地球大学
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【古墳時代と天皇家】
東京は皇居のある場所でもあり、
天皇家はある種の人々には夢である場合もあり、
その夢を壊すようなことになりかねないのは、心痛むことです。
しかし
***
合理性を失わない、人間精神の復活のために送信しています。
中国作、ニセ文書事件(1通目)と同時に送っていた文です。
今井登志喜『歴史学研究法』の
「沈黙の証拠」に該当する事例ではないでしょうか。
憲法においては、根本原理に抵触するのではないか、
と思われる問題です。どうかご検討くださいますよう、
お願い申し上げます。
***「歴史の始めから天皇家」というのは本当でしょうか。*****
「古墳時代と天皇家」の関係は、非常に疑問です。
誰でも知っていますが、古事記・日本書紀は、古墳時代には全く触れません。
350年間ほどの古墳時代。全国に築かれた前方後円墳は、
少数の前方後方墳を含めれば、 総数約5200基にもなります。
(近藤義郎編『前方後円墳集成・全6巻』山川出版社1991~)
しかし教育では、この「総数」という観念すら出てきません。
海外にも出したがらない様子。おかしいのではないでしょうか。
前方後円墳5200基という、この世界史的にも珍しい事実を、
「不都合だと認識している人々」がいるような気がします。
記紀が成立した時代には、まだ、全国の交通の要所要所に、
前方後円墳が、巨大な人工構造物として見えていたはずです。
もしそれが緑の小山に変化していたとしても、人工物であることの記憶までは、
消し去ることはできなかったでしょう。
直接・間接に造営工事に関わった人々は、全国民に及ぶのではないでしょうか。
計画し、手配し、測量し、築造や埋納品製造の技術を伝え、人々を動員し、
鉄や木などの材料を加工し、道具や運搬具などの器具を作り、
運搬や動員のための、陸海の交通路を確保し、
作業者たちの衣食住を準備し・・・
全国に巨大なモニュメントが出来て行くのを、知らない人が、どれくらいいたでしょう
か。
天皇家が古墳時代の運営に関わっていたのなら、この「全国の活動」について、
一言たりとも言及しない、というのは、おかしいのではないでしょうか。
少なくとも、「この時代に天皇家が関わった、という証拠は、
今なお提出されていない」、
ということは、言えるのではないでしょうか。
これは非常に変です。
(参:広瀬和雄『前方後円墳の世界』岩波新書2010、 総数についてp90、視覚効果についてp144(書かれない古墳時代)
上記考察は、以下の私の方法から出てきたものです。
「新・歴史社会科学」「新・科学的歴史社会学」というものを考えてみたらどうだろう
か。
「科学」とは、もちろん
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/bussitusekaitoninngenn.html
(私ページ「物質世界と人間」)
の世界を基本にしたものである。だから、「科学」のない社会学にするわけにはいかない。
歴史的な時間経過を問題にするので、「歴史」という言葉も必要である。
マルクスの影響を否定するために、「新」を付ける。
私の「古墳時代と天皇家」の系統の文は、「物質世界と人間」の世界を、
フィルムなら高速回転させるような具合に、
3次元・立体の世界(社会)を、高速回転させたらどうなるか、
というようなイメージも、非常に強く働いている。
情報の重視や、ニセ情報工作、また移動・交易・物流・技術などを加味する。
これは<生産と分配>、<ブルジョアとプロレタリアート>、<上部構造と下部構造>、
といった対比を連想する、マルクス系の科学的歴史学、科学的社会科学とは、
かなり違うものである。
個人が自分の認識として脳に入れている
「文言」「教訓」「知識」「行動姿勢」と、
社会にあふれている外側の「情報」を、
相互に関連付け、または分析する。
そして認識対象である社会の現実(物質世界と対応している現実)を探求する。
、
それらを元に、社会問題の平和的な解決を探る、というものである。