古谷経衡(ふるやつねひら)氏 MF  (20190523送信)

                 送信済みリストに戻る


2019年05月20日
映画『主戦場』が炙り出す「保守派」の虚妄と理論破綻

今日はライブドアニュースBLOGOSに転載されて、検索トップでした。
伝わっていないかと思って、改めてお便りする次第です。


秦郁彦氏は実証主義者ではありません。

(1)秦郁彦『南京事件ー「虐殺」の構造』1986年初版p131の、
虐殺証言の元兵士日記は、贋作です。

これはこの本のp281によると、
秦氏が元兵士から直接手渡されたものだそうです。

写真版:元兵士日記
http://hiyori.yamanoha.com/syasinnbanniiemataitinikki.html

私論文:南京事件元兵士日記、贋作
http://hiyori.yamanoha.com/ronnbunn.html

1行目下に、「しまった」の変体仮名「志満っ多」
が出てきますが、文字の意味は「こころざし満つること多し」です。

  虐殺証言なのに、「めでたい」と、
  文字がほほ笑んでいるような感じなのです。


(2)秦氏は、戦後1953に、多くの軍関係者に インタビューして、
戦前の政府発表は嘘だった、と、多くの史実を
逆転させて、若くして論壇に登場された方です。

しかし、この方が当時21歳の法学部の学生なのに、
戦前の事件の首謀者は全部日本人だった、と告白する元軍関係者は、
60歳前後の人たちばかりです。

古い細かい内部の話を、この年齢差の若者に、するだろうか、
という疑問がわきます。

秦郁彦『実証史学への道』後半に掲載されているヒアリングの内容は
以下のようなものです。

秦郁彦『実証史学への道』
http://tikyuudaigaku.web.fc2.com/190225maimemo.hata2.html

本には軍関係者の年齢は載っていませんが、私が計算して出しました。

戦時中は、軍の行動や軍人たちの行動は、
国民に明らかにされているわけではなかったようですし、

戦争直後には、多数の文書焼却もありました。
軍人たちの行動の概略といえども、照合可能な明確な文書が、
あったわけではないと思います。

予備知識も困難な状況で、しかも法学部の秦氏は、
どのようにしてヒアリングができたのだろうかと、
私は疑問に思っています。


(3)(1)の偕行社編『南京戦史資料集』に戻りますが、
  (1)の贋作・南京事件元兵士日記は『南京戦史資料集』所収)


何と言っても、解読責任者の一人である藤原彰氏は、
中国戦線を戦い抜いた元陸軍将校であり、

東大歴史学を出て、一橋大学教授・社会学部長となり、
歴史学研究会委員長も務められた、偕行社員でもある方です。

偕行社は靖国神社敷地内にあり、靖国神社は保守の方たちには、
畏敬の場所でもあるわけですが、

その陸軍将校たちが、贋作資料を握りつぶしたのです。
こういう歴史認識問題の全体の流れの中に、秦氏もいる、
ということを、私は申し上げたいと思います。


(4)そして『昭和天皇独白録』は贋作です。

直接の鑑定者は、東大・近現代史の大御所・伊藤隆氏ですが、
文春文庫『昭和天皇独白録』の議論の参加者として、

秦郁彦氏も名を連ねているので、加担者であることは間違いありません。

私は自分のホームページで、寺崎英成氏が手書きした「日記」画像と、
手書き『昭和天皇独白録』画像を並べました。

『昭和天皇独白録』は側近の寺崎英成氏が書いた、とされています。

この二つは、全くの別人によって書かれたものであることが、
一目でわかると思います。

「比較:昭和天皇独白録と寺崎日記」
http://tikyuudaigaku.web.fc2.com/190509kanteidokuhakuroku.html

伊藤先生の直弟子である、東大・加藤陽子先生に、
反論があれば頂きたい、と、問い合わせましたが、反応なしです。

「加藤陽子先生」
http://tikyuudaigaku.web.fc2.com/190514katou.html


(5)慰安婦問題専門家・吉見義明氏の、
    今井登志喜「真贋検討法」1935年の隠蔽


吉見義明氏は、ある本の鼎談で、
既に1935年からあった「史料の真贋検討法」等を書いた本
を話題にしていました。

   参考『歴史の事実をどう認定しどう教えるか』
   教育資料出版社1997・p190

「真贋検討法」が本になっているのですから、
彼もその古い本、今井登志喜『歴史学研究法』1935年
を検討はした、であろうと思います。      

しかしながら彼は、その本の内容(真贋の検討法、虚偽の例)を、
仲間の左派研究者には、教えませんでした。

そして彼は、自分が提出する資料の真贋について、
全く検討してきませんでした。

しかし、歴史認識問題で出てきている資料には、多くの贋作があります。


(6)2018年5月、「NNNドキュメント『南京事件 2 』」
が放送されました。
しかし冒頭5分でねつ造現場が映し出されました。

番組はユーチュブで確認できます。

発掘で燃え殻が盛り上がっていたりするようなことは、あり得ません。
これは、発見発表当時に燃やされた写真です。

そしてそれは、東京都埋蔵文化センターと防衛省戦史研究室に、
ねつ造文書の関係者がいる、という証拠です。

つまり、吉見義明氏が戦史研究室経由で出してきた資料には、疑惑がある、
ということでもあります。

 吉見義明氏は、伊藤隆先生とも接点がおありです。
             伊藤隆『歴史と私』p69、p72等。


(7)慰安婦資料は、吉見義明氏が発見したことになっています。

吉見義明『従軍慰安婦』岩波新書1995、p5に、

  慰安婦関連文書は、
「八王子の地下倉庫」にあって焼却を免れ、アメリカに接収され、
 日本に返還されて、防衛庁防衛研究所で保存されていた。

という話が出てきます。

私はこの資料群の来歴を、とても気にしています。贋作ではないかと。

そして岩波新書『従軍慰安婦』 1章より、出てくる資料を、
順番に並べて見ました。そして考えました。

吉見義明『従軍慰安婦』岩波新書その2
http://tikyuudaigaku.web.fc2.com/190520mymemo.yosimisiryou.html

資料No.28は笑うしかありません。これは、誰が考えても笑うでしょう。

それに、もし疎開させた文書なら、何かひとまとめにする基準が
ありそうなものですが、それがわかりません。

外務省・内務省・陸軍省と広がる部署の、
慰安婦関連だけがあるのですが、他にあったはずの文書は、
疎開させるほどだったはずなのに、
重要なものはなかった、ということでしょうか?

普通なら、残存資料の全体を俯瞰して、
行政や軍部の活動全体の研究に役立てようとするはずだと思うのですが、

この八王子地下倉庫資料について、そのような、
他の文書の研究が出された、ということを、私は今の所、知りません。

八王子の戦中戦後に詳しい方たちも、聞いたことがない、
ということでした。これはとても不思議な残存状況です。

この資料の残存状況は「贋作の動機から来たと見られる傾向」
ではないでしょうか。

ひょっとしたら、八王子地下倉庫資料というのは、
慰安婦関連資料だけしかない。しかもそれは、
捏造されたがためではないか、と、私は疑っています。

inserted by FC2 system