかし、仏教で世界観を考える人々もいる、というような話を聞いた。
仏教と物理には共通するものがあると感じる人もいる、と。

仏教にもいろいろある。ここで言う仏教が何であるのかさっぱりわからなかったが、
とりあえず、手に取ることができる本があった。それが岩波文庫の『般若心経』である。

読んでみたが、実に奇妙な、違和感だらけの文章だった。

「色は空に異ならず。
色はすなわちこれ空、空はすなわちこれ色なり。
受想行識もまたかくのごとし。

舎利子(弟子のひとり)よ。
この諸法は空相にして、生ぜず、滅せず、垢つかず、浄からず、増さず、減らず、
この故に、空の中には、色もなく、受も想も行も識もなく、
眼も耳も鼻も舌も身も意もなく、色も声も香も触も法もなし。
眼界もなく、乃至、意識界もなし。
無明もなく、また無明の尽くることもなし。
苦も集も滅も道もなく、智もなく、また、得もなし。」

訳はこうなっている。

「この世においては、すべての存在するものには実体がないという特性がある。
生じたということもなく、滅したということもなく、汚れたものでもなく、
汚れを離れたものでもなく、減るということもなく、増すということもない。

それ故にシャーリプトラよ。
実体がないという立場においては、物質的現象もなく
感覚もなく、表象もなく、意志もなく、知識もない。
眼もなく、耳もなく、鼻もなく舌もなく、身体もなく、心もなく、かたちもなく、声もなく、
香りもなく、味もなく、触れられる対象もなく、心の対象もない。
眼の領域から意識の領域にいたるまでことごとくないのである。

迷いもなく、迷いがなくなることもない。
こうしてついに、老いも死もなく、老いと死がなくなることもないというにいたるのである。
苦しみも、苦しみの原因も、苦しみを制することも、苦しみを制する道もない。
知ることもなく、得るところもない。」

この訳の妥当性を検討する方法など私には全くない。
だから、この訳をどう読むのかについても、さっぱりわからない。

しかしとにかく高校生の私は、この文章の中で理解できる部分を、
上記のような、サイエンスから得た知識と重ねていたのだった。

この文章の中で、日常感覚からして最も違和感のある所と言えば、
眼もなく耳もなく鼻もなく舌もなく、身体もなく心もなく形もない、という所だろう。

それを私は、こんな風に感じた。
死ねば確かに何もかも消える。あると思っているものはなくなる。
しかし、体を構成していた物質は、消えるわけではなく、
物質として、水素や炭素やエネルギーに還元されて存在し続ける。

このように、何もないけれども、あり続ける世界というものを考えたのだった。

また、原子核や電子などと、エネルギーや空間・時間などによる世界において、

自分が電子であったなら見るであろう、
確実に存在しているけれども、人間の感覚では「ある」とは言えない、
巨大な「無」の世界の、存在の仕方を考えたのだった。


そして、確実に存在するけれども、
『般若心経』が言う、すべてが「無い」とはどういうことかと、
その内容について、上記のように、
自分を電子に見立てた世界で、自分流に理解したのである。


3、物質だけの存在感  

       〔父の戦時中の体験〕〔空中写真〕〔サイエンスが言う、人体を巡る物質関係〕
       〔宇宙の始めは物質〕〔物質関係の中の自分の生活〕〔黒板の文字〕〔お金〕〔ことば〕
       〔再度「無意味な物質世界」について〕
                              

高校時代の私の着想で重要なのは、
「社会を無意味な物質だけの存在感で捉える思考法」と、
「人間の認識に対する言語の重要性」だと思う。

「社会を無意味な物質だけの存在感で捉える」という着想の背景にあるのは、
かすかに聞く「唯物論」という言葉の影響もあるだろう。

郷里では、いくら耳を澄ましても、「唯物論」や「マルクス主義」
という言葉の内容は、さっぱり伝わって来なかった。

ニュースや識者はさんざん口にする。しかしそれらは断片である。
詳しい内容は、私の郷里ではまるで、伏せられるか避けられるか、するようだった。

そこで私は、「唯物論」とは、文字通り「物質だけの世界」
について論じるものなのだろう、と思ったのだ。

「物質だけの世界」とはどんなものか。

それを考えるのに、「空中写真」のイメージは重要な役割を果たした。

それは、祖母が教えた「点より小さな家」というイメージと、
相互に補完する役割をになったものである。


〔父の戦時中の体験〕

私の空中写真の体験を語るとき、父の影響を無視することはできない。
私の場合、父が空中写真に興味を示したのだ。

それは郷里の空撮だった。あたかも自分たちを上空から見たらどのように見えるか、
ということが目的であるかのようだった。

父と空撮との最初の記憶は、以下のようなものである。

私が小学校入学前後に、校庭で人文字を作った。「〇〇小学校」という人文字である。
どういうものか、保育園の時と、小学生になってからと、2回あったような気がする。

そしてその空撮したのを見る機会があった。保育園の時の写真は見ないままで、
小学校1年の時の写真だったと思う。

人文字の中で私は黒い頭にしか見えないのだが、自分の頭がどれであるか、
その時ははっきりわかった。位置で記憶して、様子でこれだとわかったのである。

その空撮の写真を見て、父が衝撃を受けていた記憶があるのだ。

それ以来、航空写真を再々買うことになった。父は北海道の身内に送っていた。

私の父は、過去に戦闘員として特異な戦争体験を持っていた。
戦争末期、3人乗りの特殊潜航艇乗員として、
沖縄で約150人の部隊に配属されていたのだ。

3月23日に始まったアメリカ爆撃機の空襲は、日本軍の施設や人員に対し、
ほとんど反撃の余地なく的確に甚大な打撃を与えた。

父の出撃3回。間断のない空爆に、特殊潜航艇基地も潰滅的な打撃を受け、
米軍北上部隊が近づきつつあった。

父達はやむを得ず陸戦に移行したが、戦友は次々に戦死、やがて食料弾薬も尽き、
部隊解散となった。その時上官は言ったそうだ。
「成し得れば沖縄を脱出し、本土決戦に備えよ」と。

山中での劣悪な環境、山狩りとの戦い。
死闘の中、8月の始めに、浜に埋もれていた石灰運搬用の曳船を発見。
それをきっかけに父たちは、アリのはい出る隙間もない沖縄から、脱出を試みた。

山中で切った帆柱、敵の通信線と陸軍の持っていた毛布で帆をつくり、オールも作った。
そして海軍特潜艇部隊残存者7名、山中で一緒になった陸軍15名で、
米艦艇が多数停泊している港から、闇夜に脱出を試みたのだそうだ。

うようよしている敵艦艇の間をこぎ抜けるのは不可能に近く見える。
港を抜けるのに5時間。夜明が迫る。
絶望的だ、と、自決用の手榴弾をまさぐる内に、奇跡的に台風が襲ってきた。

こうして強風に煽られて港からは遠ざかったものの、制御できなくなった船で一週間、
水食料のないまま漂流、機銃掃射にもさらされて死者を出しつつ、
終戦を過ぎて米軍に収容された。

父はそういう経歴の持ち主だった。

空中写真が、父の沖縄での、設営した基地や艇が猛爆にさらされた戦時中の体験に、
たぶん強く関係があるのだろうというのは、
顔色を変えた父の様子の、おぼろげな記憶のせいもある。

つまり空中写真の再々の購入は、爆撃前にやってくる米軍の偵察機、
その後にやってくる爆撃機の大群、その施設を狙う的確さが、空中写真のせいだと気付き、
その威力にこだわりがあったからではないかと思うのだ。


〔空中写真〕
空中写真の画期的利用の始めは、第1次世界大戦のドイツの軍事利用だったらしい。

地面を垂直に、しかも連続的に写してゆく自動式の航空カメラの登場である。
戦場での空中写真からは、貴重な軍事情報が得られることがわかった。
すぐに連合軍も真似をした。

しかし日本では、写真情報に対する軍首脳部の考え方は今ひとつだったらしい。
戦争が長期化するにつれ、空中偵察の実力の差は開いていった。

沖縄戦では、米軍によって空中写真が大量に撮影され、
海上特攻兵器や神風特攻隊の飛行機も、これらの写真判読によって発見されていた。

こうした情報は、西尾元充著『空中写真の世界』中公新書(1969年刊)による。
兄に確認したところによれば、この本は父が買ったものらしい。
だから、父としては、昭和44年以降に手にした情報ということになる。

この本は、日本軍の空中写真の利用が、戦前から存在していたことも語っている。
しかしそれは、どの程度知られた事実であったのか、それが非常に疑問である。

私としては、父は戦後になって軍事利用の空中写真のことを知ったような気がしている。
そう、小学校での人文字空撮を見た瞬間に、初めて気がついたのではないかと思うのだ。

はるか上空を舞う偵察機が、事前に空中写真で、
日本軍の施設を的確に把握していたに違いないと気がついたのは、
おそらく戦後だろうと思う。下っ端は知らなかったのではあるまいか。

なぜなら父達の行動の記録の中では、
偵察機に対して、どういう意識で警戒するべきかという、
具体的な内容に、全く言及していないからである。

     (参考:佐野大和著『特殊潜行艇』図書出版社1975年)     父と特殊潜航艇

日本でも、航空部隊では海外から導入された空撮の軍事利用が存在しているのに、
敵国の空撮に対する警戒情報が、軍内部で共有されていないとはどういうことか。

これが本当だったら、軍内部の情報の共有としては、致命的にお粗末な話だと思う。
制空権を失った時から、相当の情報が握られているのに、
地上で一生懸命反撃の準備をしているなんて、具の骨頂ではないだろうか。

ともあれ、郷里の空中写真は、私にとっては、
社会が物質だけの存在感だと、こんな風に見える、
という、一例を提供してくれるものだった。

だから小学校低学年で、「空から見た自分」というものを、
念を入れて確認するような事になったのだと思う。

そこには、日常的に人が思っているような、社会の上下や仕組みなど何も見えない。

「普通」の空中写真の利用法というのは、あらゆる知識を動員して、
そのむきだしの物質だけの世界に「人間の考えの痕跡を読む」、
「人間の利用法を読む」というものが多い。

しかし私は、「社会が物質だけならどのように見えるのか」ということを、
方法的に突き詰めて考えてみたかった。

〔サイエンスが言う、人体を巡る物質関係〕

その私にとっては、個々の人間を取り巻く物質関係というのは、
物質に常に取り囲まれているということだった。

酸素や窒素の混合物である空気、水、炭水化物やたんぱく質やミネラルなどの食物、
あるいは光、気温、気圧、重力、等々の物理的要素。

一人一人の人間の体が、そういう物質の環境の中で、
いかに精緻な仕組みでもって生命を維持しているか。
そういうことが、私にとっての物質関係だった。

「物質」という言葉の扱いには苦慮する。

ただ物質と言えば、物質問題という言葉から連想して、
経済価値のある物、という意味が含まれることがあった。

マルクス主義が盛んだった頃、いくら話しても、
社会における物質問題となると、お金の話にしかならなかった。

自然科学で言う物質、と説明すると、それは社会には関係のない無駄話、
といった感じで、全く取り合ってもらえない。

逆に科学物質と言えば、人間が自然から抽出した、
あるがままでは存在しない物質、の意味が強くなる。

それもまた、どこが社会に関係するのか、全く論外、というわけで
取り合ってもらえない。

こういう問題があるのだということを理解した上で、
私が使っている「物質」という言葉の意味について、
個々に模索しつつ目を通していただければありがたいと思う。

私の言う「物質」については、近年の広辞苑の「物質」の項目は、以前よりは参考になる。




しかしこれだと、逆に、かつての「物質」という言葉を巡る混乱が、説明できないくらいだ。

〔宇宙の始めは物質〕

宇宙の始めは物質だけだったらしい。
そこから発生してきた生命だって、物質による組成なのだから物質だろう。

大きなまとまりとなって保存や維持の行動を取り、
あるいは自分と共通した組織を持つものを残して増やすという行動をするが、
その生命維持のためには物質が必要不可欠である。

生命が何かを考えようとするなら、物質の部分を確認しなければならないような気がした。

当時のマルクス主義が流行する社会では、
私が言っている科学物質的な世界とは全く別の、
経済問題を物質問題とする考え方が強い力を持っていた。


このマルクス主義が「唯物論」だと言われているのは知っていたが、
自分が考えているような形での、
宇宙から見た地球世界という、サイエンス風唯物論には遠かった。

宇宙の始めは物質である。この点ではマルクス主義と私は同じらしかった。

しかし、そこから現代社会に至るまでの間で、
私が考えているようなことに、全く言及していないみたいなのが、不思議だった。

たとえば宇宙創成から地球の誕生、人類の誕生から文明の発祥という、
宇宙的物質創成の中の歴史、
地球が「現在も」そうした宇宙的物質創成の時の流れの中にある物質的な系であること、
など、マルクス主義は語らない。

途中から、つまり人類の歴史が始まった時点から、
それは人間相互の間の、
有用物質の生産・分配・所有という側面で、自然科学と同様の法則がある、
という話に変容するように思われるのだ。

しかし私は、今現在の物質世界を考えている。
どうしてこれをなおざりにできようか。自分としてはできない。
だから、というわけで、私は自分の思考過程にこだわっていた。

田舎にはマルクス主義をさらに知る本などなかった。
唯物論という名前は気にしても、私の世界では、一向に、
経済の話までには、届きそうになかった。

だから、マルクス主義が言う、経済問題が物質問題であるという風になるまでに、
どうにかして、自分の思考過程と接点が生まれるのかなぁ、くらいの思いだった。

高校時代は、マルクス主義が自分にかかわってくるなどとは、夢にも思わなかった。

第一、自分が考えていることが、
唯物論を標榜する政治的左派の考え方に全く存在しないなんて、
そういうことだって、考えてみたこともなかったのだ。

〔物質関係の中の自分の生活〕

こうした世界で、自分が生きているとはどういうことか、と考えを進める。
空気中の酸素を吸って生きている自分。

自然世界で育まれたものを食べて生きている自分。
自然の荒々しさから生活を守るために家を建て、
寒暖から身を守るために衣服を身にまとう。

直接人体に係わる生命維持のための物質は、酸素以外は、
多くの人の手を経ながら、この地球世界の地上で調達しているようだ。

(この段階では、お金の必要性は認識していなかった。
お金と交換して手に入れているというよりは、
必要な品物・素材が、どのようにこの地上で調達されているか
ということに関心があった。)

それにしてもこうした衣食住はともかく、自分の毎日の行動で非常に大きなもの、
「学校へ行く」というのは何なんだろう。

これは自分にとっては半ば強制的とも思われる、必要行動だった。
しかし「生きる」ことに何の関係があるのか。
生命維持活動を基準に考えると、すぐにはわからないではないか。

〔黒板の文字〕
毎日黒板の板書を見ては、勉強している。
勉強は、生命維持の物質関係には関係ないみたいだった。

つまり呼吸して体内に必要な酸素を取り入れるとか、
取り入れた食べ物を消化吸収して体を作ったりエネルギーに変えたりするとか、
重力が骨を作るのに関係しているとか、
衣服が体温を適切に保つのに効果があるとか、
そのような意味では、勉強は生命維持に関係ない。

しかし自分も他人も、やけに重大そうに時間を割いて取り組んでいるではないか。
黒板の文字を見る。身体と黒板の文字との間に、何か物質関係があるだろうか。

   光は、文字の部分と背景の黒板とでは、反射する波長が違う。
   そこで、人間の目は、その波長の違いを区別して認識する。

     普通はここで「人間の目が文字を認識する」と結論するところなのだろうが、
     私はそうは思わなかった。

     何しろ私の世界では、人体も含めてすべてが極小粒子とエネルギーなのであって、
     意味の拠り所がないのだ。

  白墨の粉で書かれた線。自分が電子の大きさなら、それはどのように見えるのか。
  たとえばミリ単位の点でも、原子だと巨大な集まりになる。

  文字の形というのは、人間の目の解像度の大きさに合うものであって、
  初めて形として捉えられるのである。

  電子の大きさである自分から見たら、白墨で書かれた文字の形など、
  巨大すぎて意味がない。

  つまり私は、以下のように思ったのだ。
  原子核の周囲100メートル範囲を運動する1ミリの電子から見たら、
                  (ここで時間を限りなくゼロに収斂したとしたら)
  白墨で書かれた文字というのは、原子や分子が、
  はるかかなたに漠々と広がる世界であろう。
  そこでは、文字の形など、意味がない。

人間である私は文字を知っているが、これが電子だったら、
人間が文字だと感じている形は、意味のない分子の層である。

黒板の上にアリがいたとしても、文字を知らないアリは、文字に意味を感じないだろう。
それと同じようなものである。

もともとは単なる物質存在であって意味がない「白墨の線」を、
物質でできた体を持つ人間が、目で見ている。

   見ている方の人体は、膨大な数の細胞の集合体であり、
   目はその中の視覚をつかさどる器官であり、
   膨大な数の細胞の集合体であり、
   膨大な数の原子や分子で構成されている物質でもある。

その人体のセンサーである「目」が、反射する光の波長の違いを捉えた。
こうして文字の形を捉えたけれども、目は、そのままでは文字の形に意味を読むことはない。

単に光の波長の違いから「形」を捉えているだけである。
それが、光を媒介とした「白墨線」と「目」の間にある物質関係の全体である。

生きるのに必要なもの、人体に危険なものとなると、
生体反応による感覚が動きだすような気がするのだが、
「白墨線」と「目」の間では、生体反応による感覚など関係がない。

こうして私の世界の物質関係のレベルでは、
「学校で黒板の文字を見る」という行為の意味が理解できないことになってしまったのだった。

何と言っても学校では、「脳」の話が、「理科」ではほとんど出てこない。
そのせいか、この段階では「脳」の働きに思いが及ばなかった。

また、高校の倫理の資料集の、唯物論に関する話を読んでみても、
文字を読む行為を、唯物論でどうやって理解するのか、となると、説明がなかった。
経済の話はあったけれど。

しかしながら、思考を転じて日常に戻れば、ちゃんと黒板の文字を読んで勉強している。
自分の唯物論的思考展開では、文字を読むという行為は、理解不能で考え中なのに、
日常生活は普段の通りに進行しているのだ。

私の中では、世界が二分裂したような状態であった。
「意味のない世界」と、「意味のある世界」に、である。


〔お金〕
私の思考のキーワードは「無意味な物質」だった。
自分の生命維持活動や行動にとって、即自分の肉体に役立つレベルのものは、
簡単に「物質」として捉えることができた。
机も自転車もテレビも衣服も食べ物も、この点では簡単だった。

こうしてさらに日常生活を「物質」として捉えることに心を砕いていると、
また奇妙な物にぶつかった。お金である。

お金は非常に怪しげに思えた。「即、自分の肉体に役立つ」物質とは思えない。

パンが必要な時、丸い金属を出して、代わりにそれを受け取る。
これは何をしているのか。

そして、硬貨やお札の混じっているサイフのことを考えた。

アルミや銅や亜鉛や銀の混じった丸いそれぞれの金属と、模様や大きさの違うそれぞれの紙。
これらの物質としての存在感と、日常感覚での価値の感覚を比べてみた。

どうしてこれらの物質は、「1」「5」「10」「100」「500」、「1000」「5000」「10000」
なのだろうか。

どうも、物質としての違いよりも、別のことの違いの方が大きな意味があるようだ。
その違いとは、お金に表示してある金額らしかった。
物質存在としての紙幣の種類に、どれほどの差があるというのだろう。
それなのに1万円札と千円札では10倍違う。

あるいは10円玉と1万円札。
数字も人間の文化様式も知らない「猿」にとって、
物質としての存在感は、どちらに軍配が上がるだろう。

その結果はともかく、人間にとっての存在感が千倍の違いだなんて、
全然わからないのではないだろうか。
はたしてこのようなお金は、「物質」だろうか。       
       
マルクス主義では、経済、つまりお金の問題を、物質問題と呼んでいるのはわかっていた。
そして自分は「物質」をキーワードに物質関係を追ってきたつもりなのだ。

ところが、自分が考えている物質関係とは次元の違う問題が、
肝心なお金のところで発生しているようなのに引っ掛かった。

こうして私は、文字とお金という、この二点で疑問を抱えたままになる。

〔ことば〕
そんな時に、鈴木孝夫氏の『ことばと文化』(岩波新書)の「ものとことば」の章
に出会って、そうか、人間の認識には言葉が重要なのだ、と、思いを致すことになる。

詳しいことは次の章で紹介することにするが、
それを元にして私が考えたことを、以下に簡単に述べる。

生まれたての人間にとって、言葉は外からやってくるものだ。
そして言葉は、人間の脳の中に定着し、外界を認識する際に大きな役割を果たす。
目で見たものを、既に脳の中にある言葉で捉えているのだ。---と。

〔再度「無意味な物質世界」について〕
無意味な物質世界というのは、人間の視点による整理などとは全く無関係に、
存在は存在なのだ、という意味で使っている。

例えばこの世界を、原子核や電子でできた原子、
あるいはクォークと呼ばれるさらに小さな粒子やエネルギーという細分化された世界として、
その存在の姿だけで捉えなおしてみたとしよう。

その時には、原子・分子という概念も、液体・固体・気体という概念も、
また結晶・結合・原子の並びという概念も、
人間の視点で整理したものなのである。

極小粒子とエネルギーだけの存在のレベルで、
そのような人間の視点による整理を意図的に排して、存在の仕方だけに思いを致す。

「素粒子といわれる存在レベルの世界」にまで意識をたどりつかせつつ、
つまり自分が素粒子の大きさになることを想像してみて、

そこから遡って、科学の世界や日常の世界で人間が普通に考えることに思いを致す。

そういう思考経過の中では、原点である「存在だけの世界」というものには、
およそ意味というものがない。

自分が素粒子や電子になって「存在だけの世界」を運動し続けるなら、
人間が考える意味など、存在のしようがない。

こうして、人間が分類・整理に便利として考えた、
考え方・とらえ方の枠組みを全部はずして、
存在しているものだけの存在の仕方に思いを致す。

そうすると、物質世界は基本的には無意味である、と、表現してもいいと思うのだ。

私の場合、存在の仕方に思いを致すには、科学の知識を使わねばならない。
物質存在の様々なレベルについて考えてみるためには、科学の知識を使っている。

例えば原子核を構成するクォークと呼ばれるさらに小さな物質のレベル、
原子のレベル、分子のレベル、さらにさらに、段々大きなレベルへと、
視点移動が可能である。

しかしこれらは科学のモデルを使って考えているのであって、
現実の目の前の本や机や、自分の体がどのような構成になっているのかというのは、
直接調べてみたわけではないので、本当は、
科学ではわかったとは「言わない!」分野の問題なのだ。

しかし、だからと言って、目の前の本や机や、あるいは自分の体が、
原子核と電子では「できていない」と考えることは、
科学だろうか。いや、これも科学とは言えないだろう。

原子のモデルも、原子核と電子によるモデルがあるにはあるが、
それらがよくあるモデルのように、丸い粒のようなものかどうかは、
わかっているわけではない。

このように科学のモデルを使って「存在」について考えはしても、
人間の視点設定と「存在」の姿の本当のありようとは、
まだまだかなり食い違っている可能性がある。


それでも、人間とは何か、物質とは何か、存在とは何かと考えるのに、
科学を使わずにはいられない。

人間の視点を取り外し、「物質の存在の仕方の性質のみ」によって、
この世界が「在る」、そのありようを考えるのに、
私の場合は、科学の知識は一役も二役も買っているのだ。


4、ものとことば  
                                 

空中写真は、社会の物質感を映し出す。

しかしながら、宇宙から地球社会を物質の存在感だけで考え、
また、自分の生活を物質の存在感だけで考えていると、
実際のところ、自分の日常は、さっぱり見えない。

宇宙から物質としての存在感だけで人生を考えると、
生まれた人は、だんだん成長し、動き回り、やがて年をとって死に至る、

そんな風にしか見えないのではないだろうか。
それが、空中写真の世界の、もたらすイメージではないだろうか。

では、私たちが普通に感じる社会、学校とか会社とか職業とか、
お金持ちとか貧乏人とか、社会関係の上下とか、
どこの誰とか、あれは何であるかとか、

こういう、社会には普通にあると思われている、いろいろな物や事は、
どういう「在りかた」なのだろうか。

そういう疑問を抱えている時、私は、
鈴木孝夫『ことばと文化』(岩波新書)の、「ものとことば」の章に出会ったのであった。

そのとたん、私は、日常生活の要(かなめ)は「ことば」なのだと、直観した。

私がこの本の「ものとことば」の文章を読んだのは高三の冬だ。
受験の最中に、ふと目に止まった文章だった。

私は、まずは自然科学の大枠を大事にし、物質の存在感だけだと世界はどうなるか、
と考えた。するとそれは、日常世界ではなくなってしまった。

しかし日々を送っている自分は、全く普段のままである。
だからこの時期、連絡のない二つの世界を抱えているようなものだった。

これまで考えてきたように、片方では無意味な世界が考えられる。
しかしもう一方では、意味がないと、全く生きていけない。

例えば朝起きて、「学校」という言葉がない世界だったら、どうなるだろう。
家を出ることはないだろう。
「新聞」を見ても、文字に意味がない。紙に細かい黒い模様があるだけだ。
テレビを見ても、アナウンサーの言葉は、ただ単なる音であって、意味がない。
これでは何もわからない。

あるいはまた、こんなことも考えた。
自分が原子の塊だったら、床や壁に同化できるか?そんなことはない。

机に手を置くと手は机の中に消えるか?そんなことはない。
自分は周囲に対して存在しているのだ。

   *実はこれは、ヴォークト『宇宙船ビーグル号の冒険』創元推理文庫
    という本に、壁や天井を透過する宇宙生物が出てくるので考えてみたのである。

このように「在るものはすべて空である」という般若心経のようには行かない。
目がない、耳がない、鼻も口もない、というようなことでは、とても不便だ。

 かくして世界は空(くう)のようであるけれども、基本的には自分の体を基点にして、
物や事は「在る」と考えないと、自分が生きていけないのであった。

 生きていけない。これは大変なことだった。
こんなおかしな想念はさっさと振り捨てて、日常に戻らなければ。
---こうして日常に戻ってくると、ごく普通に暮らせるのだ。

 しかし無意味な世界という想念が、間違っているはずもない。
ごく普通の自然科学の知識を使って組み立てただけの話だ。

みんな知っていることだった。どうしてこんな二つの世界ができてしまったのだろう。
そしてどうして誰も不思議に思わないのだろう。

  古今の哲学の概説を高校の資料集でたどっても、全然関係なさそうだった。
こんな不思議なことが、哲学のテーマにならないはずがない。
とても大きな問題のような気がする。

しかし、無意味な世界から意味が発生する状況について考えた話など、
全く存在しなかった。

 そういう疑問を抱えたままの私にとって、
鈴木氏の文章は、私にとっては、自然科学の世界と人間の世界の、
境界線上を行くように感じられた。

私が他のどこにも見つけることのできなかった、物質存在だけの無意味な世界を、
私は鈴木氏の文章の中に見つけることができた。
そしてそこには、意味の発生について示唆するものがあったのである。

    (ただし、鈴木氏ご自身は「物質存在だけの世界」なんてことには
    全く無頓着のように見えた。

    それよりも「ことば」の働きというものに極めて強烈な関心をお持ちで、
    「言葉がものをあらしめるのだ」とまで言っておられた。
    鈴木氏はこの言辞によって、当時の唯物論盛んなご時勢で、物議を醸した方でもあった。

    つまり鈴木氏は、「まずは物質がある」と思う私の考えとは、全く逆らしかったのだ。
    しかし私は自分の関心から、その文章に非常に感銘を受けたのだった。)

では、少し長いけれども、鈴木孝夫氏の本から、「机とは何か」と言う部分を引用してみよう。

  「机にはでできたのも、のもある。
  夏の庭ではガラス製の机も見かけるし、公園には、コンクリートのものさえある。

  脚の数もまちまちだ。第一私がいま使っている机には脚がない。
  壁に板がはめ込んであって、造りつけになっている。

  また一本足の机があるかと思えば、会議用の机のように何本もあるのも見かける。

  も、四角、円形は普通だし、部屋の隅で花びんなどを置く三角のものもある。
  高さは日本間で座って使う低いものから、椅子用の高いものまでいろいろと違う。

  こう考えてみると、机を形態、素材、色彩、大きさ、脚の有無及び数といった
  外見的具体的な特徴から定義することは、殆ど不可能であることが分かってくる。

  そこで机とは何かといえば、
  「人がその上で何かをするために利用できる平面を確保してくれるもの」
  とでも言う他はあるまい。

  ただ生活の必要上、常時そのような平面を、特定の場所で確保する必要と、
  商品として製作するためのいろいろな制限が、

  ある特定の時代の、特定の国における机を、ほぼある一定の範囲での
  形や大きさ、材質などに決定しているにすぎない。

  だが、人がその上で何かをする平面はすべて机かといえば、必ずしもそうでない。

  たとえば棚は、いま述べた机とほぼ同じ定義があてはまる。
  家の床も、その上で人が何かをするという意味では同じである。

  そこで机を棚や床から区別するために、
  「その前で人がある程度の時間、座るか立止まるかして、その上で何かをする、
  床と離れている平面」

  とでも言わなければならない。

  注意してほしいことは、この長たらしい定義の内で、人間側の要素
  つまり、そこにあるものに対する利用目的とか、
  人との相対的位置といった条件
が大切なのであって、

  そこに素材として、人間の外側に存在するものの持つ多くの性質は、
  ことばで表されるものを決定する要因にはなっていない
  ということである。

  人間の視点を離れて、たとえば室内に飼われている猿や犬の目から見れば、
  ある種の棚と、机と、椅子の区別は理解できないだろう。

  机というものをあらしめているのは、全く人間に特有な観点であり、
  そこに机というものがあるように私たちが思うのは、ことばの力によるのである。」(P32)

  「ことばというものは、混沌とした、連続的で切れ目のない素材の世界に、
  人間の見地から、人間にとって有意義と思われる仕方で、虚構の文節を与え、
  そして分類する働きを担っている。

  言語とは絶えず生成し、常に流動している世界を、あたかも整然と区分された、
  ものやことの集合であるかのような姿の下に、
  人間に提示して見せる虚構性を本質的に持っているのである。」(P34)

私には、最後の方の「混沌とした、連続的で切れ目のない素材の世界」
「絶えず生成し、常に流動している世界」という表現が、
自分の「物質の存在感だけで捉えた世界」に重なって見えたのだ。

私はそもそも、原子や分子の構造、結合の仕方や並び方、疎密、運動の性質、空間
とエネルギーなど、物質世界の存在の仕方から考えて、
自分の意識から意図的に人間が考えた意味というものを取り去ろうとした。
科学の認識枠を使いつつ、科学の枠組みをはずして物質存在だけの世界に迫ろうとした。

その自分の考え方は、
「人間の認識は言葉によるものである」
「言語がなかったら、人間は存在する世界を認識したとは言えない」という、
言葉の必要を説く世界とは逆である。

しかしその自分が考えた、「言葉がない世界」についての表現が、鈴木氏の文章では、
「混沌・連続・生成・流動」というような形で出てきているように思われた。

人間が分類整理しなければ、確実に存在するものであっても、把握の方法がない。

たとえば「口」は、連続している人間の体の一部であって、切り取るわけにはいかない。
切り取れるほど独立しているわけではないなら、それは存在しない、とすれば良いのか。

しかしそうなると、それでは不便極まりない。
やはり「口」は「ある」とした方が便利である。
ここには人間の視点がある。

物質の存在の仕方の大枠は、科学が示すあり方に近いものだと思うのだ。

  科学は物質の性質のみにしたがって分類整理しようとする。

  素粒子や原子や分子などという物質の構造は、人間の主観や願望とは関係なく、
  物質の性質のみにしたがって分類整理しようとしたものだ。

もちろん、数量単位の基準が、長さであるか、重さであるか、個数であるか、
というような基準を決めるのは、人間の側の都合によるものである。

最初は、人間の体が、「長さや重さや個数というものが、物質世界には存在する」、
と考えるのに、都合の良い大きさで単位を決めるのだ。
この都合の良い大きさというのは、地球の哺乳動物には、かなり共通項を持つだろう。
(もちろん、宇宙的規模という意味である)

そして、もし人間以外の高度に発達した知的生命体が物質世界を探究したとしても、
途中のプロセスは違っても、共通した認識にたどりつく可能性が高いだろう。
物質世界は一つしかないのだから。

しかし物質世界の大枠がそのように確かに存在していたとしても、科学の言葉がなければ、
認識する側の認識は、混沌・連続・生成・流動といったような感じになるだろう。

たとえば、自分が電子の大きさになったと考えた時の、1滴の水は、
常に混沌・連続・生成・流動しているし、

人間の体だって、膨大な数の細胞群の一集合形態であって、
原子でできた分子構造物が絶えず出入りしている、連続・生成・流動現象なのだ。

長い時間の尺度からすれば、人間の命は短いものだ。
人間は自分が持つ短い時間で物事を計る。

今行動するのに判断が必要なのだ。
その判断に必要なのは、情報であり、認識である。

 例えば「机」という概念は、人間の行動判断に即座に役に立つ。
何かをしようとする時に台になる平面は、
自分が台の上でしたいことや姿勢の記憶など、
目的や身体感覚と結びついて、行動を容易かつ確実にするものである。

 『水』も同様である。「水」は、飲んだときの、味や喉の動きやお腹の膨らむ感じ、
体の充足感と結びついて、自分の行動判断に即座に役に立つ概念である。

科学の用語である「原子」や「分子」が示す概念も、
人間にとってどのような役割を果たすかという目的意識を背景に、
物質の性質を簡単に割り出して判断を可能にする。

例えば日常では飲むための水でも、産業的には純度の極端に高い「純水」もあるし、
あるいは「軟水」か「硬水」かでも用途は違ってくるだろう。

このように同じ「水」でも特別用途の「水」があるが、
大部分が「H2O」であれば「水」であると判断できる。

それは、水素原子2個と酸素原子1個が結びついた水の分子であることを示す
「H2O」という概念が大いに貢献するところだと思うのだ。

そしてまた文字の問題がある。
文字そのものは物質が形状をなしたものであって、それ自体に意味があるわけではない。

人間の脳の側に、文字の意味の発生構造があって、脳内パターンと照合したとたん、
脳内で身体感覚や既成知識に連動するような、
意味の発生があると考えたら、わかりやすい。

また色の違いは、光の反射波長の違いに過ぎない。
波長の長さを、人間の識別の度合いに合わせて、それに数字を振ったって、
色の識別の目的のためには、一応は間に合いそうなものだ。

しかし、緑や青や赤という名称の代わりに数字を並べるなんて、なんて味気ないのだろう。
人間は身体感覚としては、色に特別な思いがある。

言葉はこのように人間の認識に大きな役割を果たす。
そう理解したことは、後の情報社会論への飛躍につながった。

言葉が表示する認識パターンの連想から、
情報というもの全体への連想に飛躍したのである。

 また、鈴木孝夫氏の「机」の例からわかるように、
言葉の概念には人間中心の視点というものがある。

これも私にとっては、少し違った意味合いで、重要な考え方の軸につながって
くるものなのである。


5、 元東大総長が書いた東大教科書との衝突        
                                   
〔何でもある歴史学?〕
私が大学で専攻したのは歴史学だった。

自分とは何か。自分が生きる意味とは何か。
それを考えるには、歴史の大きな流れの中で考えることが必要だと思ったのだ。

私は、実際の歴史学が何をしているのか、全く知らなかった。

歴史とは、人間が経験した、すべての知識や情報の集大成だと思っていた。
そこにはすべてがあるはずだった。

学校で学ぶ世界史の知識、これまでに歴史を彩ってきた偉人達、
新聞縮刷版や報道写真集による戦争の知識。

さらには、科学、哲学、政治経済、文学、人間心理、文化、自然現象など、
すべての材料があると思っていた。

何の材料かと言えば、自分が考えるための材料である。
生きる意味とは、というような問いは、哲学めいていたが、
哲学には具体的な材料がないと思った。

何でも材料がある。そういう領域の方が良いと思ったのだ。

〔操作されないような社会認識を〕

それに、それまでに得た知識から考えると、
社会について、決定打と言えるような学問がないような気がして、それが気になった。

サイエンスの体系のような確実さを伴う何かが、社会に関する学問には存在していない。
そう思えたことが、私を社会に関する学へと向かわせたのである。

なぜ決定打を放つような頭脳は、サイエンスへと向かうのか。
(おこがましい問題提起の仕方で申し訳ありません。)

傑出した頭脳は、みな危険な世界に背を向けているような気がした。
例えば当時、子供の伝記の世界では有名だった、
ガリレオ、ニュートン、キュリー婦人、あるいはまたアインシュタインなど。

相対性理論によって、膨大なエネルギーを取り出せることを予言し、
原爆開発の可能性を理論的に示したアインシュタインも、
結局は政治に振り回されたのではないか。

そして原子爆弾の実現や、生命操作の可能性をはらむ科学技術の発達は、
科学が人間に向かう刃物であることも示唆していた。

そうした政治情勢の中で悪魔的に働く科学者というのは、
当時のマンガやSF小説の中にも登場していて、

こういう操作されるだけの立場しか取れない科学者というのも、
自分とは立場が違う感じだった。

自分は振り回されたくない。
できれば高みから観察し続けて、何が問題なのか、
的確に把握できる姿勢を取りつづけたい。私はそう思ったのだ。

私が思う歴史とは、2章で述べたように、少々変わった認識が背景にあった。

宇宙全体の組成を極小粒子とエネルギーとして捉えなおす。
地球という生命を含む物質圏の組成を、極小粒子とエネルギーとして捉えてみる。
人体も根本的にはこれらでできている。

原子核と電子の動きが刻一刻時を刻む?ように、地球上の歴史も、
原子の動きとして捉える、という考え方が、成立しないわけではない。

その歴史は、人間が考えるような意味を持たない。物質の変化だけの世界である。
巨視的に見れば、その「社会」という名前の物質世界は、
あくまでも宇宙空間から見た地球という物質系にある。

その物質の変化だけの世界と、
通常の、歴史と言われている世界の比較を考えることによって、
宇宙的な時の流れの中にある、この世界に生きる自分の命の意味を知りたい。

このように、歴史と言っても、私の場合は相当変わっていただろう。

それに、長大な宇宙的時間の中にある自分の命の意味を知りたくて、
歴史学に入った人なんて、果しているのだろうか。
しかし自分が非常に変わっているなんて、自分では全く気付かなかった。

歴史学を選んだ目的を考えると哲学みたいだったが、
新聞縮刷版で昭和の歴史を見ていたような者にとっては、
哲学はあまりにも考える材料がなさすぎるような気がしたのだった。

それほどに昭和の歴史は暴力と戦争に満ちていて、世界の危険を感知しつつ考えるには、
歴史学がふさわしいような気がしたのだ。


〔歴史学方法論〕

そう思って選んだ学部だったのだが、2年で専門講義が始まると、すぐに自分の勘
違いに困惑することになった。時は1975年(昭和50年)。

専門講義のテーマがあまりにも具体的で細か過ぎる。

しかも具体的な事実にたどりつくまでに、解読にやっかいな技術が必要な、
史料という媒介物があって、それをこなさないと、歴史学的な手続きを踏んだとは言えない。

よく考えてみたら、自分は過去の事実を探究するために、
大学に来たわけじゃなかったのだ。
こんなことを勉強しても、自分の目的にとっては全然意味がない。

それでも自分は歴史について、学ぶべきものがあるというイメージを抱いていたはずだ。
それは何だったのか。

私が考えていたのは、宇宙の始まりから現在に至るまでの、
極めて長い時間の尺度の中で、世界史を考え、近代や現代を考え、
自分が生きている現在について考えたいということだった。

自分が生きることを中心に考えたら、世界を知るには、
社会を対象に含んだ世界史を学べばいいような気がするわけである。

しかしながら、世界史に答えが書いてあるわけではない。
私は世界史を通じて、自分が生きる意味の答えを見つけ出したかったのだ。

世界とは何か、歴史とは何か、人間とは何か、人間が生きる意味は何か。

より正しい納得のいく世界観が見つかれば、
それが自分が生きる意味につながるような気がした。

それを考えるためには、まずは歴史を把握する方法を知った方がいいような気がする。

具体的な史料に埋没することなく、全体を見通す、歴史を把握する、
その方法を考えるにはどうしたらいいか。

そういうことなら、もっと直接的に、歴史とは何か、社会とは何か、
そういう疑問に答える本がありそうだ。

そこで見てみるのが歴史学の方法論関連の本だった。

何とかして把握の方法を手に入れたい。そう思って手に取るのは方法論の本なのだ。
大学生協の書籍部に、それらしき題名の本は数冊しかない。

林健太郎著『史学概論』(有斐閣・昭和28年刊)、E・H・カー著『歴史とは何か』(岩波新書)、
手に入れられる範囲としてはこれくらいしかない。
それ以上は初学者には首を突っ込む気にもなれない。

カー著『歴史とは何か』は比較的易しい表現だったが、
冒頭でひっかかる表現に出会った。

しかし私にとってはあまりにも問題外の表現だったので、何と読むのかわからなかった。
歴史とは過去と現在の対話であるという、本の売り込み文句だけを心に留めた。
これはとりあえずは後に回そう。


〔林健太郎著『史学概論』〕

もう一方の林健太郎著『史学概論』は、パラパラめくっただけで難しさに圧倒された。
必死の思いで目をこらし、最初の方は何とか読める、気に入った文句がある、と、
読んでいてこれが真っ青になるしろものだったのだ。

最初のほうはまあ良かった。こんなふうに書いてある。

   「先ず最も広い意味に考えれば、
    およそ人間の認識の対象はすべて過去の事実であるということになる。
    何となれば万物はことごとく時間の中にあり、
    しかも現在とは常に過ぎゆく一瞬に過ぎないからである。

    故にマルクスはかつて
    『我々の知る科学はただ一つしかない。歴史の科学これである。』
    と書いた。
    そして我々もまたそのような意味で、
    すべての科学は歴史の科学であるということが出来る。」
                     (「第二章歴史学の対象とその範囲」P7)

こういう考え方は私も好きなのだ。しかし続いてこういう文章が出てくるのである。

   「しかしながら、いうまでもなく一般に歴史学と称せられるものはこのようなものではない。

    歴史学の対象となるものはもっぱら人間の歴史であって、
    天体の歴史、人類発生以前の地球の歴史はこれに含まれない。」(P7)

えっ、そんな馬鹿な!
私には、宇宙の歴史、地球の歴史の中での、人類の歴史というものが大事だったのに。何これ?

   「要するに自然科学として総称される諸科学はすべて歴史ではないのであって、
   歴史学とはもっぱら自然から区別された人間の事物を研究対象とする学問をいうのである。」(P8)

ええっ?私は、世界認識の最も基本となるものは自然科学だと思っていたのに。

そしてこれには注がついていて、マルクスも、
歴史は自然の歴史と人間の歴史に分けられる、
人間の歴史に自然科学は関係ないと言っていると、あった。

思いがけないところに政治臭のあるマルクスが出てきて、これも驚きだった。

実のところ、かつては多くの方がご存知だったように、
マルクス主義は「歴史は自然科学的な法則で動く」と宣伝していたはずである。

要するに林氏は、マルクス自身の発言の中から、
「主義者たち」の宣伝の否定になるものを探してこられたみたいだった。

それが、「歴史と自然は別」という本文の発言の補強の形を取りつつ、
注で引用されているのだった。

そこには、当時の日本の思想状況についての林氏の思いが、
かなりひねった形で表出しているようだった。

つまりこの本の出版の3年前、昭和25年(1950年)には、
レッドパージと呼ばれる占領軍による共産党追放の動きがあったし、
国内のみならず世界的に見ても、
資本主義と共産主義の対立は、極めて明白なものだったからである。

しかしながら、林氏の自然科学と歴史学の切り離しは、表面的には、
歴史の自然法則的理解を標榜する共産主義運動に対して反対するというような、
政治的な意味あいでは書かれていない。

それは、後に見るように、歴史に関する哲学的な答えを継承している、
という建前で書かれていた。

つまり、その当時は、歴史哲学的な問いを辿ってくると、
自然科学と歴史は別だという考えが、導き出されてくる状況だった、
ということになっている。

自然科学と歴史は別だという考えが、特にマルクス主義を指して、これに反対なのだ、
という説明にはなっていない。ごく一般的にそうだという風に書かれている。

しかしその書き方は、既に高校時代に、
自然科学で社会の姿を描いていた私にとっては、
まるで自分に対する全面否定のように思われた。

ページ数を見ればおわかりいただけるように、これはごく始めのほうの文章なのだ。
こんなところで私は大きくつまずいたのだった。

自分の世界認識から自然科学を切り離す。どうしてそんなことができるだろう。
高校時代までに得た知識を元に、
あれだけ細かく物質だけの世界・人間・社会というものを、一生懸命描いたのだ。

それは誰でも知っている知識でできているはずだった。
そして誰も反対するはずのない世界であるはずだった。

それなのにこの本では、
自然科学と歴史(つまり社会も含まれていると思う)は関係ないと言っている。

自分は誰もが認める世界の枠組みだと思って考えてきたのだ。

それなのに、これから勉強しなければならない難しそうな学問の本が、
自然科学を基本にして歴史(社会)を考えるのは間違いだ、と言っているのだ。

そんな馬鹿なことがあるだろうか。
これでは、世界など、描かなくてもいいと言っているのに等しい。

それは私にとって、全くの正面衝突だった。
仰天し、混乱をどう収めたらよいかわからない。

〔正確な世界・自然〕
いろいろ書いてきたように、私の中の、正確な世界観を築きたいという思いは、
非常に強いものだった。

私は、長い長い宇宙的な時間や、出現して時わずかな人類という認識は、
科学的で正確な認識だと思っていた。
これはつまり、人類史を越える、自然科学の世界の話なのだ。

人間社会の学問について、誰もが文句なく認める学説というのを、
未だに聞いたことがなかったので、
とりあえずは自然観の中で明確なものから材料にしていこうと考えた。
そのことについては、第1章で述べた。

地球をとりまく宇宙環境、地球の形状等、
世界史というものの自然科学的環境がまず大事だった。
つまり、いつも宇宙空間に浮かぶ地球上の出来事として世界史をとらえようとしていたのだ。

宇宙が微粒子に還元されるように、地球も元素に還元されるものだった。
人体も元素に還元されるものである。

個々の人間を取り巻く物質関係というのは、
酸素や窒素の混合物である空気、水、炭水化物やたんぱく質やミネラルなどの食物、
などによって生命を維持しているということであり、
あるいは光、気温、気圧、重力、等々の物理的要素の中で生きているということだった。

一人一人の人間の体は、そういう物質環境の中で、
実に精緻な仕組みでもって生命を維持している。
そういうことが私にとっての物質関係だった。

世界史も、視点を変えれば、物質の変化として見ることができる。
それは、宇宙から地球を見た時の、物質としての社会であり、
人間が知りうる歴史とは、違う次元の世界であるはずのものだった。

私は、そのような見方も、世界史の一面を正確に反映していると考えていた。
それは、自然科学を徹底したら世界史がどう見えるかという問題の出発点だった。

このような私の考え方にとって、人間の科学と自然の科学は別だという考えは、
全く受け入れられないものだったのである。


〔知られた歴史と知られなかった歴史〕

その本をめくっての私の理解度の印象というのは、かなり極端だった。
三章までは何とか今までの予備知識が使える。
それ以降は飛び飛びに拾える部分のある箇所が少しあるだけで、
280ページの圧倒的大部分が、読めない、感じだった。

それにしても書き出しでこれだけ重大なつまづきを感じたのだ。
中身はどうなっているんだろうと気になってしかたがない。

結論を読めば推測できるかとそれを読む。
しかし書き出しのつまづきは、
結論部分の「むすび」を読んで、さらに深い疑問となって広がるのだった。

そこで私が大きくつまずいたのは
「人間によって知られなかった歴史というものは本来存在しない筈である」(P217)
という部分だった。

私は、存在したものはすべて歴史を構成しているのだと思っていた。
大体、自分が育った所は僻地ともいうべき所だ。
しかし自分も田舎も、しっかり歴史の中に組み込まれているつもりでいたのである。

書かれなくても、知られなくても、歴史というのはそういうものだと、思っていたのだった。
次の時代を担うのは君達だという、教育のメッセージの影響もあるだろう。

全員が歴史の担い手だと思っていた者からすると、
またまた、えっ?と思う一文だった。

確かにその前に、

   「しかし一方において我々は、
   人間の意識の前に事実が客観的に存在するということを
   承認しないわけにはゆかない。
   ・・・歴史そのものは認識者の主観に関わりなく存在するものである
   としなければならない。」

とも書いてある。

しかしその論理は「客観的な存在である事実」とは何なのか、ということに触れないまま進む。

その主眼は、「知られなかった歴史というものは存在しない」
ということの方に置かれているのだ。

それを前提にして書き進められているのである。

   「歴史とは過去において人間が行った一切の事柄である。
   その一切の事柄の中で、我々によって知られたものが我々の歴史となる。」(P218)

   「それら知られた歴史の本質を知りその意味を考えることが
    歴史学の究極の任務であることはいうまでもない。

    それらの間に法則を発見することも、
    又それらの事実を価値観点から個性的に理解することも、
    皆同一の要求から出たことであった。」(P218)

これも変だった。

あったはずのものをあったはずだと考えることの、どこがおかしいのかわからない。

そうでなければ、今生きている人の多くは、
ある時突然、無から生じたことになってしまう。

誰にでも、どの時代にも祖先が存在していたはずだ。
そんなことなど、別に知られていなくても、歴史上の事実と言えるだろう。

これは自然の連続性認識がなければ出てこない。
このように文献で証明されなくても、事実と認められることはある。

自然科学を歴史から切り離し、知られた歴史から歴史を考えるなら、
消されたもの、落ちたものは、なかったことになってしまうのに、

現代に至って、それは生きつづけている人となって、突然出現するのだ。

知られなかったものがたくさんあるのに、その事について考察のないままに、
知られた歴史の本質を考えることが歴史学の究極の任務だというのもわからない。

「知られなかったことは歴史にはならない」ということについての違和感も、
私にとっては、結局は自然科学を基礎にするか否かの問題として、とらえられた。

私にとってはあったはずのものはあったはずと考えるのに、
自然科学抜きでは考えられなかったからである。

〔人間の科学と自然の科学は別だ?〕

その後、理解できる範囲であちこち拾い読みしたが、
それにしてもこの本の中では
「人間の科学と自然の科学は別だ」
という考え方に対して、林氏ご自身を含めて、古今の哲学者や思想家が、
列をなしてその肯定理由を述べていた。

むしろ、当時思想界を二分していたマルクス主義や唯物史観の系統の本がよく語る、
「歴史や社会の『科学的理解』」という表現についての説明が、
単刀直入には出てこないのだった。

マルクス主義の人達がそもそも持っていたのは、
19世紀の自然科学の目ざましい成果を踏まえての、
「歴史や社会をも自然科学的に理解したい」
という願望だった。

しかしそうしたマルクス主義者の「歴史の科学的理解」という目的が、
この本ではさっぱり見えない構成になっていた。

つまり、マルクス主義や唯物史観についての、
その自然科学的歴史法則に対する信仰のことは、直接的には説明していないのだった。

唯物史観について随分詳しく説明はしてあるのだ。

しかしそれは、歴史の発展段階説としての検証であったり、
歴史認識の社会的主観性の問題として扱われていたりする。

つまり発展段階説としての検証の部分では、
海外のマルクス主義者(日本ではない)を例に、
その欠点と検証方法の問題点を列挙し、

そうすることによって、読者には、
日本のマルクス主義の現況を批判的に見る目を養うことができるようになっている。

また、マルクス主義者としてはあまり通俗的ではない、と思われる考え方の紹介もある。

最高の歴史認識に立つためには、
特定の主観を選択する(プロレタリアートの立場に立つ)ことが最も真理に近いのだ、
という主張の紹介などはそれである。

普通のマルクス主義者がこんなにマルクス主義の認識は主観的だと言っていたかなぁ、
という感じのものが載っている。

ここには、よく世間でマルクス主義者が使っていたような、
「歴史の客観的・科学的・法則的理解」というような表現が出てこない。

結局この本では、「自然の科学と人間の科学は別だ」と言うことが、
つまりは「通俗的マルクス主義の否定」にもなるのだ、
ということは、本自体ではわからない構成になっていた。

しかしそういうスタイルで、林氏はマルクス主義の通俗宣伝
「歴史の客観的・科学的・法則的理解」を排していたのである。

それにしても私は困った。自分が描いた世界の、どこがいけないのか。

いくらその「自然の科学と人間の科学は別だ」
という多くの主張を読んでも、納得できない。

まるで関係ない話をしているみたいに、全くかみ合わないのだ。
たったそれだけの話なのに。

話は変わるが、大学へ行ってみて、私の思索歴の関係上、
一番大きな意外だったのは、実のところ、

「マルクス主義がまだ学問として生きていた」ということ、
「社会認識に自然科学は無用」という考え方が、極めて厳然とあったこと、
この二つだった。

私は、政治の世界と学問の世界とは、関係ないように思っていたのだった。

私が世の中の喧騒として知っているマルクス主義は、政治の世界のものであって、
学問には関係ないような気がしていた。

まして歴史学に登場するなんて思ってもいなかったし
(!唯物史観と言う言葉は知っていたが)、

学問の世界で決定論的法則観とかいうものが、正面から取り上げられている事態
というのに、びっくりしていた。

しかし大学の現状が、学生運動はさすがにほとんどない状態だったとは言え、
共産党下部組織とかいう民青の人達がいて、
「歴史の必然」「史的唯物論」なんて言葉の載ったビラが配られたり、
しているようでは、いかに呑気な田舎者でも、
マルクス主義の存在に気がつかないわけにはいかなかった。

そして何よりびっくりしたのが、
経済史の講義がマルクス主義の史的唯物論にのっとったものだったことである。

まさか大学でマルクス主義の講義を受けるなんて夢にも思わなかったので、
ここに至って、学問上の真偽の問題として、
マルクス主義がまだその成否に決着がついていないと、
認識せざるを得なくなったのだった。

しかとそう認識した上で林健太郎著『史学概論』を読むと、
この本も、まだなお歴史学上の問題として、マルクス主義と戦っている、
と、そう読めるのだった。

この『史学概論』は、そもそもは昭和28年に書かれたものである。
私が仰天した部分は、その昭和28年に書かれた旧版の部分に書いてあった。
しかし私がこの本を手にした昭和50年(1975年)には、
「付論」を付け加えた新版となっていた。

昭和44年12月筆の新版序で林氏は言う。
本文はそれでまとまっていてしかも根本思想には変更の必要がないので、
これに、第二次世界大戦以後のヨーロッパ学界の動向にふれた「付論」を付け加えて
新版とすることにした、と。

では、新しく加わった「付論」では、何か新しい考え方が載っているだろうか。

「付論」で展開している旧版と違った部分とは何か。

旧版の「歴史学とはもっぱら自然から区別された人間の事物を研究対象とする学問をいう」
(P8)という部分に対応する部分をなぞると、その表現はこうである。

  「今日においては、純粋に方法論的な意味においては、
   自然科学と文化科学ないし歴史的科学とを、
   リッケルトのようにカテゴリカルに峻別することは、
   歴史認識にとってむしろ有害である。

   われわれは逆に自然科学
   (それはすでにニュートン時代の「全体論」からは完全に開放されているのであるから)」
   の新しい方法論から学ぶべきのが多いであろう。」(P264)・・・棒線部私・・・

リッケルトは旧版部分(P150)に出てくる19世紀末から20世紀初頭の、
ドイツの哲学者である。
自然科学と文化・歴史科学の区別に力を注いだ人である。

この「付論」の一文は、要するに、
「自然科学と文化・歴史科学という、違った二つの学問を、
全くの別物ですよと、きっちり分けて考えることは有害です。」
と言っているのだ。
まるで林氏が旧版の最初の部分で言っていたこと、
つまり「自然科学は歴史学には関係ない」とは、反対みたいである。

しかし、では私が考えていたように、
基本を自然科学に置くのかと言えば、そうではない。

それは、「歴史の方法論」を考える際に、進歩してきた物理学などの、
「自然科学の『方法論』」から学ぼうと言っているのだ。

つまり自然科学の中に起きた、「法則概念の変化、科学概念の変化」によって、
歴史や社会を「決定論的法則観」から開放することができる、
ということが主眼らしい。

ねらいは、当時も決定論的法則観の代表的存在みたいだった、
マルクスも含んでいるらしかった。

自然科学の法則観が決定論的でなくなってきたから、
人間社会の法則観も決定論的に考えるべきではない。

ここにあるのは、「自然科学の法則観」と「人間社会の法則観」の、二本立ての考え
である。

前文では確かにリッケルト流の二分論を否定したのに、
直後にはまた二分論が出てきているのだった。

結局のところ、自然科学描く世界と社会科学描く世界とは別のもので、
その別々の世界に立てられた法則観の、理解の仕方だけを、
互いに連動させようということなのである。

むしろ、自然科学と社会科学は、その対象が別々だから、
と、論議の対象にもならない自明のこととして扱われ、
前提として隠れてしまっているだけのことらしかった。

リッケルトと後者では別のものということで取り上げているらしい。
しかし、結局のところ、
「自然科学と社会科学は別のものだ」という点に関しては、同じなのだった。

私のように、自然科学的知識で徹底的に世界の形状を描いておこうとした者にとっては、
全く何も変わらない。

そしてそれはまた、最初に明確な二分論を述べた林氏からしても、
二分論の立場においては変える必要なし、ということだったのだ。

だから、人間の社会に自然科学の認識方法を持ち込むことを拒否する考えは、
林健太郎『史学概論』の中では貫徹している。

結局、旧版の、自然科学と人間科学は別物だ、という考えは一貫しているのだった。

旧版と新版で、根本思想には何ら変更の必要がないと林氏が言うのは、
確かにその通りだったのだろう。

どこまで行っても私の考えていたこととは違うのだ。
私はなにしろ自然科学の方法論など、考えもしなかったのだから。

ただ高校時代に勉強した知識を組み立てて、自然の世界における社会の形状を、
つぶさに、なるだけ正確に描いておこうとしただけなのである。

宇宙空間から地表を眺める。
そうした構図を本の中に見い出そうとして、目を皿のようにしたけれども、
そういう考えは全く出てこなかった。

この本を当時の私が「読んだ」というのは正確な表現ではないが、
そうした構図抜きの社会論は、私の考えていたことと同じ土台に立つ、
科学的正確さという点で、同じ意味になるとは思えなかった。

この本は、著者が、東京大学教養学部で「史学概論」の講義を受け持ったため、
一つの教科書としての使命を持ったものを、と意識して書いたそうだ。

それに付論が加わったのは5年前。
昭和28年から数えると、約20年間、不動の位置にあったものらしい。

何と考えたらいいのかわからない。そして私がいくら感覚の網を広げても、
人間の科学と自然の科学は別だという考え方に対して、
私の言うような意味での違和感というのは、
どこの誰からも何も感じられないということが、じわりと私を打った。

歴史学の方法論は進歩した自然科学の方法論に学ぼうと言ってはいても、それは、
人間社会が地球の自然界の一部であることを前提する私の考えとは、
どうも違うのだった。

そして私は、それから数カ月もしない内に、
林健太郎氏が前東大総長だったことを知ることになる。

私にとっては、正にデッドロックのように立ちはだかる本の著者が、
少し前までは東大総長だった人なのだった。

---そして私には、どうしても、自分がおかしいとは思えなかった。




6、今井登志喜『歴史学研究法』との出会い  
                        
〔難解な今井登志喜『歴史学研究法』〕

大学1年の時は、歴史の講義を聞いても、特に違和感はなかった。

それは、高校の時のように、ただ歴史的事実と見なされていることを、
詳細に並べたようなものだったからだと思う。

講義で歴史学の研究法に接触したのは、ただ一つ、
今井登志喜『歴史学研究法』東大出版だけだった。

この本は、歴史学的な実証とは何であるか、
その方法手続きについて、簡単に述べた薄い本だった。

私がこの本に出会ったのは、昭和49年(1974)の大学1年の時である。
新入生向けの導入講義があって、その講義の後半で使われたものである。

それは、テキストという指定がなければ、おそらく自分では絶対に見ない、
と思われるような、旧字体の本だった。

そして本の前半は理論と方法、後半はその実証実例だった。
私はこの本の「前半」の理論と方法に強く惹かれた。
そして、難読の旧字体をもこなして読んだ。

しかしこの本をテキストに指定した先生は、日本中世史がご専門だった。
どういうわけか、前半部分は自分で読んでください、と述べるに留まった。

そしてこの本の後半の実例部分を使って、
史料解読と史料批判の実例の解説を、されただけだった。
それは武田信玄と小笠原長時の戦い「塩尻峠の合戦」についてだった。

なぜ先生は、前半部分は自分で読んでください、と言っただけなのか?

前半は、昭和10年の日本語で比較的読みやすく、誰でも確認しておきたい話
のように思われる。それなのに、全く触れずに終わったのはなぜか。

以下は全くの推測に留まる。

学生に突っ込まれては困るような、読んで説明しにくい部分があったのではないか。
多分、以下のような、林氏も困ったのではないか、と思われる部分がある。

    「フェーダーの表現を用いれば、史料を、それと歴史的対象とが、
     本体的整頓において結合する場合と、それと歴史的対象とが、
     論理的整頓において結合する場合とに分類するのである。」p26

        あるいは今井登志喜『歴史学研究法』全文 3、史料学 
                 ( あれれ、全文ではなくて、飛んでる部分がある? ) 

今井登志喜はこの文の直後で
     「前者は、史料自体が実質的に歴史的対象を表現しており、
      後者は、史料が歴史的対象を直接に発言していることを意味する」 
と言っている。
 
いずれにしてもわかりにくい。 
しかし私の発想を土台にすると、非常に簡単に理解できるのである。

本体的整頓とは、
「史料が物質存在として、ある歴史的事件・歴史的対象と、物質的に関係している」、ということである。

この場合、史料は、歴史的対象を表現しているわけではない。
つまり今井登志喜も、理解がずれている、と私は思う。

論理的整頓とは、
「歴史的対象に対して、人間の認識を経由して、人間の論理で整理され表現されているという関係にある」、
ということである。

 例えば、
 本体的整頓とは、モノ的に関係する世界、やわらかい地面を歩けば足跡が残る、というような世界、
 論理的整頓とは、人が歩いているのを見て、誰それが歩いていた、と証言する世界。

つまり、史料には2種類あると言える。

 (1)史料が物質存在として、ある歴史的事件・歴史的対象と、
   物質的に関係しているもの。   

 (2)史料が歴史的対象に対して、
    人間の認識を経由して、人間の論理で整理され、言語で表現されている
    という関係にあるもの。 
        

たとえば、
(1)は、モノ的に関係する世界、やわらかい地面を歩けば足跡が残る、
というような世界での、「足跡」(痕跡)。あるいは作成物、地理、自然など。
          (物質世界に残(遺)された物。「遺物」である。) 

(2)は、人が歩いているのを見て、誰それが歩いていた、
と証言する世界での、「証言」である。

(1)を考察の範囲に入れないものは、歴史とは言えない。
歴史は、物語や文学ではないのだ。

歴史とは<「人間の認識に関係なく存在」する「物質世界」の「裏付け」>があるものを言う。
                       
   
先生が理論と方法の部分に触れなかった理由として考えられることは、もう一つある。
今井が言う実証主義的「客観主義」に対して、
すでに批判の声があるのを知っていたからではないかと思う。

批判者は言っていた。
「客観的」などという言葉は、階級的・イデオロギー的利害に無関係だ
と言っているようである。

まずは、どの階級的立場であるかを明らかにしなければ、科学的ではない。
それが当時の、マルクス主義者の批判だった。
             『日本の歴史家』日本評論社1976「今井登志喜」

だから、安全策を取って、専門の日本中世史の史料批判解説に終始したのだろう。
私は今、そんな気がしている。

そして私が気に入った今井の実証の理論と方法の部分では、
いくら読んでも、林健太郎『史学概論』のようなことにはならなかった。

大学2年時、林健太郎著『史学概論』を手にしたとき、
そこに今井登志喜『歴史学研究法』が出てくるのを知った。

『史学概論』の「はしがき」(p4)に、歴史研究の技術論の本として、ベルンハイムの邦訳書とともに、
近年の「手頃な本」として、今井著が紹介されている。

また、第3章「歴史学における批判的方法」(P24・2行目)に、
「私は以下、主としてこの書物、今井『歴史学研究法』によって、それ、史料批判、を説明する」
という風に、紹介されている。

少し調べると、今井登志喜と林健太郎が、ともに東大の西洋史らしい、とはわかった。
(今井登志喜は西洋史なのに、日本の中世史料も読みこなしたらしい。)

林著でこのように今井著が紹介されているのを見ると、きっと師弟の関係だろうと予測はついたが、
一体どういう関係なのかは、長い間わからなかった。

〔今井登志喜の天皇神様論に対する牽制〕

ここでもう少し今井著について述べておこう。

私は、今井『歴史学研究法』の冒頭に、書かれた時が昭和10年である、
と書いてあるのに引っかかった。
昭和10年といえば、騒然とした時代が思い起こされる。

 1929年(昭和4年)世界恐慌。
 1931年(昭和6年)満州事変。
 1932年(昭和7年)5・15事件。
 1933年(昭和8年)国際連盟より脱退。
 1935年(昭和10年)天皇機関説問題化。

 私の昭和の時代の認識の背景にあったのは、
『読売新聞にみる昭和の40年』『報道写真にみる昭和の40年』という、
読売新聞が出した2冊の本である。
前者は読売新聞の縮刷版、後者は報道写真集である。

 これらを背景に、それまで収集してきた自分の知識では、
この時代は、戦争と言論弾圧の時代である、という印象だった。
その時代に書かれた本、というのに引っかかったのである。

 何が書いてあるのだろうと、思って見てみて、旧字体なのに目がくらくらした。
それでも、と見ていて引っかかったのが、偽造・贋作の話、虚偽・錯誤の話であった。

 国定の小学校国史では、天皇陛下は神様の子孫、と教える時代が40年も続く状況だったのに、
大学ではこんな話を書いている人がいたのだ。
         (国定日本史教科書については、
          山住正巳著『教科書』岩波新書1970年・p58などを参照のこと)

人間精神のバランス上、当然こういう人もいたはずだ、と、思いつつも、
どうして検閲に引っかからなかったのだろう、と、腑に落ちない思いであった。

そして私には、この本に出てくる、偽造・贋作に関する数多くの事例が、暗に、
記紀(古事記・日本書紀)の記述を指しているように思われてならなかったのだ。

たとえば以下のような文章。
********
「偽作」(贋造)のできる動機はいろいろかぞえられる。
すなわち好古癖、好奇心、愛郷心、虚栄心等に基づく動機、宗教的動機等が挙げられるが、
とりわけ利益、殊に商業的利益の目的を動機としたものが、最も多いのである。
そしてこれらの動機に基づく偽作は、ほとんどすべての種類の史料に行き渡っている。

〔古文書〕 これもまた偽作がすこぶる多いものである。
すなわち西洋の方では、領地等の権利を安定堅固にするため、中世時代に多く偽文書が作られた。

そのほか自己の家格をよくするための虚栄心から来る偽文書がある。

わが国でも戦の感状などの種類が偽造されている。

なお西洋の方では、教会に偽文書が多くある。
ローマ法王に関する著名な偽イシドールス法令集というようなものは、
偽文書としてよく挙げられるものである。

〔系図〕 東西とも、古くから贋系図が多数ある。
これはそれによって家格を誇ろうとする心理から来るのであるが、
また古い頃の諸侯武士等は、自家に由緒をつける政治上の必要もあった。

英国中世の記録として名高いアングロサクソン年代記を見れば、
英国のいわゆる七王国の諸王家は、ことごとくウォーダンの神の後裔になっており、
はなはだしいのは、ウォーダンからさらにアダム、イヴまでさかのぼっているのがある。

わが国の系図は、多数いわゆる源平藤橘であり、偽作が過半であることは言うまでもない。
*********

これを読むと、天皇家の神話というのも、西洋に比すれば似たり寄ったりの、
由緒をつける政治上の必要から生れた文献なのだろう、という気がするではないか。

『記紀』は古代の政治表現に類するものだろう、と私は思う。

『古事記』の最古の写本が南北朝ということであれば、
南北朝時代の政治表現の可能性さえも、あるのではないかと思う。

いずれにしても、天皇家が古い権威の家系であることは疑いはなく、
天皇家がその社会的役割において尊重されることに異論はないが、
神の末裔とまであがめることはないように思う。

私にとって今井登志喜は、厳しい政局の中で、天皇神話を相対化するための事例を提供した人であった。
その勇気と良心は、たたえられていいものだと思う。 

そして同に、口外しないことが、今井登志喜と自分を守るためには必要だと思った。
守る必要があったのは、先生と受講者たちも含むかも知れなかった。
それが授業で取り上げない理由の一つのようにも感じた。
   
〔戦時中の生き神様〕

実は私は、小学生の時に、学校の授業の一環で、
家で親に、戦時中の話を聞いてくるように言われたことがあった。

その時、私の母は、一生懸命、天皇陛下は神様だった、という話を聞かせてくれた。
現人神、生き神様と言われた天皇、厳かな教育勅語奉読、奉安殿拝礼、紀元2600年行事。

しかし、私が勉強の一環として、聞いてくるように要請されているはずなのは、
戦時中の困難の話だった。
それなのに、母の話は、困難の話とは、全く違っていたのだ。

私はその母の話に、名状し難い衝撃を受けた。すでに戦争の話はあれこれ仕入れていた。
特攻隊が命を賭けて守ろうとした現人神・天皇、という類の話も知ってはいた。

しかしそれらは私にとって、遠い昔の、自分には関係ない事でしかなかった。

1967年のその頃、私が知る、世間に流れていた世界情報では、
現人神天皇が率いた日本、という認識は「ない」ように思われた。

それなのに、母の口からそれは、熱心に興奮気味に肯定的な雰囲気で?語られたのだ。
するとそれが、自分の周辺の現実だったことが、否応なく迫って来た。

何より衝撃的だったのは、母の話が、近くの学校のことだった、ということである
つまり、自分の通う学校もそうだった、ということだろう。

実家での記憶はないのだが、母方の祖母の家では、長押(なげし)に
明治・大正・昭和の三代の天皇皇后の写真を掲げ、毎朝柏手を打って礼拝するほどだった。

私が「変だ」と言った。いつかわからない。しかしその頃には、祖母も写真を外していた。
写真が掲げてある家は他にもあった。しかし礼拝を知っているのは、母方の祖母だけである。
この母方の祖母のことは、私の中では特例のようなものだった。

ところが、自分の近辺の学校が全部、となると話は別だ。おまけに全国で、と、
話は聞いていたものだから、一気に国中に拡がっている状況が、見えたわけである。

そして一瞬、天皇陛下は神様、というのが本当のように聞こえた。

学校の先生の話は本当だから、聞かなくてはならない。
そういうことに、なっているではないか。

しかしその次に私は、う~ん、あり得ない、という感情に打ちのめされたのだった。

その時から私は、天皇神様論の事始めというのを気にしていた。
多分、この宿題は、小学校6年の時のことだと思う。

私の中では、すでにエジプトのピラミッドは良く知っている話だった。
そしてエジプトの王は神だった。その話は良く知っていた。

しかしエジプトが滅んで、王が神でないことになって、すでに2千年たっている。
その2千年の間に、人が神としてあがめられて有名になった国、の話は知らない。

それなのに2千年後の、自分が生きているこの日本で、現人神の話を全国の学校で広めていた。
あり得ない。私はどうしてこのような時代に生きているのか。

クレオパトラとシーザーやアントニウスの話も、本で読んでいた。家にあった本だと思う。

ギリシャ神話と共に、パルテノン神殿のこと、ローマ時代のことも知っていた。
アルキメデスやユークリッドやガリレオやニュートンやキュリー夫人の話も知っていた。

それなのになぜ、自分の母が熱心に語るのを聞くほどに、
つい最近の日本で、天皇は神様だったのか。

私の中では、これは非常に大きな疑問だった。
そして、天皇神様論を否定するためにも、自然科学でこの世界を描くことが、必要だったのだ。

それを、林健太郎『史学概論』がバッサリ切って捨てていた。
林氏は、天皇神様論を否定する気がないのか。その歴史学って何なのか、とも思ったのだった。

私は1年の時に、今井登志喜に、天皇神様論の否定を読んだ。
そして2年の時に、林健太郎に、天皇神様論の放任を読んだのだった。

この両者の違いは、多分、今井登志喜は天皇神様論に対する牽制、
林健太郎はマルクス主義に対する牽制、ということだろう。

〔絶版になった今井登志喜『歴史学研究法』〕

私は今井登志喜『歴史学研究法』の最初のもの、昭和10年岩波講座版の小冊子については、
ネット古書店経由で、500円で現物を手に入れた。ネット経由であるから、2000年以降だと思う。

 それによれば、昭和10年5月8日印刷、昭和10年5月12日発行、である。

 昭和10年天皇機関説問題の動きを見ながら書かれたような、そんな執筆状況ではなかったかと思われる。

今井登志喜と林健太郎が戦前の東大で極めて近い関係にあったと知ったのは、
立花隆『天皇と東大』(文芸春秋・2005年)による。

この本の下巻565ページあたりに、大内兵衛擁護の秘密会議なるもので、
今井の研究室が秘密会議の場になっていたことを、
当時副手であった林が証言する、という形で出てくる。

二人は近い所にいるようだった。それなのに林著による私の衝撃は、尋常ではなかった。

ちなみに林著『昭和史と私』文春文庫を見たら、
唯一「今井先生」と呼び、授業はおもしろかった(p82)、と書いておられる。

ただし、立花隆『天皇と東大』の膨大な参考文献には、今井登志喜『歴史学研究法』は登場しない。
タイトルが、その名も「天皇と東大」なのに、不思議な話である。

東大出版では、2000年頃?に、今井の『歴史学研究法』は絶版となった。

それなのに、2010年刊行の遅塚忠躬『史学概論』東大出版では、史料批判の参考文献として、
今井登志喜『歴史学研究法』が紹介されているのである。

絶版になった本を参考文献に挙げる。これも不思議な話である。

今井登志喜『歴史学研究法』は、「故意に贋作や虚偽や錯誤を利用する人々」には、
不都合な本である。その意味で、この本の評価の変遷には、注意するべきだと思う。



7、 科学と歴史学とマルクス主義

 科学と歴史学とマルクス主義。これらは高校時代には全く無関係に見えた。
しかしどうやら、学問の世界でも何らかの関連性があるのだ。

そう気がついたのは、東大教科書であった林健太郎著『史学概論』が、
その記述の中で、微妙にその関連性について示唆していたおかげである。

私は、これまでに既に耳にしていたマルクス主義に関する思想関連の言葉の断片は、
すべて政治の問題だと思っていた。だから、自分には関係ないと思っていた。

それが急に、目の前の切実な問題となって浮上してきた。

あわててマルクス主義に関する知識のおさらいをする。

よく考えてみれば、マルクス主義は科学的社会主義と言われていたのだった。
それは世界史にも登場する有名な話だ。

マルクス主義は言う。あらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である。

資本主義社会は、プロレタリア階級とブルジョア階級の、二大階級に分化する。
そして、プロレタリア階級がブルジョア階級を倒して、共産主義社会を実現する。

それは歴史の法則であり、必然である。

そう言ってロシア革命が敢行されて、共産主義国家であるソ連ができた。
また、世界各地で共産主義国家ができた。

そして現在、世界は共産主義国家群と資本主義国家群の二大陣営に分かれて対立し、
核軍備増大による均衡の上に、冷戦と言われる世界状況が出現している。


そういうことは、知ってはいたが、自分には関係ないと思っていた。

現在やっている世界的な二大陣営の対立というのが、
コマ取りゲームみたいに見えるのだ。

宇宙から見たらそう見えるのではないだろうか。

資本主義と共産主義の対立というのは、私には、ちょっとマユツバもののように思われた。

当時の私には、思想や主義の対立が、戦争の直接的な原因になるというのが、
わかりにくかったのだ。

どちらかというと、国家間の勢力争いというのが本質のような気がした。

こうなるとマルクス主義というのは、私には、
はるかかなたに退場してしまったもののように見えた。

日本の政治状況でも、何かそれにからんで騒がしいようだったが、
とても本気でやっていることとは思えない。


ところが、大学でマルクス主義が講義として登場したものだから、
私の認識は一変することになった。

この事態をどう考えるか。共産党宣言って1848年だ。
今から130年も前のものだけど、これって勉強するものなの?

---どうも本当らしい。自分の中で時計の針が逆回転するような気がした。

これを正しいとして教えている立場の人が現にいる。
しかし、反対論者もたくさんいるではないか。

そんな決着のつかない問題に対して、片方につくのは御免だ。
なぜ、学問なのに真偽の決着がつかないのだろう?

そう思ったら、突然、日本の左右対立の政治状況や冷戦の状況が、
マルクス主義についての学問的未決着、という問題とからんで浮上してきた。

マルクス主義と学問について、本や新聞、時事問題解説書、など、
あちこちつまみぐい的に調べてみると、

マルクス主義と反マルクス主義とは、政治だけではなくて、
いろいろな場面で対立状況を呈しているのだった。

歴史学でも、唯物史観(マルクス主義)と実証主義(反マルクス主義)という、
大きな立場の違いとして表れているらしい、ということがわかってきた。

それにしても、東大教科書でもあった『史学概論』の、
自然科学に対する不寛容さは何なのか。

私の思考過程からすると、いかにも唐突な感じがして、不自然きわまりないように思われた。
そして、みんなそれに対して、澄ましているような感じがするのは何なのか。


西洋哲学では、「世界の根源」を「精神」と見るか「物質」と見るかで、
「唯心論」と「唯物論」の対立があった。

そしてマルクスは、その対立の中で「唯物論」の立場を選択したはずだった。

では、「自然科学」はどちらの立場を取っているか。
大抵の日本人は、感覚的には「唯物論」だろうと思うに違いない。

歴史学もまた、その学問の根拠として「世界の根源は何か」という問うならば、
哲学用語で答えるならば「唯物論」、つまり「世界の根源を物質と見る」
という立場を採っているはずだ、と、私には思われた。

 しかし『史学概論』では、歴史学の根拠は唯物論、というような表現も、ありはしない。
もちろん、その言葉が当時はマルクス主義を指すことになったので、避けたのだろう。

しかし、「世界の根源は何か」という視点を省略して、「自然科学」を省いてしまったのは、
自分の思考過程からすると、どうにも理解できないのだった。

また「注」には、「方法的には正しくない」と言いながら、
世界史の叙述を宇宙の発生から説きはじめるやり方について、触れてもいる。

そうした知識がありながら除外してしまうというのは、私には全く理解できないやり方だった。


これに関連して思いつくのは、マルクス主義の政治宣伝の用語の数々であった。

   歴史の必然、歴史の法則、歴史や社会を科学的に考えること、
   これが即ちマルクス主義である。

   歴史の動きを考えるには、人間の意識よりも外側の客観的状況、
   つまり物質関係である経済状況、階級対立を明確にしなければならない。

   そして社会秩序を転覆させる実践に参加することが、
   その正しさを証明することになるのだ???

この最後の方は、やや過激な文句だ。

しかしマルクス主義は本来、思索の思想ではなくて行動の思想だった。
それは現に、世界の各地で革命が起きていることから、推察できはする。

このようにマルクス主義の宣伝文句は、強烈に「歴史の科学性」を打ち出していた。

それを考えると、歴史学の教科書執筆者たる立場の者として、
不穏当な行動に走らせたくない、という林氏の思いが、

自然科学排除の文句の中に、透けて見えるような気がしないでもない。
みんな澄ましているのは、そのせいもあるのだろうか

ただし『史学概論』では、マルクス主義が、
私が聞いた宣伝文句ほど、明快な自然法則的な歴史理解をしている、
とは、ほとんど書いてない。

唯一、「決定論」という言葉がそれらしく読めるくらいだ。

しかし私は結構、政治宣伝のレベルで、歴史の必然、歴史の法則的理解、
という文句を聞いたように思う。

こうして私は、日本の政治状況や冷戦の状況という、
世の中の喧騒の核心部分を、学問の世界に見つけて、
一気にその中枢に首を突っ込んだような気がしてきた。


しかしそのおかげで私は逆に、
かえって自分が考えてきたことの不思議さに、強くとらわれるようになった。

自分が考えていることは、どう考えても何もおかしくない。

おかしくない話が、全く別の次元で成立しそうなのに、どうしてこれをやめられようか。
そこでこれまで考えてきたことを、もう一度組み立てて考えてみようと思いはじめた。


8、人体基準の認識枠
                                 

宇宙から地球を眺める。地球を、社会を、物質だけの存在感で考えてみる。
衛星写真や航空写真でイメージを補強する。
その世界の内容は、極小粒子とエネルギーである。

こうして私は、地球世界を極小粒子とエネルギーにしてしまった。
次には、生きている自分というものを考えはじめた。

自分も極小粒子とエネルギーになりうる。

けれども、実際感覚にもう少し近づけるには、
細胞の集合体くらいの水準で考えたほうが、都合がよいと思った。

自分は膨大な数の細胞の集合体である。常にその細胞を入れ換えつつ、
自分の体というものの恒常性を維持している、生物である。

細胞レベルでは、その細胞の交代率で考えると、
どこまでが自分で、どこまでが自分でないのか、判然としない。

しかしながら、自分という恒常性は維持されている、一個の生物である。

そこで考える。自分とは何か。

考えている頭だろうか。しかし、頭で考えるためには、血を送る血管が必要だ。
そして血を送りだす心臓が必要だ。

その心臓を動かすエネルギーを取り込むために、口や消化器官がひつようだ。
口に物を運ぶために手も必要だ。食べ物に近づくためには、足も必要だ。

目は、人体構造に規定された働きをする器官である。
光の波長の全てを捉えるわけではない。
見える波長もあれば、見えない波長もある。

錯視テストを行えば、みんな一様に錯視を発生させる。

  (錯視テストは心理テストの入門書の中に載ってるかもしれない。)
  このように人間の目は、人間固有の独特の見方をするのだ。

耳も、音波の全てを聞き分けるわけではない。
皮膚も、温寒を知覚する幅は狭い。嗅覚も限られたものである。

このように人間が知覚するものは、人体というセンサーによって、
極めて制限されている、固有のものなのだ。

あるいはこのようにも考える。

私はかつて一個の受精卵だった。
どっこいしょと、最初の細胞分裂を実行した。

それからどんどん細胞分裂して、栄養を吸収して、なにやら複雑な器官を持った生物に成長した。

最初の一個からすると、この膨大な細胞群の中で、私はどこ?
大事なのは心臓か?違う。
どきどきしてるけど、その周りにある肉や骨や手足や目鼻がないと、私ではない。

では脳だろうか?違う。目や体がないと、感じることができない。
感じる体がないと、脳だけでは私にはなれない

こうして、よく考えてみると、人体は全体として考えないと、
極めて都合が悪いように思われた。

また、前後左右上下という空間認知は、人体の構造を基本にした区分だとも言える。

なぜなら、もし認識主体である生物が、ヒトデやクラゲのように、前後左右が存在し
ない生物だったら、果して前後左右などという区分を、するだろうか。

前後左右は、人間のような体をした生物にとっては意味があるだろう。

しかし、ヒトデやクラゲのような体をした生物には意味がない。
そういうこともあり得るのである。

10進法が、人間の両手の指の数に対応しているから普及度が高い、
というのも、似たような理由が考えられる。

また、人体の大きさというのも、そこそこの大きさという水準があればこそ、
物が流通し、何に使えるかという目安もできる。

身近な身の回りの道具はすべて、人体基準の認識枠でできたものばかりだ。

鈴木孝夫氏が述べたように、言葉には確かに、その言語固有の区分がある。

けれども私は、言語の働きを大きく考える立場の人達とは、少し考え方が違っていた。
言語はそんなに固い認識枠だとは思えない。

なぜなら、それは最終的には、生物としての人体という共通基盤を基準にして、
修正可能になると考えるからだ。

例えば、色を示す範囲が言語によって違ったり、水と湯の区別がなかったり、
体の一部を指す名称が、言語によって範囲が違っていたりするようなことがあっても、

センサーである人体が、生物のレベルで共通なら、
何を指し示す言葉なのかは、理解できる範囲のものとなるではないか。

私は、このようにして人体は、その全体が認識の基準であると、考える。

デカルトは「我思う故に我在り」と言った。

しかし、考えるのは頭だけとは言えない。

知覚のすべてが人体という制限内であり、
また人体という基盤なしで考えることは不可能だ。

言語という他者から学習したものもある。
他者なし、言語なし、では考えることも不可能だ。



9 時間よ止まれ 
                             

私が既に高校時代から描いてきた物質関係。
それと、大学で学ぶ、物質関係だと言う経済関係。

この両者は、どうやったら接点が出てくるのだろうか。

『唯物史観の公式』などという、マルクス主義では有名な文章が、
ちょっとした概説書には、大抵載っている時代だった。

『史学概論』にも、経済史のテキストにも、載っていた。

その文章を文法解析みたいな方法で読んでみようと試みたりしたが、
お手上げだった。

どうにも、その『唯物史観の公式』の世界が頭に浮かんで来ないのだ。

浮かんでくるのは、自分が確実な存在世界だと思った、
空中写真でイメージする物質世界だった。

四苦八苦の挙げ句に『唯物史観の公式』理解の方向から考えるのを放棄した。

代わりに、自分が考えた空中写真的な物質世界で、経済とは何かを考え始めた。

そもそも、経済史で使ったテキストの表題は、
『所有と生産様式の歴史理論』というのだった。

所有というのは、マルクス主義では重要視される「階級」の形成原因だ。
しかし、上空から見る限り、生物としての人の存在感は、みんな平等という感じがする。

人が動いていると、その行動は確実にその社会的立場や地位を反映する。
しかし、写真みたいに静止していると、そんなことは何だかわからなくなりそうに見えた。

時間を止めれば、人が日常生活で認識する程度の物体の存在感を損なわずに、
その見る光景をかなり再現できるだろう。

ここで思い出したのが、子供の時にテレビで見た『時間よ止まれ』という番組だった。

それは、主人公が「時間よ止まれ」と叫ぶと、周囲はみんな止まってしまい、
その間に主人公は、スーパーマンの如く大活躍ができるというストーリーだった。

こういう仮定だと、細かく言うと都合の悪いこともあるにはある。

たとえばテレビの画像だ。私たちにはそれが写真のようなものに見えるけれども、
時の流れが遅くなったとすると、視覚の残像効果を利用したテレビ画像は、
普段私たちの目に写るような具合には見えないから、
画面を見てもそこから情報を得ることはできないだろう。

が、それにしても、時間静止のイメージは、空中写真と違って、
静止した等身大の立体世界だった。

その仮想世界を、観察者が自由に行動できる。これはメリットだろう。

みんな止めておいて、自分は好き勝手なところへ行けるというのは、
ものすごくて恐ろしくもある。

しかし物体だけの世界というのは、そんなものなのだ。
私たちは、目の前にあっても自分には行けない所がたくさんある日常を暮らしている。
普段は制止する者がいるということである。

どんな偉い人もみんな止まっているわけだから、
誰が偉いのかは、にわかにはわからない。

お金持ちも止まってしまっていると、どれほどのお金持ちかはわからない。
所有している物やお金と、お金持ちとの間には、紐がついているわけでも何でもない。

これは物質関係だろうか?
私が言うような意味での物質関係ではないのは、一目瞭然である。

一時的にでも止まっていると仮定すると、
経済関係を、私が言う意味での物質関係と結び付けるのは、かなり難しい。

まず第一に、マルクス主義では肝心な、階級形成の原因である「所有」がさっぱりわからない。
日中活動している人々の、それぞれの家や土地はどれであるか、そんなことはわからない。

では「所有」とは何か。

これはずっと後の考えだが、自他の脳と、外側の情報
(法律によって権利保証のある法務局の記録や、銀行の記録)との間で、

相互に情報処理が行われて初めて、所有が人間相互の間で確定する、ということだろう。

人間社会において、個人個人の脳内の情報処理の方法をどのようなものにするか、
個人の外にある情報をどのようなものにするか、
これは、社会のあり方を相当部分決定するものではないかと思う。

事の始めは子供の頃に見たテレビ番組『時間よ止まれ』からであるが、

自然科学でも時刻を限定しての観測とか、その時刻の予想状態とか、
その一瞬の状態を捉えようとする場合があるものである。

「時間が止まる」というのは、物理学的には、
電子が止まっていたら「原子は存在しようがない」「物質が存在しようがない」という、

この宇宙世界の物質的「存在」というものと矛盾する概念だそうだ。

だから、物理学で私の考え方に近づけようとするならば、
それは「時間の断面を捉える」とか「時間をゼロに収斂する」という表現の方が、
よりよい表現だろうと教えていただいたことがある。

何万光年という宇宙の話はともかく、地球世界の話なら、
これでも相当役に立つと思う。

闇の宇宙にポツンと浮かぶ青い地球。その表面に広がる人間社会。
そのある時刻の、その一瞬の姿。そういうものを想定してみる。

自分がその静止した社会の中を、自由に動いてみたら、
この社会がどのように見えるか。

それを考えてみるのも、社会とは何かを考えるために、有効な一つの方法ではないかと考える。



10 社会と情報
                           

さて、宇宙空間から見たら、人は皆平等の存在感である。

しかし人は皆、宇宙から見た時のように平等か。
日常の事を考えれば、即座に違うという印象になるだろう。

そしてまた、歴史上の大きな流れとして学び、
またこれからも社会の中心的動きとされるであろう事柄は、

空中写真の中で特定しようと考えると、どうも極小のような感じがする。

例えば政府に幾人の人が携(たずさ)わり、政治に何人の人が携わるだろうか。

あるいは、マルクス主義は、社会には、ブルジョア階級とプロレタリア階級があって、
対立の果てに、社会主義社会になる、と言っていた。

しかしブルジョア階級の人が何人いて、
プロレタリア階級の人が、日本の現状で何人いたと言えただろうか。

数で考えるなら、ブルジョアでもなくプロレタリアでもない人々の方が、
圧倒的なような気がした。普通の会社員、普通の農業者、普通の小規模事業経営者。

私が思い浮かべる普通の人たちというのは、みんな自分の土地や家を持ち、
自分で暮らしているようだった。

都会へ行けば、賃貸で暮らしている人も多いだろう。
しかし、その人たちの内、どれくらいがプロレタリアと言えるだろうか?
全体から見て、多いとは言えないような気がした。

だからどうして、ブルジョアやプロレタリアという言葉が、
社会認識の役に立つのか、不思議だった。

宇宙空間からの視点という考えは、
ただ在る、という実態認識について強い自覚を促した。

自分のローカルな位置は、その認識を補強するものとして役に立った。
私としては、そんな気がした。ブルジョアというのは、私にはわからなかったが。

それは、「歴史とは何か」という問いを胸にしつつ考えたことだった。

すると逆に、歴史になど残らなくても、あったものはあったのだ、
という当たり前の事を、最初に確認することとなった。

現代を上空から見ていて、歴史とは何か。
やっぱり普通に思う歴史というのは、そういう世界では、全く見えないのだ。

歴史にかかわることで重要に思えたのは、人だった。
上空から見えるものとしては、人体であり、一人一人の人だった。

しかし外から見る限りの人体は、
それだけでは、人が一般に思うような歴史に関係するとは思えない。

物質世界の中で歴史とは何か。
それは頭の中の情報であり、認識のように思える。

人は地球上で生成し、多くの経験と知識を蓄えてやがて消滅する。

自分の生成をたどって考えてみる。

上空から見た物質だけの存在感「以外」の、
日常の社会生活に必要な普通の感覚・知識・認識というのは、
どこにあるのか。

それは自分の体感を通して、他者から言葉を媒介として、
情報として手に入れたもののように思える。

例えば社会用語だ。政府・首相・大臣・官僚・公務員。
財界・社長・平社員・労働組合。
自営業・農業・漁業。正社員・パート・アルバイト。
富裕層・貧困層。先生・学生。企業・財団。
社会的な地位の上下。階級。

こういう言葉は、空中写真で見る個人や集団を、
物質感以外の、人間相互の間に発生する、社会的な意味合い、で表現している。

これなら、空中写真で見えなくても納得できる。

ただし上空から見えなくても、それは音波であったり、信号であったり、
文字という表示記号であったりして、物質世界に実在するものである。

あるいはまた、脳内の信号として存在したりもするだろう。

人にとって重要なのは情報だと思ったとき、現代は私にとって、最もとっつきやすかった。

過去の時代なら大部分落ちて消えてしまっていることが、現代なら全部あるはずだった。
ならばどうして、歴史の動きを考えるために、
その豊富な情報を利用しないでいられるだろう。

創られつつある歴史時代を、これほど豊富な情報がかけめぐっていたことはかつてない。
かくして現代は、私にとって、最も有利な時代に思われた。

自分が未来の歴史家だったとしたら、その情報を使って、
今の時代をどのように描くだろうか。

私は、歴史というものは、過去のありとあらゆるものの中から、
現代の人にとって必要で重要と思われることをすくい上げる機能を持っている、
と思っていた。

そう考えると、未来の歴史家が絶対に見るはずのない現在を、
今、自分が見ているというのは非常に有利に感じられた。

自分が知覚するすべてのものの中で、歴史とは何か。

そう考えたとき、私に思い浮かんだのは、私の目の前の圧倒的大部分は、
歴史から落ちるだろうという予測だった。

しかし、自分の人生でも、歴史上の人物達と共有するものもある。
例えば、社会構造図。私たちはそれに沿って行動するだろう。

接触する、現代にあふれる情報。私たちの行動は、それに影響されるだろう。
そうした共有する情報の部分は、共通項として社会全体の枠組みを作るような気がした。

歴史からは消えるであろう部分に生きている自分でも、
極めて多くの人達と共有する情報に沿って行動しているのである。

影響の大きな情報、共有が大きければ大きいほど、それは社会を大きく動かし、
社会における物の考え方や行動の仕方の基盤となりそうだ。

歴史家が見ることのできなかった消える部分を、
私は今生きているおかげで見ているような気がした。

消える部分にいるからこそ、時代を象徴するものが何かを考えることができる。
それは私の思考過程からすると、情報に見えた。

そして私は、情報によって形成される一人一人の頭の中の共通項が、
時代だと思ったのだった。

人体というセンサーを通じて手に入れる環境からの直接的感覚
(人肌のぬくもり、風景・気候のもたらすものなど)・
人と人との間の情報交換によって形成される概念・
その概念を組み合わせて作られた、もっと高度な、そして普通に言う情報・
それらをさらに組み合わせた認識。

認識を外に出せば、また情報にもどる。
人間が感じる意味や価値は、こうした中で形成された認識の一つだ。

社会を無意味な物質世界に還元してみて、
意味や価値を付加するのは人間だということに気付いたとき、

その意味や価値がどこから生まれるかと考えたら、
人間相互の情報のやりとりによるものは非常に大きいと見える。

もちろん個人的な価値基準も千差万別あるが、すべてがバラバラというものでもない。

通貨はその価値が全国共通だという認識があるから意味がある。
それは情報による認識だ。
通貨の物質的性質に価値を生み出す源泉があるわけではない。

言葉や文字や数の、意味や概念の形成も、情報によるものである。

私が言う情報とは、このように非常に基本的な認識を形成するものを含んでいる。

なぜなら、時をさかのぼれば、それすら、すべての人が、
必要十分に身につけることの困難な時代が長かったのだから。

私は、物質だけの存在感という考え方の中でも、具体的・直接的には、
上空から見た空中写真のイメージを土台にいろいろなことを考えた。

人々の間を飛び交う情報の種類について考える時も、
具体的なイメージというのは空中写真による空間イメージだったのである。

それにしても知る限りの言語学では、言葉の意味構造ばかりを気にしていた。
なぜ、言葉がどこから来るのかということを、問題にしないのだろう。

言葉は生得的に備わっているわけではない。
そんなことは誰でも知っているのに。

だから言語学のこの状況は、わけがわからなかった。
しかしとにかく自分は先へ進むのだ。


文字や言葉から、人はどうやって意味を読んだり感じたりするのか。

文字は平面状の形である。素材は何でもいい。

黒板の上の、白い線でできた形でもいいし、砂の上の窪みでもいい。
紙の上の黒い線でもいいし、布の上の糸でできた形でもいい。

そこに素材として、人間の外側に存在するもの(物質)の持つ多くの性質は、
文字を決定する要因ではない。

人が他者と共有している脳内の「パターン(型・類型・様式)」と、
素材の上の「パターン」が、一致しているかどうか、
が問題なのである。

  *〔通貨:価値の数量化と自然科学の数量化の違いについて〕

   通貨も共通したところがあるだろう。
   ただし、その素材は、社会が公式に決定したものに限られる、という制約がある。

   決まった素材上の数量は、素材がバラバラでも、
   「通貨」という同一レベルの数量として、足したり引いたりできる、
   という人間相互の約束の上で、通貨は成立している。

   それは、自然科学が対象を数量化する時に、
   対象から一つの性質のみを抽象化し、
   それに対して単位を設定して、数量化を図る、
   こういう作業とは、全くの別物である。

   つまり自然科学の数量化の場合、
   対象の中の、抽象化された一つの性質のみに着目して数量化が行われる。

   たとえば対象物の長さに対して、ミリやセンチメートルやメートルなどを設定し、
   あるいは対象物の重さに対して、ミリグラムやグラムやキロなどを設定する場合など。

   ミリやセンチメートルやメートルなどは、他者からの情報であるが、
   対象物自体に、それらが計ろうとする、抽象化できる共通する性質がある。

   しかし、通貨の場合、「円」の単位は他者からの情報であるが、
   それが表示されている硬貨や紙幣という素材には、
   その単位が計ろうとする、抽象化できる物質的性質などはない。

   また、100円のパンや、100円で買える卵などという、価値表示の対象物には、
   「円」という単位で計ろうとする、抽象化できる共通する物質的性質などはない。

   
文字や言葉から、人はどうやって意味を読んだり感じたりするのか。
また、どのように情報を受け止め、認識を作り上げるのか。

その過程はわからないが、実際問題として私たちは、
自分の外部にある情報に接しながら、生活している。

その点は、疑うことができない。

では現代日本の社会を考えた場合、その情報ルートという点に注意しながら、
自分の社会生活上の知識を主にモデルとして分析してみると、どうなるだろうか。

地球の表面に広がる社会。そこで生きるおびただしい人。
しかしその社会で重要なことは、そうした外見ではなく、
人々の脳の中の認識であり、情報である。

それぞれが、自分の成長の過程を思い出してもらいたい。
自分がどのように成長過程で情報を受け取ってきたか。
それがどれくらい他の人々との共通項であり得たのか。
そういうことを考えてみる。

まず子供時代。そこで受け取る情報は、非常に個人的なものである。
人間関係も、社会関係も、自然環境も。
しかし母国語の基本的な語法は、ここで身につける。
この母国語の基本的語法は、この段階では他の人々との共通要素の高いものだろう。

そして学校へ行くようになると、一気に大規模なスケールの情報に、毎日接触する
ようになる。それは何か。
学校の勉強内容のことだ。国語・算数・理科・社会。
日本の場合、何種類も教科書はあっても、
どれもその編集方針は文部省の教育指導要領に沿ったものだ。
社会生活準備段階の子供に、九年にわたって毎日のように施される教育。

ここには、他のルートではまとめて見ることのない情報がいくつもある。
言語・数の知識はもちろんだが、例えば自然科学の基礎知識。
民主主義社会の理論とシステムの知識。
子供のすべてに知らしめようと準備されているこれらの知識は、
時代を支える情報として非常に大きなものだと思う。

後に述べる他の情報ルートからの知識は、個人の経験によって蓄積してゆく。
しかし教育は、強制力があり、大規模であるという点で、
情報として第一級の性質を持つものである。
だから私は、義務教育を『基本情報』と呼んでいいのではないかと思っている。

社会が異なれば、この基本情報も、内容は別のものになる。
宗教が最優先される国では、基本情報は、その宗教らしい。
また国が違えば、宗教でなくても、盛り込む内容は大いに特殊なものとなり得る。
アメリカなどでは、州ごとに違う。
日本の事情がすべての国に通用する訳ではない。日本は日本なのだ。
しかしその分、その情報としての大きさと共通性が明白で、
基本情報という概念をも導きやすかった。

以上のことから、義務教育を(1)『基本情報』と数えよう。

(2)次に、やはり広範囲で、誰もが生活に欠かせない情報として、
社会システムに関する情報を挙げたい。

例えば、交通機関を利用しない人はいない。時刻表は必要不可欠の情報である。
また成人は税金を納める必要があるが、これはどうするのか。選挙はどうするのか。
年金はどうなっているのか。電気やガス、電話の利用の仕方について。
銀行の利用の仕方。郵便に関する情報。その他、諸制度に関わるすべての情報。
官民に関わらず、具体的な情報は直接、機関の窓口から出ているもの。公共性の高いもの。

こういう具体的なことは、学校などでは間に合わない。
その都度、必要となった時に個人が努力して手に入れる必要があるものの、
社会生活では必須の情報である。

法律は社会制度を規定するものだし、通貨も経済を規定する。
これもみんなが使っている情報だ。

 こうした社会システムに関する情報を(2)『社会システム情報』と呼んでおこう。

(3)その次には、各々の職業、社会的立場による情報の偏りをマークする。
その職種、そのグループ、その地域内、では、日常流布しているけれども、
他には伝わりにくいたぐいの情報である。これを(3)『偏在情報』と呼んでおこう。
ただし偏在情報とは呼んでいるものの、個人的な直接体験に含まれる、
懐深くあらゆるところにある日本語の基本も含んでいるつもりのものである。

例えば、身内や隣近所、仲良しグループ、趣味、サークル、愛好家グループ、
通っている学校、職場、職種、○○会といったもの、所属する団体、
個人的に信仰する宗教グループ、あるいは町や市や県などの行政単位の中の情報。
さらに付け加えるならば、世代ごと、年齢別の情報の偏りがある。

この中で見つかる情報には、社会では決して表に出てこないのに、
確実に生き延び続けている情報もある。

例えばねずみ講に代表される悪徳商法のやり方だの、
ヒットラーに類するような権力的に人間操作をする方法だの、ニセ宗教だの、
数々のだましのテクニックだの、等々である。

こういうものは、公の情報だけに頼っているとわからない。

その論理も価値観も、公の情報とは、すべてにわたって全然違う考え方が実在する。
平穏な社会生活をおびやかす可能性のあるものを、
伏流情報とでも呼んでおこう。

ここにはまた、世代間のギャップというようなものもある。
戦前の教育を受けた人々と、戦後の教育を受けた人々の間には、
誰の目にも大きな隔たりがある。
戦前の考え方が留まっているのも、(3)である。

ここには、歴史的な社会制度のために存在していた考え方や知識で、
今なお残っているものもある。

(3)は、ある意味ではパンドラの箱のようなものだ。何が出てくるかわからない。

(4)最後が、情報という名では最も耳になじんだ、(4)マスコミ情報である。
仮に、現時点で、最も先鋭的な関心を反映しようとしているもの、としておく。
時事問題ならば、教育でも、システムでも、伏流情報でも、その他何でも扱う。

これら四つは、どちらかと言えば、個人に対して、必要に応じて能動的に積極的に
情報源として活動する。

他に、図書館・資料館・博物館・歴史館などもある。
これらは、四つの情報源が出す情報の裏付けともなるものを、蓄える所だ。
そういう機能を持った所も、社会にはある。

あるいはまた書籍出版という分野もある。
しかしこれは、四つの情報源の影響を受けて手にすることが多いのではないだろうか。
個人的な関心によって手にすることも多いだろうけれども、
アピールとか実用とかいう点では、これも静かな情報源である。

社会論はいろいろあるけれども、日常語における基本語と言われるようなもの(山や
川・お父さんお母さん・机・水・歩くなど)や数詞、基本的な科学知識や社会知識、
こういうものを、伝播する情報として把握することは、ないみたいだ。
  
 しかし「無意味な世界」から「人体基準の認識枠」を立ち上げるには、
どうしても基本要素が必須である。

 ーーー無意味な世界に立ち向かう、膨大な細胞群の1集合形態である人体が、
「私」という意識を持ってこの世界で生き始めるには、
他者から伝達された「人体基準の認識枠」を、
自分も共有するところから始めなければならない。
 

** 現代の情報というものを、情報源を鍵として分類してみた。
ここで文明発祥以前から思い起こす。
この数千年の間、文明・文化の興亡を繰り返しながらも、人は進歩へと向かってきた。

進歩の概念についてもいろいろ取り沙汰されることはあるけれども、
とにかくある種の方向性は誰でも感じるだろう。
文明・文化とは、単なる流行ではないのだ。
後戻りを許さない何かがあるからこうなるのだろう。
それは一体何か。

まず、誰にでも検証できる確実な知識である。
これが増えてくると、後戻りはできない。
そして、人の生活を楽に豊かにし、行動範囲や活動量を増加させる技術が増えてくると、
これも後戻りはできない。

そして、それらの情報を伝達する仕組みが整うと、これまた後戻りはできない。
そして、それらの変化がもたらしたものを踏まえて新たな思想が出てくれば、
それが状況の変化に符号していれば、やはり後戻りはできないのだ。

確実な知識、確実な技術、これらは現代から振り返っても、
継続情報としてその発生から語り伝えられるものである。

人類はこれまで非常に多くの経験を積み重ねてきて、
その試行錯誤の形跡すらもたくさん情報として蓄えている。
継続情報は、それらの膨大な失敗の上に成り立つ貴重な情報なのだ。

私は、情報の種類と広がりと偏在について、そのルートを手がかりに、およそこの
ような見当をつけた。
私たちは、こうした重複し錯綜した情報社会の中で生きている。

私はできればすべての人を網にかけたかった。
すくいあげられる人の数が多ければ多いほど、
その認識には偏りがないと思われたのだ。

世界史の大きな流れという原則、存在する人すべてを対象とするという原則、
これらから離れまいとして考えると、
長期的広範囲な、社会の中に普遍的に存在している情報を把握することが大事だった。

必ずしも行動目的として浮かんでいるわけではない、人のものの考え方の大枠を、
その情報ルートという社会的形式で把握する。

私の考えによれば、ものの考え方の大枠は、
即座には行動目的として浮かんでこなくても、
その時代の動きの可能性を規定するものだった。

人が自分の認識として受入れ、あるいは信じていることで、
それ以外にはみ出す可能性の少ないことを押さえることがまず重要だった。

 **今はインターネットや携帯電話・スマホの普及による、能動情報にも配慮する必要が
あるが、それはまだ課題である。

 情報と同時に、急速に普及した技術と時代との関連も、考えるには考えた。
例えばテレビや冷蔵庫や洗濯機、車等々、これらの普及拡大のことは、よく話題になっていた。

マルクス主義が言う、物質関係による時代の規定という言葉から連想すると、
私の物質のイメージでは、むしろそちらの方がわかりやすかった。

  確かに文明の利器は人々の暮らしを変え、間違いなく歴史を変える。
暮らしが変わり、活動範囲が変わったら、
間違いなく人のすること・考えることは変わるだろう。
しかしどう変わるかという方向性の問題に、直接答えるものでもないような気がした。

 こうして私には、自分にしか見えないらしい分野の方が、
先に着手するべきものに思えたのである。


11 マルクス主義の分布状況
                                   
                                      
次に真先に考えたのはマルクスの分布状況だった。

自分がその学説に疑問を感じているのだ。
そしてそれは大きい。世界を二分している陣営の一方が採用しているのだ。

マルクス主義は、社会全体の把握、歴史全体の把握をうたってもいた。
日本の学問に与えている影響も大きい。

つまりマルクス主義は、現代という時代を規定している、
ものの考え方の枠の一つなのだ。
そしてそれに自分が、決定的な部分で引っ掛かっているのだった。

自分がマルクス主義のどこに引っ掛かるか。
何と言っても、その物質関係という捉え方の部分の違いが、極めて邪魔だった。

なぜマルクス主義では、物質関係と言えば経済問題なのか。
 
また林著『史学概論』に、マルクスも
 「歴史は自然の歴史と人間の歴史に分けられる。
  人間の歴史に自然の歴史は関係ない」
と言っている、とあったのも非常に引っかかった。

マルクス主義が唯物論だというなら、
私の考え方との違いにおいて、マルクス主義は唯物論ではない。

それはマルクス主義の間違い指摘の決定打になりそうな気がする。
しかしそういう論理展開には全然なっていない。

マルクス主義者にとって、異論を唱える者は、
ブルジョアや修正主義者である。そして偽善者であり、敵なのだった。

マルクス主義は唯物論ではない、と発言すると、
発言者がブルジョア修正主義など、敵の立場であることを証明するだけなのだった。

唯物論とは、マルクスの経済論のみを言う。それは自然の歴史には関係ない。
しかし、社会の法則は科学的に貫徹する、と言う。それがマルクス主義だった。

マルクス主義は、本来、社会矛盾に対する憤りを持っていた。
社会矛盾を解決しようとすることは、何ら悪いことではない。

しかしこういう論理展開は、私にとっては、それに対する共感以前の問題だった。
自分の世界認識の出発点に対する、妨害のように感じられたのである。


マルクス主義は、いる場所によって非常に差のある情報の一つでもあった。

知る人知らない人、賛否、などが、ばかにくっきりしているのだ。
田舎にいれば、マルクス主義に首を突っ込むこともなかっただろう。
言葉以上には知ることのない人達がたくさんいる。

しかし政治世界では、踏み絵のように、左右の分岐点になる言葉であった。
どうやら経済学や歴史学でも、そのような構図が見えるのだ。

そして世界は、この思想が分岐点らしい。
なんておかしな状況なんだろう。瞬間的に関心がそこへいってしまう。

四つの項目の中で、マルクスに関する知識はどこにあるか。
それは主として三番目の偏在情報にあるようだった。

義務教育には出てこない。
社会システム上の情報でもない。マスコミが流しつづけるものでもない。
知らない人は全く知らない情報だった。

ではどこで知ることができるのか。
大きな情報源の一つは大学や知識人のようだった。私の経験でもわかる。
大学構内のビラ、大学の先生方の話や講義そのものであったりする。
大学や周辺の本屋さんでも、書籍を通して、知ることができる。

今思えば、私が通った大学は小さいせいなのか、
史学や国文・英文の専攻生までが、経済学を勉強することになっていた。
こういう大学の特殊事情がなかったら、全然話が違っただろうと思われる。

大学が形成する文化圏。そこから得た知識によれば、労働者階級の思想として、
政党等の政治活動機関が情報源となって、それらにかかわる人々の間にも、
共通の知識として存在するようだった。

そうしたことを知っていて、やっとマスコミ情報の切れ端を読みとくことができる、
私はそういう位置にいた。

マスコミは時事問題の側面を扱うだけで、
認識主体者としての受け皿を作るほどの用意はなさそうだった。

マルクス主義は、世界情勢にかかわる大きな思想として、
政府関係者には賛否にかかわらず必須の基礎知識だった。

大学の門をくぐった者にとっても、とりわけ社会科学周辺が専攻なら必須だった。

つまりこれは、社会組織上で考えれば、どういう人々に分布しているのか、と考えれば、
賛否並立の状態で、どちらかと言えば権力に近いところに多いと、私には思われた。

労働者と言えども、組織化され知識化されている人達は、
力の側にいるような気がしたのである。

以上のことは、私が現代日本社会の情報について、
すくいあげるための網を考えてから、マルクスをひとつの鍵として読み取ったことである。

しかし、認識方法を考えてから読み取ったりする前に、
私は日本社会の意識構造というものにとらわれ、さかんに試行錯誤を重ねていたのだった。

人を動かすものは情報であるということについて、
理論的に(と言うよりはむしろ映像・立体イメージで)確実な思考枠を作ったのは、
大学二年の時である。
しかしそれ以前に、一年の時にも、意識構造というものにとらわれていたのだ。

どういう事かと言えば、最も端的な例を挙げるなら、
自分が不安だった核戦争の脅威について、
誰も本気になって心配していなかったということである。

新聞やテレビでは当然の情報として流れているのに、
自分の目の前の社会は、そんなこととはおかまいなしに動いている。なぜか。

みんな一体何を考えているのか。
私は知っている人々をできる限り思い浮かべては、
核戦争の脅威という項目でチェックを重ねた。

共産主義は良くないんだという意識がある。
あるいは、資本主義は克服されるべきだという意識もある。

しかし核戦争はいけないということになると、
お互いの自分の主張が正しいという意識にさえぎられて、
焦点がぼやけてしまうのだった。

現代社会のトップである首相はどうか。自民党の党首だ。

共産主義はいけないと思っているだろう。
核戦争だって無論良くないに決まっている。

しかし、核戦争はいけない、ということ以前に、
共産主義はいけないという論理の方を優先させないと、
立場が怪しくなるみたいに思えた。

マルクス主義者はどうか。彼らの歴史の発展段階には、核戦争なんてものはない。
自由主義社会は、社会主義社会に発展するために、克服されるべきものなのだ。

その段階での核戦争は、位置付けがはっきりしない。
無論彼らにとっても、核戦争は良くないのだ。

しかし自由主義陣営の仕掛けてくるものに、屈伏するわけにはいかない。自
分たちは正しいのだから。そんな感じがした。

周囲の友人知人はどうか。あまりにも突飛な質問に感じられて、
聞いてみるのがためらわれる。
だいたいが不安だけれども考えても仕方がないと言うだろう。
人によっては、そんな政治に近い堅いことを考えてはいけないとも言いそうだった。
(ただし想像するばかりで、そんなことは聞けはしなかった)

核装備の増大ということを報道する人々も、危険を知らせるだけだ。
平和主義者の運動も報道されてはいた。
しかし陳情やデモなんか、何の役にもたっていないように見えた。焼け石に水である。

郷里の人々が、どれだけそんなことを知っているだろうか。
この場合、知っているかどうかすら、おぼつかない人々が浮かんでくる。

誰もが、結局はどういうことになるのか、少しも考えていないようだった。
一生懸命目の前のことをしているだけである。
核戦争阻止については、みんな他人まかせみたいに見えた。
直接増大させている人々の考えは、私にはわからなかった。

危険だけはわかっているけれども、誰もが他人まかせなのである。
大戦前夜の状況というのは、こんなもんじゃないのかなと思うと、自分の想像にギョッとする。

(しかしこれって、私が20歳、1975年の頃の話、である。2023年の今ではない。
 今もまた、不安が切実になってきているのを感じる。)

それは、人の意識の中から「核の危険」という言葉を検索するのに似た作業だった。
現代の日本社会の中を照射しながら移動する感じである。
人の数が重要だった。
自分のような人間が極めて少数の部類だということを、1年のこの時、初めて感じた。
情報の飛び交う現代日本でも、核戦争の危険ですら、知ろうとしない人は知らない。
 (今は、知らない人なんか、いないだろう。)

意識の世界が人によってそんなにずれていて、それで社会が動いていて、
そして戦争が始まるなんて、そんなことあるのかな---。

そして社会が情報で動くということについて、
多少は理論的?に構築図を描いたところで分析してみたマルクス主義のこの分布状況は、
一体何を示唆するのだろうか。


** 当時は論理など全然考えなかったと言っていいほど、直観を土台に、
飛躍に次ぐ飛躍をやった。だから論理を書くと、
当時の私の実際の思考とはかなり違ってきてしまうような気がするくらいだ。

人に納得を求めてやむを得ず書いているが、今思い返しても、
正確の点を認知したら、次はこの正確の点、次はこれ、と、
一気に結論を出してしまったとしか言えない。

考えていた時間というのは、実質的には数日だと思う。
イメージの世界というのは、そんなものだ。

言葉にならなかった構図を思い出しては、
長々とした文章に置き換えて説明しているような感じなのである。

あるいはその構図は複雑な分子構造モデルのようなもので、
文章になどなりようのないものを、
見る角度を変えることによって説明している感じだとでも言った方が良いだろうか。

自分で考えたことが大事なものである、と、確信を持つに至るまでが、大変なのだ。



12・冷戦とマルクス主義 

   〔冷戦とマルクス主義〕〔マルクス主義(唯物史観)と社会認識〕〔『唯物史観の公式』〕〔通貨〕

                             
〔冷戦とマルクス主義と自然科学〕 
                               
私は、あわてて新聞の国際面をしげしげ見るようになった。
それは、世界史の書き方からくる、世界の動きを見通すという発想からして、
当然のことだった。

当時の新聞には、マルクス主義の用語がよく載っていた。
たとえば、社会主義国家から資本主義国家に対してなされる、
非難やコメントなどである。
そこに使われる言葉は、マルクス主義の用語だった。

つまり外交に関する文書の、文面の下敷きになっているのは、
マルクス主義の思想だったのだ。

私は、外交文書にマルクス主義の文言が出てくるのを、
この時に初めて知った。

こういう外交文書は、高校世界史からすると、
みんな参考史料として出てくるレベルのものだ。
私は、そういう感覚で、新聞を読んでいた。

世界の状況や日本の政治状況をかれこれ考える内に、
私が「マルクス主義が否定されたら冷戦は終わるだろう」
と考えたのは当然のことである。

しかし自分が考えているような当たり前のことを、どうして他人が考えないのか、
どうしてこんな思想状況で固まっているのか、

自分が何を言えばマルクス主義を否定したことになるのか、
そういうことが、どう考えてもわからなかった。

自分はマルクス主義が間違っているように思う。

しかしこれを表現すると、困ったことに「間違っている」という表現にしかならないのだ。
自分が何を表現する必要があるのか、それがわからない。

宇宙創成から現代に至るまでを歴史として捉えてみる。宇宙から地球を見る。
そんなことは、考える人は誰だって考えそうだし、

空中写真だって、ある所に行けばどっさりあるものだし、
極小粒子とエネルギーの話だって、みんな知っている話だった。

物を所有しても、私が言うような意味では、
物質関係が発生しているわけではないなんてことは、
誰でもわかる話みたいだ。

それがどうして、学問の世界で、
マルクス主義の真偽の判定がつかないことになるのか。

自分が、考える基本にした事柄の、要素を取り上げては、
それを考えそうな人達というのを想像してみる。

たとえば「宇宙創成から現代に至るまでを歴史として捉える」
という考え方が好きな人は、たくさんいそうだと思うのだ。

しかしそういう人が、それが歴史学の方法として必要だ、
とまで主張するような場所に、生きているとは思えなかった。

SF小説が好きな人。宇宙論が好きな自然科学系の人。哲学が好きな人。

そういう人は、普通に、「宇宙創成から現代に至るまで」を、
考えそうだと思った。

しかしその人たちは、歴史学の世界で発言する立場にいるわけではない。
歴史学で基本に据えようと、強く思っている訳ではない。

だから、このような越境問題に深く立ち入ることは、
自制しているのではないかと思った。

私が考えたその他の様々なことがらのすべてに、
この「生きている場所の違い」という側面が共通しているような気がした。

私以外の人は、棲(す)み分けた社会で、みんな食い違いの場面にいるみたいだと思った。

しかし私だって、東大総長が書いた東大教科書に対して、
正面から文句を言うほどの立場にいるとは思えない。

自分より偉い人はいっぱいいるではないか。こんなに状況がおかしく思えても、
自分が何か言うほどの立場にいるとは思えない、というのは、大きな問題だった。

それに自分が直面しているのは、大学生活における歴史学の勉強なのだ。
こんなことを自分が考えていても、
大学生活で何か成果を生み出せるようなものではなさそうだった。
言葉で考えたのではなく、シミュレーションで考えたもの。

これを文章に書き直すなんて作業は、全くやったこともない。
それに意味があると後押しするものも何もない。
おかしいと思いながらも、気を取り直して大学の勉強に戻るしかなかった。


***
***
〔マルクス主義(唯物史観)と社会認識〕
 1991年、ソ連の崩壊が確実になった。
忙しい日常だった私には、ベルリンの壁の崩壊も、ソ連の崩壊も、
それがなぜかはわからなかったけれども、当然のような気がした。

しかし問題はそれからだ。どう感覚をはりめぐらしてみても、
私が考えたようなことは誰も言っていない。

林著『史学概論』は売られ続けていた。
2003年時、その1・2年前まで、売られていたようだ。
つまり私が大学時代にショックを受けた頃から、
さらに25年の寿命を保った本なのである。

林著『史学概論』が暗に批判していたマルクス主義の退潮は、
かなりはっきりしているようだった。
しかしそれは、風潮が退潮になった、現実と照応しない、ということであって、
理論の破綻の指摘ではないように思われた。

その間に、マルクス批判の勢いは強まった。
しかし私にとっては、その批判の方向性が問題だった。

科学も歴史学も、人間の側の捉え方の問題が大きいのであって、
絶対に確実なものなど存在しない。

どの角度でものを見るのが、社会的により適切か。
問題は視覚の選び方であって、客観的なものなど存在しない。

歴史認識に主観性は免れない。重要なのは、その社会的有用性である。

そういう話が主流を形成するように思われた。
しかしこの場合、何を社会的有用性とするかが問題である。

発言者の当初の意図に反して、
右派の、日本国統合のための歴史、というものが社会的に有用である、
という論理も強まったようだった。

「誰もがそれで、是か非かを判断できるもの」がある、
なんて言う者は、頭が古いマルクス主義者か、素朴客観論者だ。

そんな風潮が出てきたように思われた。
そこで私は、これはおかしい、そんな気持ちになったのだ。

**

マルクス主義の革命の方法を巡って、
マルクス主義が言う「歴史法則」をどう理解するかという議論は、
かなり古くからあり続けたものである。

中でも昭和初期(1932年頃)の「日本資本主義論争」などは、
日本史辞典にも出てくる有名な論争である。

マルクス主義では、
  世界史は、唯物史観(マルクス主義の歴史観)の発展段階論のままに、
  資本主義から共産主義へと向かう、そういう法則に則って、歴史は動く、
そう言っていた。たとえば以下のような話が展開されていた。

  ”歴史をマルクス主義に則って理解すれば、
  その歴史観である唯物史観は、歴史の全体を貫徹しているように見える。
  それゆえにマルクスの発展段階論は、間違いないことが証明される。”

このように、歴史学者にとって、この唯物史観は、史料を解釈する上での、
非常に有益な理論に見えた、らしい。

そのために、社会の下部構造(経済)の変化を調べれば、
社会の変革の構造が理解できるのではないか、と考えられた。 

ここで歴史学に影響を与えた「唯物史観の公式」を紹介しておこう。
以下はその文章で、()内は私のつぶやきである。



〔『唯物史観の公式』〕

わたくしにとって明らかになり、
そしてひとたびこれを得てからは
わたくしの研究にとって導きの意図として役立った一般的結論は、
簡単につぎのように公式化することができる。

人間は、その生活の社会的生産において、一定の、必然的な、
かれらの意志から独立した諸関係を、
つまりかれらの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係を、
取り結ぶ。

       (人間は、すでに出来上がった経済・社会の中に生まれる。
        そして自ら、その中に入って行こうとする。
        つまりその行動は、関係を結ぶ、と言ってもいいだろう。

        しかしなぜ、それに「必然的な」という形容詞が付くのだろう。

        生産関係というのは、常に、社会の要請に対応するように、
        人間の認識と意思によって、変化するものではないのか。

        そこには人間の、変化に対応しようとする認識と意志があるのであって、
        「必然的」という言葉とは縁遠いのではあるまいか。         

        そして何らかの関係を結ぼうとする時に、
             それが自分の意志から独立している、
        というようなことがあるだろうか。

        関係を結ぶというのは、意思の表出ではないだろうか。)       

        
この生産諸関係の総体は社会の経済的機構を形づくっており、
これが現実の土台となって、

そのうえに法律的、政治的上部構造がそびえたち、
また、一定の社会的意識諸形態は、この現実の土台に対応している。

        (歴史の教科書に出てくる、フランス革命時の宣伝ポスター、
        底辺が社会を支えているような三角構造図を描き、

        底辺に経済、その上部に法律や政治や精神活動を置いた、
        そのようなものでも想像すればいいのだろうか、
        と、考えてみた。

        しかし、空中写真のイメージからすると、そんな三角構造図は、
        現実理解の妨げになるとしか思えなかった。

        空中写真的な世界は、実際は、
        質量を持ち、空間を占める、3次元の立体の物質世界である。

        その世界の中で、人間がどのように活動しているか、それを
        理解しなければならない。)               
                                          
物質的生活の生産様式は、社会的、政治的、精神的生活諸過程一般を制約する。

       (要するに、マルクス言う「物質的生活」である経済生活が、
        社会的・政治的・精神的生活を制約する、ということらしい。

        つまり何より重要なのは、経済ということらしい。

        しかし、個人的に言うと、私の頭の中は、お金よりも、
        知識と情報を核としてできている、という感じがするのだ。

        お金と知識・情報は、それほど連動性があるようには思えない。)

人間の意識がその存在を規定するのではなくて、
逆に、人間の社会的存在がその意識を規定するのである。

       (これが当時、よく使われる文言のようだった。

        所属階級がその人の意識を作るとか、
        だから、人を知るには、その人の階級を知ることが重要だとか、
        そのようなことがよく言われた。

        人の言っていることを考える前に、その人の階級を知ることが大事だとか。

        しかし人は、他者を知る時に、どのようにして知るのだろうか。


        その人の階級を知るのに、
        言葉を使わずに、自分で歩いて調べたりするだろうか?
        
        そして歩いて調べたとしても、
        言葉を使わずに、その人の階級がわかるだろうか?

        もし言葉を介してその人の階級がわかったとしても、
        それは正しいか?

        階級と知識・情報・意識は、明確な連動性があるか?)    


社会の物質的生産諸力は、その発展がある段階に達すると、
いままでそれがその中で動いてきた既存の生産諸関係、
あるいはその法的表現にすぎない所有諸関係と 矛盾するようになる。
                      
これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態からその桎梏へと一変する。

このとき社会革命の時期がはじまるのである。
経済的基礎の変化につれて、巨大な上部構造全体が、徐々にせよ、急激にせよ、くつがえる。

       (このあたりも、社会変革が好きな人には、好まれる文言のようだった。
       経済発展がある段階に達すると、生産諸関係と矛盾するようになり、革命が始まる。

       これも具体的にはどういうことなのか、理解できなかった。
       いかにもそれらしく経済的契機の説明がなされていても、

       それは別の、社会的・政治的・精神的な動機がなければ、
       変化に結びつかないような気がした。

       社会的・政治的・精神的な動機が、経済的動機と結びつけば、
       それはより強い行動となって現れるだろう。

       しかし経済的動機が、直接、社会的・政治的・精神的な思考内容
       を発生させるだろうか。それは、時と場合による、ような気がする。            

       それは経済発展とは関係ないような気がするし、
       経済発展が社会で矛盾をきたさないように、人は再々法律を改正するではないか。

       人に関係なく、経済で事が起こる、みたいな言い方には、どうも納得がいかない。

       検証よりも先に、仮説が先走っているだけ、のような気がする。)


このような諸変革を考察するさいには、
経済的な生産諸条件におこった物質的な、自然科学的な正確さで確認できる変革と、

人間がこの衝突を意識し、それと決戦する場となる法律、政治、宗教、芸術、または哲学の諸形態、
つづめていえばイデオロギーの諸形態とをつねに区別しなければならない。

       (経済が、人間に関係なく、物質的で自然科学的な正確さで変革を起こす、だろうか。

        空中写真の世界では、経済は、人の意志なしでは動かない、ように見える。
        人間なしに、勝手に経済的物資が動くようなことはないのだから。)
                     

ある個人を判断するのに、かれが自分自身をどう考えているかということにはたよれないのと同様、
このような変革の時期をその時代の意識から判断することはできないのであって、

       (これも、好きな人は好きな言葉のようだった。

        人を判断するのに、その人が自分自身をどう考えているのか、ということには頼れない、
        って、何だろうか。

        マルクスは、ある人の考えは、その人の意識(主観)では判断できないから、
        その人の言うことに耳を傾けても無駄である。そう言ってるようなのだ。

        その人を取り巻く状況(客観)で、その人は判断できる。そう言ってるようだ。

        こうして、ブルジョアなどの意見の違う者の言うことなど、聞いても無駄、
        という姿勢ができてくるのではないか、という気がした。

        しかし私は、自分が何を考えているかは、自分が一番よく知っている、と思う。
        これは他人にはわからない、と思う。

        「あなたのことは、その立場・環境から判断して、よくわかる」
         などとご託宣をいただくことが、よくある。
 
        しかし私の場合は、それが当たったことなど、全くない。)         
        

むしろ、この意識を(、)物質的生活の諸矛盾、
社会的生産諸力と社会的生産諸関係とのあいだに現存する衝突から説明しなければならないのである。

        (「意識」は主観的なものであり、「経済」は物質的で客観的なものである、
         とでも言ってるのだろうか。         

         意識を経済から説明しなければならない、と言ってるみたいだが、
         経済を意識抜きで説明する、ということがわからない。

         需要・供給曲線というような近経の分野らしきものもかじったことがある。
         経済はまるで、数学で処理できる物質のようだ。

         しかし需要も供給も、人間の認知と心理の集合である。
         質量と空間占有のある物質が、増減する話ではない。
          
         変革の時代の意識を経済から説明するのは、変革の前提条件の説明である。
         それも重要だが、直接的ではないような気がするのだ。

         どう考えて行動しているのか、が、歴史学としては重要なテーマであるように思う。        
         
         空中写真的な、これぞ物質世界、という世界の中の、
         人間社会の活動を理解しなければならない。

         この自分のテーマは堅固で、一向にゆるがないものだった。
                     
         この世界では、意識なしでは経済物資は動かない。)

*****マルクス『経済学批判』(岩波文庫)より

     *この『唯物史観の公式』が掲載されている私手持ちの本:
           林健太郎 『史学概論』有斐閣・1953年P101
           芝原拓自著『所有と生産様式の歴史理論』青木書店・1972年P26
                   (私が大学時代、選択した経済史講義でテキストだった本)
           小谷汪之著『歴史の方法について』東大出版・1985年P58
           梅元克己著『唯物史観と現代』岩波新書・1974年P15 

今となっては、もはや何で知ったのかわからないけれど、
共産主義国の厳しい言論統制と、粛清とかいう不気味なうわさは、
私の耳にも真実味を持って届いていた。

しかし、共産主義を理想の世界と思っているような人たちも、大学に来ると、実際にいるのだった。
現存する共産主義国家は、本当の共産主義社会ではないから、と言うのだ。

そうして『唯物史観の公式』を読み、歴史学への影響度を知り、
これしか考えてはいけない、という社会を想像すると、
一体どうやって自分の頭を整理したらいいのかわからない。

それは、林健太郎著『史学概論』で「自然科学として総称される諸科学はすべて歴史ではない」
という文章を見て仰天したのと同じ、自分の精神にとって、絶対的な矛盾を突きつけるものだった。

この考え方以外は暴力で排除する、という社会は、「空中写真」の世界を暴力で排除する、
ということと同義であって、私には、まさに狂気に思われた。


マルクス主義者が標榜していたことに、マルクス主義は客観的である、というのがあった。

それに対する批判には、以下のようなものがあった。

たとえばその発展段階論の検証の仕方について、

まず最初にマルクス主義の認識枠があり、
事実をその中に押し込めることで「検証された」という主張がなされていて、
それは全然検証ではないのだ、という非難になる。


たとえば日本史でも、戦後すぐには(早期のものは戦前にもあったが)、
原始共産制・奴隷制・封建制・資本主義・社会主義という発展段階がある、
という主張がなされたこともある。

それはマルクス主義に則して考えれば、
生産様式に着目した、客観的な歴史観として強く支持された。

この日本史の見方について、検証だと言うその方法が、
事実を理論の枠の中に押し込めているだけだ、というのがあった。

 客観的と見なされた経済の部分を、理論に合うように拾って、
理論が事実によって検証されたとする、そういうことがよくあった。

これは理論や客観という名の主観である。

事実が客観的に存在するというようなことはない。
客観的という名で主観を押し付けるのは間違いだ。

批判の内容はそういうことだった。


最近はマルクス主義に対してのこうした批判以外に、
客観という言葉そのものに過剰に否定的反応をする人が増えていた。
客観的なものなどない、と言うのである。

かくして「人間の認識に関係なく、事実が客観的に存在するというようなことはない」、
そういう論理が優勢となってきた。

こうした認識論に対して私が思うのは、
では、人間の認識に関係なく存在している物質世界は、
いつの間に存在しないことになったのか、ということである。

人間の認識が関係しないと、人間には物が見えないと言うが、
人間がいないと物質世界は存在しないのか。

物質世界は人間には関係なく、客観的に存在するだろう。
人間がいなくても、物質世界はあり続けるだろう。


前出の、見る人にはいろいろに見えても、空中写真は1枚しかない、というのと同じである。
いろいろに見える、ということばかり主張する意見が、やたらと多いように思われた。

当事者の認識には関係なく、史料の残存状況にも関係なく、
歴史家の認識にも関係なく、存在した世界があったはずである。

それは歴史と言うにはふさわしくないかもしれないけれども、
絶対的に存在した過去というのは、理論的にはあるはずである。

それは例えば、宇宙から地球世界を眺めて、
千年二千年の長期的な尺度で早回ししてみるような世界。

歴史として把握される以前の、物質存在として存在した過去の世界を、
こういう視点から考えてみることもできるのではないかと思う。

思い出せば、より正しい世界観を築くことが、私のしなければならないことだと、
思ったのが始めだった。

空中写真的な、これぞ物質世界、という世界の中の、
人間社会の活動を理解しなければならない。

これが私のテーマである。



〔通貨〕
ここで「通貨」について、私の理解を述べておこう。
マルクス主義にも「貨幣」という言葉は出てくる。

他者の使う「貨幣」という言葉にぶつかると、どうも自分の概念とは違うと思うので、
ここで私のイメージするものをメモしておきたい。

私が気になるのは、

1・5・10・50・100・500円の各硬貨、さらには、
1000・2000・5000・10000円の各札が、
それぞれ素材や形体を異にしているにも関わらず、

その国の通貨と認識される場面では、「一つの同次元レベルの数量」の表示として扱われる、

ということである。

500円玉1個と100円玉4個と10円玉10個は、1000円札1枚と等価である。
500円+100円×4+10円×10=1000円

こういうことは、幼児には理解できまい。

幼児は、数の概念のほかに、
通貨の交換機能の具体例を知ることによって、
それが「同次元レベルの数量」表示として扱われることを、
経験的に知る必要がある。

硬貨相互、あるいはまた硬貨と紙幣との間に、等価交換が成立する、
というのは、人間の側の情報に基づく判断である。

硬貨相互、硬貨と紙幣との間に、物質としての関係など、何もない。

つまり、銀主体の金属や銅主体の金属、紙、の間に、物質関係など何もない。

水が蒸発して蒸気になるとか、鉄の玉が落ちて地面に跡を作るとか、
そういう意味での物質関係は存在しない。

人間が、他者からの情報に基づいて、恣意的に、これらを、
関係するもの、「同次元レベルの数量」、として扱っているだけなのである。

ただしこの恣意性には社会的な拘束力があり、公的であり、
社会全体が共有するものである。

このように、通貨価値は、物質世界に対しては人間の側の恣意である。
しかしこれは、人間世界に対しては、個人の恣意とはなり得ない。

それは経済社会に関わっている人々全員に、普遍的なものである。

こうしたことは、言葉にも共通するものがある。
机を「つくえ」と呼ぶか、「き」と呼ぶか、「ですく」と呼ぶか、
あるいはまた、別の音列で呼ぶかは、その社会の任意であり、
その呼び方は、対象物には関係なく、人間の側の恣意である。

つまり私の考え方では、通貨は人間の意識なしには成立しない、ということである。

あるいはまた、以下のように言うこともできる。

人が、価格の変動する「金(ゴールド)」を見ている構図を、物質世界の変化として考えるなら、
激しく変化するのは人間の「脳の活動」のほうである。「金(ゴールド)」は変化しない。

それが物質世界で起きている現象である。

(ここでは、人間の意識の外部にある「金(ゴールド)」の、世界全体量の客観的な増減よりも、
人間側の、情報による認知の方を重視している。

もちろん、客観的な増減も重要だ。どうやってそれを知るか。
それも調査学として成立するかもしれない。それほど重要だ。

しかし最初に世界を走るのは、情報である。その情報には、まずは妥当性が必要である。)


13 歴史学における事実    
       〔歴史学における事実とは(史料批判・今井登志喜より)〕
       〔「客観的な歴史」が揺らぐのに対抗する〕
       〔素朴客観論と、私の立場と、主観性認識論〕
                                         
事実とは何か。
簡単なようで、これが中々やっかいな問題である。

私たちは毎日、いろいろな情報に触れては、これはどの程度事実かと、
何気なく考えて行動している。

新聞や雑誌や本に書かれていることは、どの程度「事実」だろうか。
ひそひそ交わされるうわさ話は、どの程度「事実」だろうか。

これが歴史的事実や、国際的な状況認識の話になると、
「事実」とは何かと、さらに激しい論争の原因になったりする。

簡単なようで難しいのが、「事実とは何か」という問いである。

例えば、「A氏が○月○日○時に、東京駅にいた」  
と書いた日記が二つあったとしよう。

ところが本物のA氏は、同じ時刻、実は会社で仕事中だった。
それを多くの同僚が確認していて、利害関係のない人物もそう証言した。

この場合、もし日記を書いた人物たちに、嘘を書く可能性があるならば、
多分、事実は「A氏は会社で仕事中だった」である。

こういう時、相反する二種類の情報の中で、
事実はどちらかと判断するには、どうするか。

仮に、東京駅で見られたA氏というのは、別人だろう、
あるいはその日記証言は虚偽だろう、と予測するとする。

普通はみんな、毎日一緒に仕事をしている多くの同僚達が、
間近に見たという証言の方が正しいと、判断するからである。

しかしながら、時には同僚全員が口裏を合わせた可能性もある。

だから、証言者たち・質問者・証言される者の間の、相互の人間関係をも、
考慮に入れる必要がある。

人は普通、ある事柄についての情報の根拠を、証言の確かさに求める。

     しかし、事実というものの最大の根拠は、純粋に理論的に言えば、
     「証言の確かさ」ではなくて、「物質存在的に確実である」ということである。

証言が二つあるからと言って、事実が二つあることにはならない。

したがって、「A氏は会社で仕事中だった」を、私流唯物論に書き直すと、

「A氏は会社で仕事中だった」というのが物質存在的に確実なもの 

「A氏が東京駅にいた」とする日記は虚偽情報

そしてこの場合、多くの同僚の証言は「A氏は仕事中だった」という事実の補強である。


日常的な意味で言う、事件や事柄という意味での事実とは、
「物質存在的に確実なもの」を、人間が認識して言葉で表現したもの、のことである。

「A氏が同時刻、東京駅にいた」というような、
物質存在的にないものを、言葉で表現したものは、事実だとは言わない。


〔歴史学における事実とは〕
                  (今井登志喜「史料批判」より・贋作虚偽錯誤検討法)

歴史的事実とは、「史料」という証拠物件を基礎にして、
事実であると証明されたものを言う。

以下は、今井登志喜著『歴史学研究法』東大出版(原文昭和10年)を基本にして、
「史料」が証拠物件として役立つかどうかを吟味する際の注意事項を、
簡単にまとめたものである。こういう作業を「史料批判」と言う。

その際、今井登志喜の歴史学の定義にも触れておこう。


*****
1、歴史学とは

歴史学は経験科学であり、経験的な証拠物件を基礎として実証的に成立する学問である。


2、史料とは

歴史研究の証拠物件が史料である。

史料とは、文献口碑伝説のみならず、碑銘、遺物遺跡、風俗習慣など、
「過去の人間の著しい事実に証明を与えうるものすべて」である。

ただし、史料には2種類ある。

   (1)史料が物質存在として、ある歴史的事件・歴史的対象と、物質的に関係しているもの。  
   (2)史料が歴史的対象に対して、
      人間の認識を経由して、人間の論理で整理され、言語で表現されている
      という関係にあるもの。  
       *人間の認識を経由して描かれた、という意味では、絵画・図などはこれに準じる。

たとえば、
(1)は、モノ的に関係する世界、やわらかい地面を歩けば足跡が残る、
というような世界での、「足跡」(痕跡)。あるいは作成物、地理、自然など。(遺物)

(2)は、人が歩いているのを見て、誰それが歩いていた、
と証言する世界での、「証言」である。(証言)


(1)を考察の範囲に入れないものは、歴史とは言えない。
歴史は、物語や文学ではないのだ。


3、史料批判とは・その必要性について

史料批判とは、収集された多くの史料が、証拠物件として役立つかどうか、
またもし役立つとしたら、果たしていかなる程度に役立つか、
を考察することである。

これは、日本語の「考証」という言葉とほぼ同じ意味である。
しかし、ドイツ語ではこの作業をKritikと言って、鋭い意味合いが含まれる。

このドイツ語の原語を生かそう、と、この訳語が用いられるようになった。

以下は文献史料を中心に述べるが、偽造・錯誤・虚偽などについての検討は、
美術品・工芸品や遺物・遺跡にも当てはまる。

史料として提供されるものには、
しばしば「全部もしくは一部が本物ではない(贋作)」とか、
あるいは「それまで承認されていたようなものではない(錯誤)」、
というようなことが発生する。

贋作のできる動機を数えると、

好古癖・好奇心・愛郷心・虚栄心などに基づく動機、宗教的動機などが挙げられる。
しかし何と言っても、利益、ことに商業的利益の目的を動機としたものが、最も多い。

そしてこれらの動機に基づく贋作は、ほとんどすべての種類の史料に行き渡っている。

中世ヨーロッパでは、領地などの権利を強固にするため、多くの偽文書が作られた。
そのほか、家格を良くするための虚栄心からくる偽文書がある。

わが国でも戦の感状などに贋作がある。西洋では教会に偽文書が多くある。

ローマ法王に関する偽イシドールス法令集は偽文書としてよく挙げられるものである。
贋作の種類は非常に夥しい。    

また、何らかの理由で錯誤が起き、その史料が、違う時代や人物に当てられ、
間違った説明が加えられて、踏襲されたりすることもある。

これら贋作や錯誤が、全部でなく、一部であることもある。

したがって、史料の正当性・妥当性は、常に注意深く吟味されなければならない。

また、史料が証言する内容について、
どの程度信頼できるか、どの程度証拠力があるかを、評価する必要もある。

証言者は、
  論理的な意味で事実を述べることができたのか、
  倫理的な意味で事実を述べる意志があったのか、
という二点で検討されなければならない。

史料批判は一般に、
史料の外的な条件を検討する「外的批判」と、
史料に記された内容を評価する「内的批判」
とに分けられる。

4、外的批判

史料の外的な条件を把握することが必要である。これらは史料の証拠価値の判定基準となる。
例えば、次のような視点から史料の確かさを検討する。

(1)贋作でないかどうか(真贋の検討)

1. その史料の形式が、他の正しい史料の形式と一致するか。
古文書の場合、紙・墨色・書風・筆意・文章形式・言葉・印章などを吟味する。

2. その史料の内容が、他の正しい史料と矛盾しないか。

3. その史料の形式や内容が、それに関係する事に、発展的に関係し、その性質に適合し、蓋然性を持つか。

4. その史料自体に、作為の痕跡が何もないか。その作為の痕跡の吟味として、以下のようなことが挙げられる。


   (1) 満足できる説明がないまま遅れて世に出た、というように、
      その史料の発見等に、奇妙で不審な点はないか (来歴の検討)

   (2) その作者が見るはずのない、またはその当時存在しなかった、
      他の史料の模倣や利用が証明されるようなことがないか。

   (3) 古めかしく見せる細工からきた、その時代の様式に合わない、時代錯誤はないか。

   (4) その史料そのものの性質や目的にはない種類の、贋作の動機から来たと見られる傾向はないか。

その他、贋作がその内容の種本にした史料との比較によって、明らかに贋作とわかったりすることもある。

   * 贋作に関しては、身近な例として「偽書」や絵画の贋作、
     「旧石器捏造事件」 を思い出していただきたい。

錯誤についても、贋作を検討する作業の中に、適用できるものが含まれる。
混入や変形がある場合の吟味の基礎は、詳細な比較研究である。

(2)史料が作られた時・場所・人間関係を吟味する(発生の検討)

古い時代の文学作品等には、作者や著作日時が不明のことが多い。

また公私の記録文書、ことに原本がなく写しのみの場合、
例えば人々の書簡集のようなものには、これらが欠け、または不十分なことが多い。

日時・場所を明らかにすることは、事の経過や状況を知るための基本である。

史料の日時を考察する。外的・内的の両方の吟味を行う。


外的吟味
            1、ある日時の明らかな史料のことが、その史料の中に出てくる。

            2、ある日時の明らかな史料の中にその史料の事が出てくる。

            3、共存する他の時間的関係の知られている史料から判断する。

            4、時として技術的関係からの判断による。たとえば手紙に日付がなくても、
              その到着した時がわかっている場合。

            5、それが時間の知られている史料の断片であることの考証による。など

内的吟味
            1、比較研究。すでに日時の明らかにされている他の史料と、
              外形的特徴、たとえば様式・材料・技術等を比較する。

            2、文献的史料では、特に言葉、スタイルなどがおおいに標準となる。
              文語体でも時々、何か時代をあらわす要素が含まれている。

            3、記録等の場合、その記事の内容に手がかりを求め、それによって判断する。
              ある時より、前か後か、を明らかにできるだけでも、その史料の利用に役立つ。

その他、場所の吟味、人物の吟味など。


言語で表現された史料の場合、その史料の作者の地位・性格・職業・系統等が明らかにされれば、
それがその史料の信頼性等を判断する根拠となって、その史料を用いる際に都合が良くなる。


(3)オリジナルの史料かどうか(本源性の検討)

史料の利用について特に注意するべきことは、オリジナル史料と借用史料の区別である。
各史料の要素を細かく分解し、親近関係が疑われる史料と比較し、
これによって、それらのオリジナル性や従属性を確かめる。

その理論的根拠は

         1、一つの出来事について、各人の観察把握の範囲および内容は、
           すべての個々のことについて、特に偶然的なことについて、
           みな一致するということはない。

         2、各人が同じ一つの事を述べるとき、その表現の形は同一ではない。

         3、すでに他人によって言語的に発表された表現内容に一致する証言は、
           少なくともその付随事項の一致により、またしばしば誤解があることによって、
           その従属性が明らかになる。

         4、二個以上の報告が同じ内容を同じ形式で述べる時、
           それらの史料には親近関係がある。
           これらの史料にどういう系統関係があるかを判断する。


5、内的批判

                                      
史料をどの程度信じるべきか、どの程度の証拠力があるかを検討する。
同一事実に対して直接証人の証言が矛盾していることは少なくない。

証人は、
  論理的な意味で真実を述べることができたのか、
  倫理的な意味で真実を述べる意志があったのか、
この二点においての評価が必要である。

史料の信頼性が損ねられる例は多々ある。その原因には、大きく分けて「錯誤」と「虚偽」がある。

〔錯誤の例〕
         1.感覚的な錯誤

         2.総合判断の際の先入観や感情による錯誤

         3.記憶を再現する際に、感情的要素が働いて、誇大美化が起きるような例

         4.言語表現が不適切で、証言がそのまま他人に理解されない例

 直接の観察者でも、錯誤が入ることはよくある。ましてや証言者がその事件を伝聞した人である場合、
誤解・補足・独自の解釈等によって、さらに錯誤が入る機会は多い。

ことに噂話のように非常に多数の人を経由する証言は、
その間にさらに群集心理が働いて、感情的になり、錯誤はますます増える。

〔虚偽の例〕
        1.自分あるいは自分の団体の利害に基づく虚偽

        2、憎悪心・嫉妬心・虚栄心・好奇心から出る虚偽

        3、公然あるいは暗黙の強制に屈服したための虚偽

        4、倫理的・美的感情から、事実を教訓的にまたは芸術的に述べる虚偽

        5.病的変態的な虚偽

        6.沈黙が一種の虚偽であることもある

このように、言語史料には錯誤・虚偽が入る機会が多い。

事件の当事者の報告は、その事件を最もよく把握している人の証言だ、という意味では最も価値がある。

しかし一方、当事者はそのことに最も大きな関心を持っているために、
時として利害関係虚栄心などから、真実を隠す傾向がある。

この点においては、第三者の証言の方が信頼性が高くなる。錯誤はなくても虚偽が入るのだ。

すべての証言において、その作者の人物を考慮することは、その史料の信頼性を考える上で、重要な標準となる。


言語史料を「音声」と「文字」に大別して考える。

「音声」史料の場合、時間的人間的に、間接の度が増して、広がるほど遠くなるほど、信頼性が落ちる。
伝説はその典型である。
一般に、長く伝わる間に、1誇大・美化・理想化、2集中、3混合、などが起きる傾向がある。
現在文献化している音声史料でも、かつて相当の期間口伝的だったものは、こういう性質を持つ。

「文字」史料の場合、
公私の往復文書、宣言書、演説、新聞雑誌の記事、日記、覚書、回想録、系図、歴史書、年代記、伝記その他、
種々の種類に分類して、大体その性質を考察した上で、さらにその史料の一つ一つを吟味する。

特に、利害関係を持つ内容、宣伝的性質を持つ内容、道徳的・芸術的効果を目的とする内容等については、
事実の歪曲を予想するべきである。

最後に、歴史認識に達するための総合作業がある。


6、史料の発生経過による考察  

さらには、史料の種類を、発生経過をたどって考えてみる。
時間経過や空間的距離そのものが、史料内容の変化を特徴付ける、という面も、大きいからである。

特に、後世の記録や編纂物、物語・小説となってきた場合、その変化には、
顕著な意図的傾向が見られる。

手にした史料がどういうものか、見当をつけるためには、発生モデルを考えておくことが便利である。

まず最初に、事件・事実が成立する前提となる様々な事項、というものがあることを考慮しておかねばならない。

          ○ 自然世界であり得る範囲かどうか。
          ○ 地理、地形、地質、気象などの自然条件に合うかどうか。

          ○ 全体の歴史、全体の人間関係、の中の事件であることの確認。

次に、事件当時、当事者が残した史料が、「遺物として」、
その歴史的な事件・対象と、物質的に関係している(時・場所・状況に整合性がある)ことが証明される必要がある。

つまり、一次史料であることが証明される必要がある。
それを証明するには、以下のような前提事項が必要である。

         A  当時の人々が残した、生活・慣習・制度・思考の、痕跡や記録のうち、
           当該事件について、時間や場所や内容の蓋然性を証明するものがあること。

         B  また、紙質・墨色、筆跡・書体、文章形式、言葉、印章など、時代性を示すもの全般、
           物品の製作技術の傾向・度合いや材料で、時代や場所を示すものがあること。 等々。

ある事件について、このような前提事項に保証された一次史料が発生したと想定して、順番に経過をたどって考えてみる。

  1、 ① 事件・事実の当時、その場で当事者が、各自、自ら作った史料。
        (例えば、「遺物」としては、足跡・血痕・指紋、作業の痕跡。

         あるいは「証言」史料としては、連絡・指示のための手紙、事務的な記録、備忘のためのメモ・日記等。

         社会や組織を運営し、機能させるために作成された史料。

         *「証言」史料には、遺物という側面もある。したがってこれらは、紙質、筆跡、文章形式、言葉などで、
           当時の当事者のものであると確認できなければならない。)

     ②第三者が同時代に作った証言史料。
         (遺物としての側面からは、紙質、筆跡、文章形式、言葉などで、①と同様の確認ができるもの)
   
  2、 時間や場所が隔たっているが、当事者が自ら作った史料。普通の覚書や記録の類。
      
  3、 1と2を根拠として、それらを関連付けてまとめたもの。各々の当事者系譜の家譜・伝記・覚書など。

  4、 それらを参考にしつつ書かれたもの。
     A、道徳的感化や芸術的効果、教訓や娯楽を目的に書かれた物語や小説。
     B、意図的な宣伝目的を持つ文献。
     C、編纂された歴史書
     など。

 大抵は、史実には、立場によって利害関係が発生する。
それゆえに、史料の背後にある人間関係が重要になってくる。

個人や集団の利害に関係する文書は、
当事者の作成とされていても、あるいは逆に、当事者が作成したとされるがゆえに、
むしろ信用できなくなることも多い。

史実のかく乱情報は、史実が発生した当初から存在しうる。

利害を左右するとなると、これら当事者による情報は、
本人あるいは他者によって、贋作・捏造・虚偽の対象になりやすい。

証拠となる痕跡や遺物、文献、証言、絵画・写真等が
「実物かどうか」「内容がどの程度本当か」

を判断するのに必要なのは、
その史料を構成する要素についての、同時代の正しい史料である。

つまり、地理・地形・地質・気象、痕跡、遺物、紙質・筆跡・文章形式・言葉、
あるいは物品の製作技術、その傾向や材料など、
時間や場所や状況を特定するのに役立つもの。

あるいは、情報として役立つものとしては、

全体の歴史、全体の人間関係、
当時の人々が残した、生活・慣習・制度・思考・行動様式の、記録・情報のうち、
その事件について、時間や場所や内容の蓋然性を証明するもの、

などが参考になる。

物語や小説は、通常は史料とは言わないが、
「同時代」の文学である場合、その描写の中に、通常の史料には見ることが出来ない、
感情や体感、状況、生活・慣習・制度・思考・行動様式を、見ることができることもある。

しかし、かく乱情報であることもある。



〔「客観的な歴史」が揺らぐのに対抗する〕

このように歴史学では、「史料」の証拠力を考える作業を、「史料批判」と呼んで、
不可欠の作業としている。

これは歴史学で経験的に発生した、贋作・虚偽・錯誤から真実を見分ける方法を、
整理して方法化したものである。

こうして「史料批判」という作業の末に、少なくともこれは確実だと言える、
という事柄を取り出す。これが歴史的事実である。

しかしながら上記のように作業を整理してみただけでもおわかりいただけるように、
「史料」を介して「史実」を認識するのは非常に大変なことなのだ。

そして内容の食い違う膨大な史料や、逆に膨大な欠落部分を考えていると、
「史実」が存在するという確信が、揺らいでくる一面もあるらしい。

こういう『事実』ということに関して、林健太郎氏は『史学概論』の中でこう言っている。

「概念的には、客観的所与としての歴史と
人間の主観によって形成される歴史像とを区別することはあくまで必要である」(P5)

「人間の意識の前に、事実が客観的に存在するということを
承認しないわけにはいかない」(はしがき・P217)

同じようなことを述べているのは、E・H・カー著『歴史とは何か』(岩波新書・1962)。
P34に「見る角度が違うと山の形が違って見えるからといって、

もともと、山は客観的に形のないものであるとか、
無限の形があるものであるとか
いうことにはなりません」とある。

斉藤孝著『歴史と歴史学』(東大出版・1975)も、
表現の仕方がややこしいこれども、P74に、同じ意味だと思われる内容が出てくる。

 あと、増田四郎著『歴史学概論』(講談社学術文庫・1994)、
弓削徹著『歴史学入門』(東大出版・1986)では、
歴史学の出発点は史料だという所から出発するし、

小谷汪之著『歴史の方法について』(東大出版・1985)などは
歴史学に関する思想書のような感じで、
「事実とは何か」という問いに対する答えに類するものはない。


先にも取り上げた 今井登志喜著『歴史学研究法』(東大出版・1953)は、
史料を使ってどのように史実を決定するかということについて、
作業例を通して解説した本である。

直接「事実とは何か」に答えている文章があるわけではないが、
史料を介していかに事実を把握するかを執拗に解説した本である。

これを見ると、いかに史料が疑わしいものかを実例を引いて様々に説明してあり、
史料内容を確認するために、事件の日時から、
日の出や日没の時刻を割り出して確認するという作業までやっていることがわかる。

ここでは結局、人間が認識したことを、自然科学の力を借りて確認しているのだ。

今井著のP88には
 「歴史の語を、抽象的にただ過去の経過と見て、全く客観的な存在の意味に解すれば、
  それはもとより固定した不変なものである。」

 「しかしそれは人間の意識する歴史そのものでなく、
  永遠に忘却の中に没し去って人間の思想と交渉のないものである。」

という表現が出てくる。

多分これは、林健太郎氏の表現と同じと思われる。

しかし林氏の表現「人間の意識以前に存在する客観的な事実」の方が、

サイエンスにおける「事実」や、私が言う意味での「事実」との関連で、
表現の一般化が進んでいたのだ。

私には、自分が考えている、物質世界を基本にした事実概念を連想しやすく、
従ってわかりやすいような気がした。

実は、こうして見ると、私が問題とした点を何よりも簡明に表現しているのは、
林健太郎著『史学概論』なのだ。

しかし皮肉なことに林氏は、私が事件や事柄の意味での「事実」の根拠だとした、
物質世界を、切って捨てた方なのでもあった。


前に、カー著『歴史とは何か』の冒頭で引用されていて、
私が意味不明に感じた、と言った文章がある。

その林氏と同時代と思われる、イギリスの歴史家クラーク教授の文章は、こうなっている。

 「彼ら(歴史家)は、
 過去に関する知識が、一人あるいは何人かの精神を通じて伝えられて来ているものであること、
 これらの精神によって『加工』されたものであること、
 したがって、絶対不変の元素的な非人間的なアトムから成り立ちうるものではないこと、
 これをよく考えている。」(P2)

 この文章は、過去に関する「知識」がアトムから出来ているわけではないと言っているのだが、
出発点が「知識」であって、過去自体は何でできているのかを問題にしない。

私は、世界を「時間の断面を切り取る」という考え方で捉えてみた。
絶対不変の元素的な非人間的な原子から成り立っている世界をまず考えた。

そしてそれを、人間が認識する、という順序で考えた。

だから、この文章のように、最初から「認識」のことしか述べていない場面で
アトム云々が出てきたので、
認識とアトムを結び付ける連想の仕方が、わけがわからなかった。

何より「アトムから成り立ちうるものではない」という否定文句に、
心が麻痺してしまった。

その続き
「少なくとも、すべて歴史的判断には人間というものが含まれ、
見地というものが含まれるがゆえに、
いかなる歴史的判断も甲乙がなく、『客観的』な歴史的真理というものはない、
という学説に逃げ込んでいる。」

こういうクラーク教授の見解に対応する部分を探せば、
林健太郎氏の発言は、こういう部分に表れていると言っていいだろう。

  「歴史認識が何らかの主観性を媒介することは
   今日の歴史哲学においてはもはや疑われないところであるが、
   その主観性はもちろん単なる個人の主観性ではあり得ない。」(P206)

  「そしてこのように「主観性」が
   何らかの社会性を持った主観性でなければならないこと、

   また現代が特定の意味を持つ「歴史的現代」でなければならないことは、
   歴史認識の主観性にとってはおそらく自明のことであろう」(同)

ここで今井著『歴史学研究法』に戻ると、先に取り上げた「不変の歴史」(P88)
という文章の後には、続いて「歴史の現代性」ということも取り上げられている。

手持ちの方法論の本を出版順に並べると、
林氏の本の役割はそこで一つの分岐点を形成し、
後続の本は、別の方向からの役割を果たそうとでもしたのだろうか、と思えるほどだ。

私が気になった林氏の表現「人間の意識以前の客観的な事実」には、
どの本も触れないまま、
違った方面である「歴史認識の主観性」で、内容の充実に努めたかのような感じである。

客観的な事実って、どこへ行ったのだろうか。

みんなそろっていることは
 「歴史認識には、最初から、事件の当事者である人間の、ものの見方(主観)が入っている。
  歴史家自身も、主観を経由して観察しないわけにはいかない。

  歴史は、歴史家の主観によって構成されたものであるから、
  歴史を読む際に、最も注意する必要があるのは、歴史家自身である。」

と、あたかも客観的な歴史など存在しない、
と言っているかのような点である。

こういう主観性認識論は、
往々にして歴史家の良心的意図とは全く正反対の、
非常に面倒な問題を巻き起こす原因になっている、と私は思う。

歴史を政治操作しようという運動を、理論面で補強する形になりかねないのだ。

方法論の本を出稿順に並べてみよう。
今井著『歴史学研究法』は、
「史料」という歴史情報の提供物をどのように吟味するか、
その問題に、簡潔な論理と、具体例による説明で、答えている。

上記説明したように、この本の中には、
後続の本が取り上げた論点「歴史認識の現代性や主観性」も、
簡潔な形で示されている。

しかし後続の本が、その簡潔な記述の一つ一つに、
激しい時代の波を重ねてどのように試行錯誤したか、というようなことは、
この本の時点では全くわからない。

今井著が書かれた数年前、
マルクス主義者の間では、日本資本主義論争というのがあった。

日本で革命が起きるとすると、それは歴史的に見てどのようなものかという、
講座派と労農派の争いだった。

学問的な世界では、世界的な共産主義運動の流れに負けず劣らずの早さで、
日本も反応していた、とは言えるようだ。

つまり極めて実践的?な関心があったのだが、
次第に、日本は神国である、とする皇国史観が、次第に勢いを強めてくる。

今井著が出た昭和10年というのは、ごく基本的な学問的手続きそのものが、
風前のともしびという時代に入る頃だった。

この本は唯物史観にも触れてはいるが、
ごく軽く、経済重視の考え方の一つとして扱われているのみだ。

戦後、世界的な社会主義と資本主義の二極対立の中で、
歴史学も、激しいイデオロギー対立の嵐に見舞われた。

マルクス主義が「唯物論に基づく科学的な歴史」を標榜し、
歴史全体を階級対立の歴史として捉える。

そして、歴史には自然科学的な法則が貫いていると言うのだ。

これを「唯物史観」と言ったり、「法則史観」と言ったり、
「決定論的歴史観」と言ったりした。

それは、1917年のロシア革命の成功以来、
知識人・思想家の間で無数の論争対立を呼んだものだった。

それが、敗戦で戦前の国家主義が消えたら、
今度はこの思想対立が、世界政治の前面に躍り出てくることになった。
日本も歴史学も例外ではなかった。

マルクス主義が歴史観から出発していたために、
歴史学の中でも激しい対立が起きた。

歴史に貫いている法則を、直接証明するものは何か。
それを示すのが困難なほど、二分裂の平行状態で、論争が対立していたように思う。

私がここに挙げている今井著、林著、カーの本は、
要するに反マルクス主義の系統と言えるだろう。

実のところマルクス主義の歴史学の方法論として、どの本がとりあげるに相応しいか、
今もよくわからないのでご容赦願いたい。

マルクス主義は私とは立場が違いすぎて、方法論の話をしているように見えないのだ。

戦後の本は、歴史認識をからめつつの、
戦前よりはるかに大衆化した、過度の政治論争を横目に、書かれたものが多い。

その意味で今井著『歴史学研究法』は、
歴史認識の主観性や現代性に「一言ずつ」触れてはいるものの、
唯物史観の思考様式にさほど危機感がなく、

「事実は客観的に存在する」とするその表現からして、
まだなお素朴客観論の範囲にあると考えていいと思う。

 素朴客観論を脱した新しい歴史学の思考法として、
「社会性を持った主観性」(『史学概論』)、

「歴史の現在的視座」(事実がそのままあるのではなく、事実の意味付けが歴史
            であるから、歴史が書き換えられる・斉藤著『歴史と歴史学』)、

「社会的有用性」(弓削著『歴史学入門』)

というような主張がなされると、歴史は現在の視点から、その社会的有用性のために
書き換え可能である、と、読めなくもない。

 現在の自分に必要なものが読みたいというのは当然の心理だと思う。
しかし「事実とは何か」という問いを忘れた歴史は、虚偽に近いと思う。

 歴史がこういうものであれば良かったのに、という思いで書かれた歴史では、
教訓も反省も導きだせない。

私はこうした問題に対して、違う視点を導入したらどうなるか、
という提案をしているわけだ。

それは「人間に認識される以前に、物質存在的に確実な物や事がある」
というところから出発する。

それは、以前から述べているように、
外観的には「空中写真で捉えたような世界の姿」、
内容的には「極小粒子とエネルギーで構成された物質存在の世界」であり、
意味的には「無意味な物質存在だけの世界」を指している。



素朴客観論と、私の立場と、主観性認識論

ここで少し、先に出てきた素朴客観論と、
私の立場と、主観性認識論の三つについて、説明しておこう。

1素朴客観論
事実は外部から観察者にぶつかってくるもので、観察者の意識から独立に客観的に存在する」

2私
「物質世界は、人間の意識に関係なく、それ自体の性質によって客観的に存在するものだ。
しかし
事実は、言葉や認識枠による、人間の側の都合によって把握されたものである」


こうして比較してみると、素朴客観論者には、「事実」というものが、
「人間の側の認識枠によって切り取られるという側面」や、「人間の側の関心という側面」が、
意識されていない。

 つまり、人間が認識したものがそのまま、人間の認識に関係なく客観的に存在し
ていると考えたのだ。

  例えば
「A首相が国会で演説した」という場合。

素朴客観論者」は、自分の認識に関係なく存在している事実だと考えた。

  しかし「」は、
「首相」とか「国会」とかいう概念は、近代法制度によってのみ成立する概念であり、
特定の個人や制度の呼称としては、ある時代に固有のものであり、
認識者の知識に依拠するものである、と考える。

  また「首相・国会・演説」という概念で事実を捉えることは、
認識者から見た重要性からくる判断というものが含まれる。

したがって、物質現象としては認識者に関係なく存在していることであっても、
「事実」として意識されたものは、認識者に無関係ではありえない。

そういう見解をとるものである。

「空中写真で見る世界」で考えると、
「首相・国会・演説」という言葉の記号的側面は、音・紙・電波などの形で、
人と人の間を飛び交っている物質現象の側面を持つ。

これらを受信した人間は、相互に共通部分を持つ概念を思い浮かべる。

たとえば、「首相」という言葉を受信しても、受け止め方は人によって千差万別であろうが、
国家組織の最重要人物の一人、という観念は変わるまい。

この共通部分は、社会全体の共有観念として、一人ひとりが、自分の外側から取り入れたものであり、
その意味では、他者依存、社会依存の部分である。

言葉はこのように、他者依存・社会依存の性質を持つ。

認識者固有の観念は、認識者の個人的な経験・知見を背景として発生するが、
道具として共有する言葉には社会性があり、
それを使ってこそ形成した固有の観念であって、

個人が持つ主観性の基礎部分には、他者から与えられた部分において、社会性も含まれている。

言葉を使う人間である限り、孤立した人間、などという観念は、比ゆはともかく、原則的にはあり得ない。


3主観性認識論
「人間の認識に関係なく、外部に客観的に存在する事実、というようなものはない」

ここ2・3十年、流行していた考え方。
素朴客観論を批判しつつ、結局はマルクス主義を批判することが多かった。

この論では、私が言うような「絶対的に存在する物質世界」には、言及しない。

例えば、AさんにはAさんの見方・見え方、BさんにはBさんの見方・見え方があり、
ある理論にはその理論の見方・見え方があり、ある言語体系にはその言語体系の見方・見え方があり、
犬には犬の見方・見え方、アリにはアリの見方・見え方があって、
(あいにく、動物の認識を引いている例はあまり知らないが、自分の話の流れで書きました)

絶対的な認識、客観的な認識など、存在し得ない、
という論理なのである。

とは言っても、自説のみを主張する展開が多く、結果的にマルクスの批判となっている、
というのが多くて、

それぞれを比較考量し、思想史を語る、というような、便利な本は、まだ見つけていない。

私の方法論と主観性認識論の違いは、
私言うところの物質世界が、あると前提するか否か、それとの整合性を目指すか否か、
である。


経済は私にはちんぷんかんぷんだった。しかし、上空から見ていると、
確かに人間の作り出した物はたくさんあるし、人が大量の物を動かしているが、

どう考えても、棒で突いたら玉がころがる、ような動きでないことは明らかである。     



14・事実の3レベル  
                                     
                               
 この章では、「私たちが日常生活で何を事実だと思うか」ということを中心に、
「事実」についてよく考えてみたい。

 私達が普段事実だと思っていることが、やがては過去のものとなり、
歴史になってゆくので、結局は歴史とは何かを考えることにもつながると思う。

私は、「事実」に3段階を設定してみた。

(1)人間の認識に関係なく、それ自体の性質によって存在するもの。

     第2・第3章でいろいろな言い方をしている。
    人間が意味を感じようとしたり、言葉で認識したりしようとするのを、
    意図的にやめてしまった世界。

    物質の性質だけで成り立っている絶対的な世界。

(2)「物質存在的に確実なもの」を人間が認識して言葉で表現したもの。

    例えば目の前にパソコンがあり「目の前にパソコンがある」と表現する。
    それは「事実」。
    しかし目の前にパソコンがないのに「目の前にパソコンがある」と表現した場合、
    それは事実ではない。

    物質的な実態と人間の認識との間に対応があるもの。
    大きな分類で行くと、サイエンスもここに入れられるだろう。
  
(3)情報システムに支えられた人間の、主観的社会的約束事。

    ある事柄についての共有認識が発生したとする。
    
    次に、社会的強制力を背景に、
    発生した共有認識の相互実現を図ろうとする。

    その意味合いにおいて、実態との対応がなくても、『事実』として通用しているもの。

    *この3段階は、以下のように言い換えることもできる。
       (1)は、認識主体を想定していない世界。
       (2)は、各単体の認識主体と世界、という世界。
       (3)は、多数の認識主体が共有する、相互関係の世界。

   *「実態との対応がなくても、『事実」として通用しているもの」
    という表現には、多くの異論があるに違いない。

    私もひっかかるのだが、こう言いたくなるような、
    何かがあるような気がしているわけである。
    

(3)については、例えば、遠隔地の所有権を登記簿で確認できても、
その人がその地に全く足を踏み入れたこともない。
そういう状況でも、その人がその土地を所有していることは疑いない、というような場合。

この場合、実際には他人がその土地を利用していても、
『事実』は法的証拠のある方だということになる。

これは、「法律」による共有認識の発生と、
社会的強制力の存在についての共有認識がある場合である。

「発生」した所有の共有認識を、相互に実現しようと人が意思する。

すると、不使用という実態には関係なく、
『事実』として通用する、と考えられる。

あるいは、例えば、会社設立の場合、
ペーパーカンパニーで会社全体に実態がなかった場合でも、
法律では『事実』は成立するだろう。

また、社長とか、首相とか、社会的立場の成立も、行為の実態とは関係なく、
合意成立の時を契機にして、法的に発生しているとみなす種類のものだろう。

もちろん、日常の常識では、実態がなければ「事実」とは言わない。
しかしこの(3)レベルの場合、「自由に意思する人間同士の合意」という、
発生部分の特徴を研究する必要がある。

ここで言う情報システムとは、もちろんIT関連ではなく、
人間の脳の認識にたたき込まれた、社会情報の意味構造に対して、
人が共有認識でもって支持している状況を言う。

これで経済の概念を、「事実」として把握する方法ができたような気がするのだ。

為替や株の値動きのように、物質存在的なものがない数字だけの動きでも、
『事実』とすることができる。


このように、自他の脳と、
外側の情報(法律によって権利保証のある登記所の記録や、銀行・証券会社の記録)との間で、
相互に情報処理が行われて初めて、『事実』が人間相互の間で確定する、らしい。

こういうことを考えると、社会や経済における事実というのは、
随分と情報処理に関わる部分が大きいようだ。


主食の米、エネルギーや化学製品を確保するための石油、
また多くの製品の材料になる鉄、建築物、冷蔵庫やテレビやパソコンなどの電気製品、
自動車や鉄道など、

物量的に空間を占めてしまう「物」はたくさんあるし、その他無数の物や品々がある。
それらと経済に関する情報処理は、どう関係しているのだろう。


それにしても、「目の前に机がある」という『事実』と、
「このパンは100円である」という『事実』の間には、
かなりの距離があると思うのだ。
前者はレベル2の事実、後者はレベル3の事実である。    

「机」は、人間の共有基準に適合する物体を、
その共有基準に適合すると認知した結果、発生した認識である。

つまり、鈴木孝夫氏の「机」の定義に戻って考えると、

  「その前で人がある程度の時間、座るか立止まるかして、その上で何かをする、
  床と離れている平面」

というのが「人間の共有基準」である。

その共有基準に適合すると認知した結果、「机」という認識が発生する。

しかし「100円」は、物体そのものとは無関係に、
人間相互に通用する価値体系の中の、
100という水準に妥当と認められたものである。

物体はお菓子でも雑貨でも良い。

先に鈴木氏の「机」の文章で考察したような、
人間の側の用途という視点もない。

「100円」という数量が、パンの中に含まれているわけではない。
人間が、日本の通貨発行量の中から、そのレベルと「見なし」ているのである。

これを(1)のレベルの『事実』にもどって考えてみると、
「100円」って、なんて恣意的なんだろうと思うのだ。

    参考:「通貨」については、3章「物質だけの存在感」、9章「社会と情報」、
       11章「冷戦とマルクス主義」で、それぞれ触れています。


   *「100円」というのは、物質的実在の世界に存在しているわけではない。

    物質的実在の世界においては、100円硬貨は、銅とニッケルの合金であって、
    人間の側から意味を付された模様・記号が刻印されているものである。

    人間が相互に、お互いの通貨価値認識の体系の中で、100という数値に合致すると認めているだけのことで、
    物質としての100円「硬貨」自体は、「ある特定の形状を保った銅とニッケルの合金」、以上のものではない。

    物理や化学の授業を思い出してもらってもいいだろう。
    これらの物質を探求する世界では、「おカネ」は出てこない。では、「おカネ」とは何か?である・

    人間は、硬貨のやりとりにともなって、それぞれの頭の中で、100という数値を、増やしたり減らしたりしている。

    他のところでも触れているはずなのだが、
    かつてマルクス主義でよく引用された「唯物史観の公式」の中に、
    次の一説がある。

      人間の意識がその存在を規定するのではなくて、
      逆に、人間の社会的存在がその意識を規定するのである。

    しかし、人間の意識なしでは、社会的存在というものはあり得ない。

    社会の中で、比較的、数値化対象になりやすい、従って「自然科学的」?対象とされがちな
    「おカネ」をめぐる一場面ですらそうなのだ。

    だからこの辺で、マルクスは間違っている、と言えるだろう。

   
 あるいはまた、特定の個人には関係なく想定されている社会的地位の概念も、
実在の人より観念の方が先にある。

ここで、人間の認識が先か、物質が先か、という話に戻ってみよう。

物体としてのお金や本や机は、人間の認識によって作られたものである。
しかしながら、「人間の認識が、それら物体を存在させている」わけではない。

 それらがそのような形を維持しているのは、
「それらを構成している物質自体の性質による」のである。

**
  『事実』とは何か。
歴史でも社会でも自然科学でも、『事実』は重要な概念だ。
間違いや空想や嘘は困る。
そこで私は、普通に生きている人が感じている『事実』というものの範疇を考えてみた。
しかし最後の(3)は、一体何なんだろうか。
そして、人にはそれが、極めて大切なものみたいだ。
   

15、社会の外観から考える

                                       

 ここでもう一度、私の考え方を最初からたどってみる。

 私は、社会を観察するに当たって、学校で勉強した科学の知識を組み立てて、
自然世界における社会の形状を、つぶさに、できるだけ正確に描いておくことから始めた。

 闇の宇宙に浮かぶ青い地球。

 自分を含む人間は、この地球世界から出ることはできない。

 そしてこの宇宙は、基本的には、

 極小の粒子とエネルギーの世界と見ることができるだろう。


  上空から社会を眺めるように、空中写真的世界を念頭に置いて考えたとする。
これが社会の物質的姿であり、実在の姿であろう。                                                      

たとえば、グーグルアースなどで、上空から「東京駅周辺」を見てみたとする。                 

所有関係も、この空中写真の中で複雑に錯綜している。
東京駅周辺の建物や土地が、
誰(あるいはどの法人)のものか、
実際に利用しているのは誰(あるいはどんな人々)で、どのような形で利用しているのか、
想像してみてほしい。 
その上で、所有とは何かと、考えてみてほしい。

 所有関係と実際の利用が常に一致するわけではないだから、
誰のものかを最終的に確認しようとすれば、人は法務局へ出かけるだろう。

 不動産の所有の根拠は、法的に疑いのない場合は、常に法務局の記載事項である。

 所有とは、登記所(法務局)の記載を、人々が相互に情報処理することによって成立しているのではないだろうか。 

 「社会」に関する大抵のことが、音・紙・電波・電子などを媒体として伝わった記号信号による情報でできている。

 例えば憲法は、言葉で書かれた社会制度についての情報として、人々の間に流布し、
社会や法律や人間関係を考える際に、参照情報として頭に思い浮かぶ基本事項だろう。

 制度とは、「ある事柄についての共有認識の発生の事実」を前提として、
社会的強制力を背景に、発生した共有認識の相互実現を図ろうとするものである。

 その共有認識を発生させるためには、人々の間に、情報の周知徹底がなされることが、重要な問題となってくる。
そしてそれは、世界に対して建設的に関わっていくための情報でなければならない。

 錯誤や虚偽は、このような意味で、不都合な情報であると言えるだろう。

 日本列島に乗って暮らしている1億の人に(空中写真を思い浮かべてほしい)、
共有認識としての「憲法」などがあって、
相互実現を図るための強制力の仕組み(合意による強制・法的強制執行・警察など)があれば、
「制度」成立である。

 それは、人体外の記号信号を、人々が相互に情報処理することによって、成立している。

 ただし、人体外部にある情報記号というのは、単に現在行動を導き出す直接情報だけを指すのではない。

 それは例えば、赤子が母親から学ぶ初期の一語一語、また幼児期に学ぶ日本語の基本、
学校で学ぶ社会言語、メディア経由の用語、個人が参加している集団内の情報など、
およそ個人の認識を形成する情報のすべてを予想する必要があるだろう。

   所有権侵害に対する権力の発動も、それぞれの人の、
外部情報(法律・社会認識を築くために与えられた社会情報)から築き上げた社会認識による、
脳の情報処理が原点となって、違法行動を排除する行動に至らせるのである。


16・終わりに     

私は、本当のこととは何かを追ってきて、最後に、
物質世界が証明する、人間精神の虚構性にぶつかったような気がしている。

それにしても、この人間精神の生み出す虚構の、スケールの壮大なこと。
私達は、毎日の日常から一歩引いて、
それを虚構として考察してみる必要があるのではないだろうか。

みんなで実現させようと思えば、それは『事実』になる。
しかしそんなみんなそろっての思いは、実際にはほとんどない。
利害対立や考えの違いで成立しない。
それを、法律が調整して強制力でもって実現させる。

その点、日本の社会的合意を成立させる仕組みについては、
現在のところ、かなり信頼度が高いようだ。
暴力を使わずに合法的な手段で、というのは常識になっているのだから。

しかしこの不況の中で、貧富の差が拡大していると聞くのは、いただけない。
それで良いと支持すれば、ますます貧する者は窮する。それでいいのだろうか。
社会の仕組みは公正だろうか。

また、冷戦が終わったら、今度は世界各地で頻発するテロが問題になってきた。
暴力は根本的な解決にはならない。
問題は、社会を成立させている情報構造にあるのであって、
部分的な人間の問題ではないからだ。

私は、問題解決の糸口は情報構造にあると考える。

ここで言う情報構造・情報システムとは、もちろんIT関連ではない。

人間の脳の認識にたたき込まれた、社会情報の意味構造に対して、
人が共有認識でもって支持している状況を言うのである。



補足1、宇宙時間表                           

「人間社会は物質世界のものである」ということを、宇宙時間表の考え方で
再確認しておきたい。 (ただし、以下のものは、出典が相当古い。)

宇宙時間表とは、宇宙ができてから現在までを、1年にたとえて表したものである。

それによれば、
1月1日に宇宙誕生、
5月1日に銀河誕生、
9月9日に太陽系誕生、
9月14日に地球誕生である。

12月1日やっと大気中の酸素が豊富になり、
12月17日カンブリア紀(三葉虫の時代)、
12月25日から12月29日が恐竜の時代、
12月31日午後11時53分人類誕生、
シュメールやエジプトの最初の王朝が11時59分50秒。

それから現代まで、わずか10秒である。
要するに人間の歴史というのは、このわずか10秒の間に詰まっているのだ。

 宇宙の時間を人間の歴史と比喩的に対比した場合、この対比は、正確さはともあれ、
人間の努力や認識には関係なく、絶対的なものである。

長大な時間をはらむ宇宙という物質世界からすると、命は余りにも短い。

その短い自分の命を起点として、人間は、自分と自分が生きている世界を知ろうとし、
より良い世界へと、様々な努力を重ねてきた。

にもかかわらず現代社会は多くの問題を抱えている。
より良い世界へという努力は、
これからどこへ向かうべきなのだろうか。

*上記の話の出所はカール・セーガン(昔『コスモス』などの本で有名になった)
らしいのだが、私の記憶では小学校高学年くらいの時に、似たような話を聞いた気がする。


補足2、古墳時代と天皇家


私は漸進主義者である。

かつては、「革命」という言葉に、高揚感を抱いた人もいるかもしれない。
しかし急激な変化というのは、苦痛をもたらす原因にもなる。

大きな問題に関しては、人の考え方を変える努力をし、
時間をかけて、人の気持ちの変化を見極め、
準備を整えて、ゆっくりと変えて行く。

それが、私の思う方向である。
私は、「革命」という言葉には、「宣伝」が含まれている、
のではないかと思うほどだ。


これまで折に触れ、天皇神様論について歴史学ではどう考えるか、
ということに触れてきた。

そして私の郷里は、かつては、
天皇神様論を受け入れる土壌が、たっぷりあった、と書いてきた。

このように天皇家は、ある種の人々には、夢である場合もある。
その夢を壊すようなことになりかねないのは、心痛む。

私たちは、何を美しいと思い、何を最善と思い、何を理想と思うのか。
そして私たちが守るべき文化とは何なのか。

それは、それぞれが自問を繰り返して、
考えて行かねばならないことだろう。

しかし、合理性を失わない、人間精神の復活は必要だ。

以下は、今井登志喜『歴史学研究法』の
「沈黙の証拠」に該当する事例ではないだろうか。

憲法においては、根本原理に抵触するのではないか、
と思われる問題だ。
 

***「歴史の始めから天皇家」というのは本当だろうか*****

「古墳時代と天皇家」の関係は、非常に疑問だ。

誰でも知っているが、古事記・日本書紀は、古墳時代には全く触れない。

350年間ほどの古墳時代。全国に築かれた前方後円墳は、
少数の前方後方墳を含めれば、 総数約5200基にもなる。

(近藤義郎編『前方後円墳集成・全6巻』山川出版社1991~)

しかし教育では、この「総数」という観念すら出てこない。
海外にも出したがらない様子。おかしいのではないだろうか。

前方後円墳5200基という、この世界史的にも珍しい事実を、
「不都合だと認識している人々」がいるような気がする。

記紀が成立した時代には、まだ、全国の交通の要所要所に、
前方後円墳が、巨大な人工構造物として見えていたはずだ。

もしそれが緑の小山に変化していたとしても、人工物であることの記憶までは、
消し去ることはできなかっただろう。
直接・間接に造営工事に関わった人々は、全国民に及ぶのではないだろうか。

計画し、手配し、測量し、築造や埋納品製造の技術を伝え、人々を動員し、
鉄や木などの材料を加工し、道具や運搬具などの器具を作り、
運搬や動員のための、陸海の交通路を確保し、
作業者たちの衣食住を準備し・・・

全国に巨大なモニュメントが出来て行くのを、
知らない人が、どれくらいいただろうか。

天皇家が古墳時代の運営に関わっていたのなら、この「全国の活動」について、
一言たりとも言及しない、というのは、おかしいのではないだろうか。

少なくとも、
「この時代に天皇家が関わった、という証拠は、今なお提出されていない」、
ということは、言えるのではないだろうか。

これは非常に変だ。













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